第1部 初期のサッカー切手
15.緊迫下での国際親善試合・ルーマニア (1939年)
ルーマニアはカロル2世(在位1930年6月〜1940年9月)の強い支援のもと、ワールドカップ第1回から第3回大会まで連続出場を果たしています。
ドイツは1938年のオーストリア併合に続き、チェコスロバキアのズデーデン地方を「長年ドイツ人が定住していた」として保護領化し、さらに1939年3月にはチェコスロバキア全土を占領してしまいます。
1939年9月1日、ナチス・ドイツがポーランド侵攻、9月3日にはイギリスとフランスがドイツに対し宣戦布告し、第2次世界大戦がはじまったとされていますが、ルーマニアはその少し前の緊迫した状勢のもとでもサッカーの親善試合を続けています。
同年5月にはイングランド(0対2)と、6月にはイタリア(0対1)と戦い、その記念カードがそれぞれ残されています。
なお、宥和政策のもとで続けられてきたイギリスと各国との親善試合は、同国の政策転換により、このルーマニア戦がイングランド・チームの第2次世界大戦前最後の試合となりました。
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国際親善試合
イングランド対ルーマニア
1939年5月24日 |
国際親善試合
イタリア対ルーマニア
1939年6月11日
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― ちょっと寄り道 ―
モナコの「ルイ・ドゥ・スタジアム」竣工 (1939年)
モナコの王立サッカークラブ「ASモナコ」(1924年設立)のホーム・スタジアムは、1939年に竣工、時のモナコ大公ルイ2世(在位1922〜1949年)にちなみ「ルイ・ドゥ・スタジアム」と名付けられました。4月23日、これを記念する切手1種類を発行しました。また8月15日には、この切手と同じデザインに「第8回ユニバーシアード」の文字を印刷した5種類(同一デザインで印刷色が異なる)の切手も発行されています。
現在の新スタジアムは、1985年5月に完成しましたが、15年かけて海を埋め立てて造成した22ヘクタールのうち3ヘクタールをスタジアム用地に割り当て、1981年に建築がはじめられました。
サッカー場が4階建ての屋上(4階部分)にある独特なスタジアムを設計したのはアンリ・ポッティエ(パリの建築家)です。
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初代「ルイ・ドゥ・スタジアム」
1939年4月23日発行(モナコ) |
新「ルイ・ドゥ・スタジアム」計画図
1982年5月3日発行(モナコ) |
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