第4部 ブラジル、ジュール・リメ杯永久保持へ(1962〜1970年)
10.第9回ワールドカップ・メキシコ大会 (1970) A
― 世界のスーパースターの競演 ―
◆FIFA加盟の5割を超えた予選エントリー数
当時、FIFA加盟国・地域数は138でしたが、開催国メキシコと前回イングランド大会優勝国イングランドを含む71ヵ国・地域がエントリーしました。しかしながら北朝鮮はイスラエルとの対戦を拒否するなど、各地域予選は68の国・地域で、1968年5月19日から1969年12月14日まで行われました。
初めて本大会に出場することになったエルサルバドルが発行した、各国代表チームを描く16種類の切手で各地域代表を紹介します。(16種すべて1970年5月25日、エルサルバドル発行。
国名の後の( )内数字は本大会通算出場回数)
◇ヨーロッパ地域予選
29ヵ国を8グループに分けて行われ、各グループ1位が本大会へ進出しました。前回大会3位のポルトガル(グループ1で4位)と同ベスト8のハンガリー(グループ2、、プレイオフで、主力フロリアン・アルバートを欠いてチェコスロバキアに敗れる)は地域予選で姿を消してしまいました。
◇南米地域予選
10ヵ国が3グループに分かれて争い、ペルー、ブラジル、ウルグアイが本大会進出を決めましたが、アルゼンチンはグループ1で3位(最下位)に終わりました。アルゼンチンは開催国に立候補し、最後までメキシコと激しく争いましたが、本大会へすら進めませんでした。
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ブラジル (9) |
ウルグアイ (6) |
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ペルー (2) |
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◇北中米・カリブ海地域予選
12の国・地域の間で争われ、プレイオフでエルサルバドルがハイチを下し、初めての本大会進出を果たしました。なおUSAは、2回戦でハイチに0対2、0対1で敗れています。
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メキシコ (7) |
エルサルバドル (1) |
◇アジア・オセアニア地域予選
北朝鮮が棄権したことにより、アジア3ヵ国とオセアニア2ヵ国にアフリカのローデシア(シード)を加えた6ヵ国で争われ、イスラエルが本大会へ勝ち進みました。日本はオーストラリアと1対3、1対1、韓国と2対2、0対2の戦績に終わりました。
◇アフリカ地域予選
11ヵ国で争われ、3ヵ国によるプレイオフの結果モロッコが本大会へ初進出しました。
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イスラエル (1) |
モロッコ (1) |
◆ペレ、再びワールドカップの舞台へ
「もうワールドカップには出たくない!」、ペレはこう言い残してロンドンを去りました。前回イングランド大会初戦に脚をけられ負傷、2試合目を欠場、復帰した3試合目にも激しいタックルを受けリタイアを余儀なくされたことへの怒りでした。
時は過ぎて1969年8月に行われたメキシコ大会の南米地域予選6試合を、ブラジルは全勝し、なんなく予選を突破しました。そこには29歳になったペレの姿があり、ブラジルチーム合計23得点のうち、7得点(4試合)をあげる健在ぶりを披露し国民を安堵させました。
さらに、メキシコ大会の半年余り前の1969年11月19日、ペレは1000ゴールを決めました。ブラジルの、メキシコ大会におけるワールドカップ3度目の優勝の期待をいっそう高める快挙でした。
さっそく特別記念消印が11月25日から用いられ、11月28日には記念切手が、さらに翌年1月23日にも同切手を収めた小型シートが発行されました。
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ペレ、1000ゴール達成記念消印(左)と特別記念切手(右)
(1969年11月25日と28日・ブラジル) |
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ペレ1000ゴール達成記念カバー
(1970年1月23日発行小型シート、記念印付・ブラジル) |
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