第1部 初期のサッカー切手
8.第2回ワールドカップ・イタリア大会(1934年) @
― ワールドカップ初の記念切手を発行 ―
1922年に政権の座に着いたムッソリーニは、スポーツの国際大会を開催し、勝利を収めることが国内統治と世界にイタリアの力を誇示する上で、大きな効果があると考え第1回大会の開催国にも立候補しています。
第2回大会のイタリア開催は、1932年5月FIFAのストックホルム総会を経て同10月8日、チューリッヒの小委員会で正式に決定されました。これを受けてイタリアは、大会の大々的な宣伝に取りかかり、ワールドカップ初優勝をめざし狂奔しはじめます。
この大会から、エントリーした32の協会により予選が行われましたが、前回優勝のウルグアイはエントリーすらしませんでした。ブラジルとアルゼンチンは参加したものの、最強とはいえないメンバー構成で、共に1回戦で姿を消してしまいました。
イタリアのポッツォ監督は、良くチームを統制し、決勝ではチェコスロバキアを延長戦の末、2対1で下し、念願の優勝を勝ち取りました。
1934年5月24日、ワールドカップ開催を記念する最初の切手が一挙に9種類(同一図案、印刷色違い3種を含む)も発行されました。
内容も多岐にわたっており、L. Ferri と A.Ortona の2人がデザインしたものですが、プレイヤーのたくましさが強調され、勝利への強い意志を感じさせてくれます。
また、航空便専用の切手4種類には、スタジアム上空を飛ぶ航空機が大きく描かれ、当時のイタリアの高揚した雰囲気が伝わってきます。
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トリノ・スタジアム上空を飛
Dornier−Wal 8t 型機 |
ローマ・スタジアム上空を飛ぶ
Dornier−Wal 8t 型機 |
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プレイヤーの頭上を飛ぶ
Savoia−Marchetti
S−55型機 |
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ボローニャ・スタジアム
上空を飛ぶ
Dornier− Wal 8t型機 |
第2回 ワールドカップ開催記念 1934年5月24日発行 (イタリア)
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― ちょっと寄り道 ― 決勝戦の実況中継
この大会当時の速報メディアはラジオでした。イタリアの放送局は世界9ケ国の主要都市のラジオ局に試合の模様を中継するサービスをおこないました。
決勝戦を実況中継したのは、ニコロ・カロージオ
(Nicolo Carosio、1907〜1984年)。
彼は1938年、第3回フランス大会の実況中継も担当しています。
ニコロ・カロージオ生誕100周年切手
2007年3月15日発行(イタリア) |
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