第4部 ブラジル、ジュール・リメ杯永久保持へ(1962〜1970年)
5.第8回ワールドカップ・イングランド大会 (1966) A
― サッカーと切手の母国で開催 ―
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盗まれたジュール・リメ杯
大会前に「ジュール・リメ杯」が盗まれ、開幕前に発見された話題は多くの人々が知っていますが、その詳細は日本ではあまり語られていません。しかし、この事件には「サッカーの母国」であると同時に「切手の母国」でもあるイギリスならでの事情が潜んでいます。その顛末を詳らかにしておきます。
◆切手展会場に展示されていた
事件現場の写真が「サッカーマガジン」1971年7月増刊号<英国サッカー特集号>(ベースボール・マガジン社発行)に掲載されています(写真左下)。
一人の警官が立ってはいますが、あまり堅固な雰囲気はありません。
一般公開されていた場所は、ロンドン・ウェストミンスター寺院近く「ウエストミンスター・セントラルホール」です。展示スペースの壁面にスポンサーである
「THE WORLD CUP PROUDLY PRESENTED BY STANLEY GIBBONS」と記されていますが、スタンレー・ギボンズ社は英国最大の切手商で、1879年以来世界的に著名な切手カタログの発行元でもあります。
毎年同じ会場で開かれる「英国切手展・STAMPEX 」は、この年の3月18日から26日まで開催されました。同会場の一画に設けられた陳列ケースが壊され、ジュール・リメ杯が持ち去られる事件が起きたのは3月20日の午後のことでした。
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「英国切手展」
1961年開催記念カバー
特別記念印に開催場所
「CENTRALHALL
WESTMINSTER」
の表示入り
(1961年3月17日付・イギリス)
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英国切手展」特別記念消印付封筒 <スポーツと切手>がメインテーマだった。
(1966年3月18日付・イギリス) |
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「英国切手展」記念カード
過去にフランス、ブラジル、スウェーデンが発行したワールドカップ記念切手が、
あしらわれている。 |
◆犯人は切手収集に無関心だった
イギリスの警察による必死の捜査がおこなわれましたが、なかなか見つかりませんでした。面目を失ったFAは、最悪の事態に備え代わりのジュール・リメ杯制作をはじめたほどでした。
しかし、ジュール・リメ杯は幸運にも、盗まれてから1週間後にロンドン南部ノーウッドの生け垣の下で見つかりました。愛犬「ピクルス」を連れてデイヴィッド・コーベットさんが散歩の途中のことでした。生け垣の下の地面を「ピクルス」が掘り返し何かを発見しました。飼い主が新聞紙を破いてみるとジュール・リメ杯でした。
「THE SUNDAY TIMES」の記事による「Illustrated History of Football」では「ピクルス、リメ杯を発見!FAの窮地を救う!」の見出しでこの事件の顛末を伝えていますが、興味深いのは、「この犯人は少なくとも300万ポンドの価値のある希少な切手には関心がなく、たかだか3000ポンドの価値しかないジュール・リメ杯を盗んだ」と切手に関心の無い犯人を皮肉っています。
(固定相場制当時の交換レートは1ポンド=1008円でしたので、3千ポンドは約302万円に相等します)。
大会後イングランドの優勝セレモニーに招待された「ピクルス」は、お皿いっぱいのごちそうをきれいにたいらげたそうです。また飼い主コーベットさんにも報奨金6000ポンドが支払われました。
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優勝セレモニーに招かれた「ピクルス」
<「Illustrated History of Football」・HAMLYN社刊掲載> |
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