第4部 ブラジル、ジュール・リメ杯永久保持へ(1962〜1970年)
1.第7回ワールドカップ・チリ大会 (1962)@
◆苦難を乗り越えての開催実現
開催地がチリに決定したのは、1956年6月にポルトガルのリスボンで開かれたFIFA総会においてでした。
しかし、1960年5月22日にチリ沿岸は大地震に襲われ、壊滅的な被害を受け、アルゼンチンでの代替開催まで検討されました。これに対し、同年10月のFIFA総会でチリ・サッカー協会会長カルロス・ディトボルンは「すべてを失ったチリでこそ大会は開催されるべきだ」と強く主張し、同国開催は再度確認されました。ただ残念なことにディトボルン会長は開幕まで1ヵ月あまりとなった1962年4月に亡くなり、大会を見届けることは出来ませんでした。
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カルロスCarlos・Dittbornの肖像
チリ・サッカー協会創立100周年記念
4種中の1種
(1995年11月13日発行・チリ)
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大会初日の5月30日に、チリは大会開催記念切手4種と小型シート1種を発行しました。
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第7回ワールドカップ開催記念
初日カバー(特別記念消印付)
(同一デザイン2種類を印刷色・額面金額を変えて4種にした) |
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同開催記念小型シート
4種の記念切手(無目打)が収められている。
(1962年5月30日発行・チリ) |
◆地域予選
過去最多となる56ヵ国・地域がエントリーし、最終的に49チームの間で予選が行われました。
◇ヨーロッパ・アジア・アフリカ予選
全体を10グループに分けて行われましたが、主要国としては、前大会準優勝国のスウェーデンと同3位のフランスが敗れる番狂わせが起きています。
●グループ9 (8チームから1)
スペインとウェールズの他にアフリカの6ヵ国が組み入れられました。プレーオフでスペインとモロッコが対戦しましたが1−0、3−2でスペインが勝利し本大会出場権を獲得。
●グループ10 (4チームから1)
ユーゴスラビアとポーランドの他に韓国と日本が組み入れられました。日本はワールドカップ挑戦2度目でしたが、韓国に1−2、0−2で敗れました。韓国はユーゴスラビアとのプレーオフで1−5、1−3で完敗、ユーゴスラビアが本大会へ進みました。
◇北中米・カリブ海予選 (8チームから1)
7ヵ国・地域でプレーオフ進出をかけた試合が行われ、メキシコが進出。南米のパラグアイと対戦、1−0、0−0で勝利し、本大会へ進みました。
◇地域別本大会進出国
(16チーム) *( )内は本大会出場回数
ヨーロッパ (10) |
チェコスロバキア(5)、イタリア(5)、ハンガリー(5)、
ユーゴスラビア(5)、スイス(5)、イングランド(4)、
西ドイツ(3)、スペイン(3)、ソ連(2)、ブルガリア(初) |
中米 (1) |
メキシコ(5) |
南米 (5) |
チリ(2)、ブラジル(7)、ウルグアイ(4)、
アルゼンチン(4)、コロンビア(初) |
北米、アジア、アフリカ (0) |
*上記の太字・斜体国から記念切手が発行されました。 |
ハンガリーは、本大会へ勝ち進んだ16ヵ国の国旗を、2ヵ国ずつ描いた記念切手8種類と小型シート1種類を発行しました。
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本大会出場記念 〈菱型切手〉 |
本大会出場記念小型シート
(1962年5月21日発行・ハンガリー) |
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