第1部 初期のサッカー切手
16.中南米のサッカー切手 (1924年〜1944年)
第2次世界大戦に影響の少なかった中南米地域の初期のサッカー切手をまとめて紹介します。
<コロンビア (1935年、1937年)>
南米で最初にサッカー切手を発行したのはウルグアイ(1924年)、2番目はコロンビアです。1935年と1937年、第3回と第4回の国内競技会(複合競技大会)の開催に際し、サッカーを各1種ずつ採り上げています。
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第3回国内競技会
(16種中の1種がサッカー)
(1935年1月26日発行) |
第4回国内競技会
(3種中の1種がサッカー)
(1937年1月4日発行) |
<パナマ (1938年)>
中米で最初にサッカー切手を発行した国です。1938年、第4回中米・カリブ海地域競技会(複合競技の大会)記念切手5種中の1種にサッカーを採り上げています。
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第4回中米・カリブ地域競技会
(5種中の1種がサッカー)
(1938年2月12日発行) |
<コスタリカ (1941年) 〜初期サッカー切手の秀作〜>
1941年コスタリカで開催された「第1回 中米・カリブ海地域サッカー選手権大会」に際し、18種類もの切手が発行されました。図案はわずか2種類ですが、切手の表示価格と印刷色を変えて、通常郵便用8種類と航空便用10種類に仕立て上げられています。
当時の地域の一大会で、ワールドカップをしのぐ程の切手が発行されたことに驚きを覚えます。また、印刷技術の高さもあり、全18種類を整理したアルバム上でもその存在感は際立って見えます。
この大会は、1930年に発足した「中米・カリブ海地域競技会」(複合競技大会)から1938年に生まれたサッカーだけの組織
「Confederation Centroamericana y del Caribe de Futbol」(CCCF)による最初の大会です。大会は、1941年5月8日から同18日にコスタリカの首都サンホセで開催され、同国が優勝しています。(1961年までに10大会開催)
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普通郵便用8種中の1種
(1941年5月8日発行) |
航空便用10種中の1種
(1941年5月8日発行) |
大会開催記念カバー
(1941年5月9日付消印)
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― ちょっと寄り道 ―
第2次世界大戦中、ヨーロッパのサッカー切手発行は2種のみ
トルコ共和国建国20周年記念 (1943年)
16、17世紀にかけて築かれ、勢威を誇っていたオスマン朝トルコ大帝国でしたが、19世紀にはヨーロッパ列強に領土を次々と奪われ、さらに第1次世界大戦の敗戦(同盟国として参戦)により、国家は存亡の危機にまで追い込まれてしまいます。
この危機を救ったのがケマル・パシャ(1881〜1938年)で、異民族の居住地域を放棄し、トルコの独立を確立しました。
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祝賀パレードに参加
するサッカー選手達
(1943年10月29日発行)
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1923年トルコ共和国が誕生し、初代大統領に就任、
国家再建と西欧的近代化の促進に全力を尽くし、後年「アタチュルク(トルコの父)」の尊称を贈られています。
なお、トルコサッカー協会の設立も1923年で、同時にFIFA加盟も果たしています。
建国20周年にあたる1943年、これを記念する6種類(そのうちサッカーは1種類)の切手を発行しました。
スロバキア (1944年)
第2次世界大戦前夜、ナチス・ドイツがチェコスロバキアのズデ―デン地方を力づくで併合し、さらに同国全体を支配下におさめたことはすでに述べました。その際、スロバキアはドイツ保護国として、1939年に独立し、独自の切手も発行し始めました。(大戦後は再びチェコスロバキアが復活しましたが、ドイツに代わってソ連圏に組み込まれてしまいます。)
第2次世界大戦は1945年5月9日のドイツの降伏に続く日本の同年8月15日の降伏により終結したとされますが、1945年にはサッカー切手の発行はなく、このスロバキア切手が第2次大戦中最後のものとなりました。
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スポーツ基金(寄付金付)
(4種中の1種がサッカー)
(1944年4月30日発行) |
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