第5部 ワールドカップ変貌の始まり(1974〜1982年)
10.第12回ワールドカップ・スペイン大会 (1982)A
― 華麗なるプレイヤーたちの挑戦 ―
◆地域予選
この大会の本大会進出枠は、開催国と前大会優勝国をのぞいて、地域別につぎのとおり割り当てられました。
ヨーロッパ 13、 南米 3、 アフリカ 2、
北中米・カリブ海 2、 アジア・オセアニア 2
地域予選はこの枠をめざして、105(途中棄権のガーナとウガンダを含む)の国・地域が1980年3月26日から1982年1月10日までの間、行われました。
この予選段階で意外にも、1974、1978年両大会で準優勝という成績を残したオランダが、ヨーロッパ地域グループ2で、フランス、ベルギー、アイルランド、キプロスと戦い、グループ4位となり姿を消してしまいました。
日本は、アジア・オセアニア地域グループ4の準決勝で、北朝鮮に延長戦のすえ、0対1で敗れています。なお、1979年にFIFAに復帰した中国がはじめてワールドカップアジア・オセアニア地域予選に参加。同地域決定戦で3位と健闘し、注目されました。
◆ 本大会進出国
ヨーロッパ (14) |
スペイン(開催国)(6)、イタリア(10)、
フランス(8)、ハンガリー(8)、
西ドイツ(8)、チェコスロバキア(7)、
イングランド(7)、ユーゴスラビア(7)、
ベルギー(6)、
オーストリア(5)、
スコットランド(5)、ソ連(5)、
ポーランド(4)、北アイルランド(2) |
南米 (4) |
アルゼンチン(前大会優勝国)(8)、
ブラジル (12)、
チリ(6)、 ペルー(4) |
中米 (2)
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エルサルバドル(2)、ホンジュラス(初) |
アフリカ(2) |
アルジェリア(初)、カメルーン(初) |
アジア・オセアニア(2) |
クウェート(初)、ニュージーランド(初) |
注)太字国名は大会記念切手発行国 |
◆ 14の開催都市と大会公式ポスター
本大会の出場枠数が一挙に24と増え、試合数も38から52になったため、14の都市、17のスタジアムで開催されることに決まりました。
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大会記念小型シート
(シート地に14の開催都市を表示)
(1982年6月13日発行・パラグアイ) |
スペイン大会に際し制作された15種類のポスターは公式ハガキとしても販売されました。ヨーロッパ中の著名なデザイナーによるだけに、サッカー・アートとして魅力あふれる作品ばかりです。大会全体を代表的するホアン・ミロと3都市のポスター作品を)を掲げておきます。
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大会大会全体を代表するポスター
「Festival」 <ホアン・ミロ作>
スペインを代表するシュールレアリズムの著名な画家。ワールドカップをお祭りとしてとらえ、リズミカルに明るい色彩で表現している。 (大会記念切手にも採り入れられている) |
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サラゴサのポスター
「Stadium God」 <Folon 作>
ジャン=ミッシェル フォロンは1934年ベルギー生まれ。グラフィック・デザイナーとしてオリベッティ社(イタリア)のタイプライター広告などを制作。 |
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エルチェのポスター
「Lady and dounanier」<Kolar作>
アンリ・ルソー(1844〜1910)の絵画「フットボールをする人々(1908)と1897年にエルチェで発見された紀元前4世紀頃の婦人像「エルチェの貴婦人」がモチーフとなっている。なお、douanier(ドワニエール)は税官吏をさすが、ルソーが元パリ市の税官吏だったことに因むものと思われる。なおルソーの絵のラグビー・ボールはサッカー・ボールに代えてある。 |
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バルセロナのポスター
「Kick」 <タピエス作>
アントニ・タピエス(Antoni Tapies) はスペインの現代芸術家。バルセロナ生まれ。FCバルセロナの100周年記念切手(1999年発行)もタピエスがてがけた。 |
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