第2部 サッカー郵便物資料の源流 (1924年以前)
1.サッカーの母国は「近代郵便制度の母国」
第1部「初期のサッカー切手」では、1924〜1945年までの記念切手をほぼ網羅しながら、他の郵便物資料(封筒・絵ハガキ・記念消印など)も紹介してまいりました。
第2部では、すこしさかのぼって「1924年のサッカー切手誕生以前のサッカー郵便物資料はどうなっていたのか?」という問題を考えてみたいと思います。
先ずは、イギリスの「サッカー」と「郵便」事情からはじめます。
<サッカーの母国の本家意識 (1924年当時)>
1924年、第8回オリンピック・パリ大会のサッカー競技は5月25日から6月9日まで行われました。大会後の7月29日に優勝したウルグアイが世界ではじめてサッカーの記念切手を発行したことはこの連載第1回で述べたとおりです。
このオリンピック・パリ大会について、イングランド・サッカー協会
(FA)は、「リーグ戦とカップ戦で忙しいから」と、参加を断ったそうです。当時のオリンピック・サッカー競技に対するFAの評価がうかがえる気がします。
<イギリス最初の記念切手 (1924年) >
オリンピック・パリ大会と同じ年の4月23日から11月にかけて、ロンドンでは「大英帝国博覧会」が開催され、56の国と地域が参加しています。(翌1925年の同時期にも再度開催)
会場となったのは、中世の古城のたたずまいを38.5メートルのツインタワーが引き立てているウェンブリ―・スタジアムでした。写真入り記念絵ハガキを紹介します。
絵ハガキの宛名面を見てみますと、同博覧会の記念切手とライオンを描いた特別記念印(1924年10月16日付)が押されています。
そして博覧会を観覧したお父さんは、子供あてに「We are Wembling quite fine & enjoyable a really wonderful show」と感想を書き入れることを忘れませんでした。
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「国際切手展 London 2010」記念マキシマムカード
「大英帝国博覧会」記念切手(2種中の1種・11/2 ペンス)
(1924年4月23日発行)が収められている国際切手展記念
切手(2010年発行)の拡大図入り。 |
ここに紹介した記念切手(同一図案2種)は、イギリス最初の記念切手(注1)で、博覧会の開会日にあわせ、1924年4月23日に発行されました。
注1) イギリス最初の記念切手として、1887年発行の「ヴィクトリア女王在位50年」切手(ジュビリー・シリーズ)をあげる説もありますが、発行後も1892年まで延々と発売され続けられたことなどから、在位50年にあわせてデザインを変更した普通切手とするのが一般的です。
― ちょっと寄り道 ―
記念切手にならなかったウェンブリ―最初の「FAカップ・ファイナル」(1923年)
ウェンブリー・スタジアムは大英博覧会会場構想とリンクし、1922年初めに着工。
1923年4月28日(「大英博覧会」のほぼ1年前)に、同スタジアム最初のFA CUP決勝(「FAカップ・ファイナル」)が行われました。
試合は、「ボルトン・ワンダラース」が2対0で「ウエスト・ハム・ユイテッド」を下して、臨席したジョージ5世から優勝杯を授与されています。
この試合は、収容人数127,000をはるかに上まわり(一説には200,000人とも)、押し寄せる観客はピッチにまであふれ、試合を開始出来る状況ではありませんでした。この大混乱を白馬に乗ったひとりの警官がみごとに整理し、試合は無事45分後に開始出来ました。以後この試合は「White Horse Final]として語り継がれることになりましたが、警官の名前はScorey, 白馬は13歳のBillyと伝えられています。
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「ウェンブリ―スタジアムの思い出」
「White Horse Final」<1923年の部分>
1923年から2007までに行われたウェンブリ―での10種の出来ごとが年代ごとに切手の両側のタブ(余白)に写真と解説入りで構成されている。
(2007年・イギリス発行) |
このように国民の熱狂的な人気を博したサッカーではありましたが、イギリスでは記念切手そのものが発行されておらず、ましてサッカーが記念切手の対象になることはまったく考えられませんでした。
(1937年になってから、FAカップの記念切手発行の構想が浮かび上がりましたが実現に至らなかったことは、第1部13回−ちょっと寄り道―で述べたとおりです。)
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