第6部 ワールドカップ、USA開催へ(1986〜1994年)
9.第15回ワールドカップ・USA大会 (1994) B
―スポーツ大国に、サッカーの新市場を求めてー
◆ 準々決勝
◇ イタリア対スペイン 2‐1
スペインは、1次リーグCグループをドイツに次ぐ2位で勝ち抜き、決勝ラウンド1回戦でもスイスを3対0で下し、勢いに乗っていました。しかし、試合開始当初からイタリア主導の展開となり、25分にディノ・バッジョにあっさりと先制のミドルシュートを決められてしまいました。しかし、58分にカミネロの放ったシュートがイタリアのベナリ―ヴォに当たり、コースが変わってゴール、同点に追い付きました。試合終了2分前、左サイドからのパスを受けたロベルト・バッジョにゴールエリアまでドリブルで持ち込まれ、GKまで抜かれて角度の無い、難しい位置からのシュートを決められ、敗れ去りました。
◇ ブラジル対オランダ 3‐2
オランダには、監督ディック・アドフォカートとの確執からルート・フリットの姿は無く、マルコ・ファンバステンも故障が癒えないままこの大会に臨むことになりました。DFの要クーマン、MFライカールトとFWベルカンプの活躍で準々決勝まで勝ち上がって来ました。
この試合が動いたのは後半に入ってからのことでした。51分と62分にロマーリオとベベットにゴールを決められ、勝負ありかと思われたオランダでしたが、ひるむことなく63分にはベルカンプがこの流れを食い止めるゴールを決めました。76分にはコーナーキックをビンターが頭で合わせ同点に追い付きます。しかし5分後、ブラジルのベテランDFブランコがフリーキックから放った強烈な左足シュートが鮮やかに決まり、オランダを退けました。
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本大会参加記念・切手左端に自国の試合日程シール付
(1994年6月1日発行・
オランダ) |
◇ ブルガリア対ドイツ 2‐1
11回連続してベスト8に進出した前大会の覇者ドイツのフォクツ監督は、ベルギー戦の後、「チームとしてのまとまりが出てきた。世界最高峰のプレイができた」と豪語しています。そのドイツが敗退する波乱が起きました。
試合開始後10分過ぎ、ドイツは立て続けにブルガリアにゴールを脅かされます。これをしのいで態勢を整えたドイツは後半開始早々49分に得たPKをマテウスが決めて先制、同国サポーター、は勝利を確信し狂喜しました。
勢いを増したドイツの攻撃を、ブルガリアのGKミハイロフを筆頭にディフェンス陣が必死に食い止めます。76分、ブルガリア・ストイチコフ(背番号8)がブッフバルトに倒されてフリーキックを得ました。ストイチコフが左足で蹴ったボールは、6人のドイツディフェンダーの壁を越え、ゴールネットを揺らしました。同点です。その3分後、今度は背番号9のレチコフが豪快なヘッドを決め、ブルガリアに追加点をもたらします。
しかし、まだ10分ありました。「最後には我々が勝つ、いつものように」というドイツサポーターの願いは届きませんでした。あまりにもあっさりとしたドイツらしからぬ敗退でした。
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本大会参加記念
(1994年2月10日発行・ドイツ) |
◇ スウェーデン対ルーマニア 2‐2 延長、 PK戦 5−4
ドラマの幕が開いたのは79分、スウェーデンがペナルティ右外で得たFKをミルドが前方へフィードし、壁の裏に走り込んだ10番の小柄なブローリンがシュートを決めました。終了間際、ルーマニアの9番をつけたラドチョウが同点ゴールを奪い、試合は延長戦へもつれ込みました。 勢いづいたラドチョウは延長前半11分に追加点をあげました。追い込まれたスウェーデンは延長後半10分、R.ニルソンからのセンタリングに
K.アンデルソンがジャンプし、GKプルネアを越す高い打点からのヘディングシュートを決め、2対2のまま延長戦は終了、決着はPK戦へ持ち越されました。
PK戦、スウェーデンの最初のキッカー、ミルドが外しましたが、ルーマニアの5人目ペトレスクの放ったシュートをGKラベリが足で弾き出し苦境を救いました。PK戦もサドンデスに突入。ルーマニアのペロデディチのシュートをラベリが今度は左手一本でこれを防ぎ、ルーマニアは、ベスト4進出を阻まれました。
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<スウェーデンをベスト4進出に導いたGKトーマス・ラベリ>
スウェーデンサッカー協会100周年記念切手とマキシマムカード
(2004年3月26日発行・
スウェーデン)
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―ちょっと寄り道―
「アメリカ・インディアンの“キックボール”」
「1994年のワールドカップは、サッカー不毛の地アメリカで開催された」としばしば表現されます。しかし近代サッカー(FA式サッカー)以前の先住民による「民俗サッカー」にまでさかのぼると話は少し違ってくるようです。
古代メキシコのボールゲーム、「フェゴ・デ・ペロタ」については、1968年メキシコオリンピックに際し発行された各国の記念切手の図案に採り上げられ、その存在を知りました。そして、1994年のワールドカップ大会を記念してリヒテンシュタインが発行した切手で知ることが出来たのが、アメリカ・インディアン「ホピ族・Hopi」の“キックボール”という競技です。
このキックボールについての知識を、残念ながら持っていませんが、メキシコ北部山岳地帯に住む山岳民族「ララムリ族」の競技「ララヒッパリ」(木製の球を蹴りあげながら、100km以上もの長距離を走り進む)に良く似ているのでは、と考えています。(この競技の模様はNHK-BSのドキュメンタリー番組として放映されましたので、ご覧になった方も多いと思います)。
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<ホピ族のキックボール>を描いた切手とマキシマムカード
(1994年3月7日発行・
リヒテンシュタイン)
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<ララヒッパリ>の
競技風景を描いた絵ハガキ
(1981年・ソ連製) |
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