第4部 ブラジル、ジュール・リメ杯永久保持へ(1962〜1970年)
11.第9回ワールドカップ・メキシコ大会 (1970) B
― 世界のスーパースターの競演 ―
◆過酷な条件で行われた本大会
1970年1月10日、メキシコシティのマリア・イザベルホテルで1次グループリーグの組分けが決まり、本大会は5月31日から6月21日まで行われました。
高温(30°Cを超える)と2,000メートル以上の高地都市での試合については、1968年のメキシコ・オリンピックでの経験を活かし、事前合宿などの対応をとったチームもありました。しかし、今回は、TV生中継を意識して真昼に開始される試合の増加という新たな課題が追加されました。
この過酷な条件下での試合に対応し、2人までならいつでも選手交代を認めるルール改正が実施されました。また、懸案のラフプレイ対策として1968年メキシコ・オリンピック大会から導入された、カードによる『警告』(イエローカード)、『退場』(レッドカード)の明示が継続採用されました。
◆グループリーグからスーパースターが競演
下記の結果で、予想外の出来事は少なかったといえます。しかしながらスーパースターたちの競演は、この段階からすでにはじまっていました。
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1位 |
2位 |
3位 |
4位 |
1組 |
ソ連 |
メキシコ |
ベルギー |
エルサルバドル |
2組 |
イタリア |
ウルグアイ |
スウェーデン |
イスラエル |
3組 |
ブラジル |
イングランド |
ルーマニア |
チェコスロバキア |
4組 |
西ドイツ |
ペルー |
ブルガリア |
モロッコ |
◇第3組:ブラジル対イングランド 1対0
前回大会優勝チームと3度目の優勝をめざす両チームの対戦で、早くもペレとゴードン・バンクスの競演が見られました。18分、右サイドからのジャイルジーのポスト逆へのセンタリングにペレがジャンプ、ヘディングでボールを地面へ叩きつけます。そのまま「ゴール」と思われた瞬間、ニアポストからバンクスは横っ跳びしてボールを片手でバーの上に弾き出していました。
試合は後半14分、攻め上がったトスタンからのパスを受けたペレが右へ流し、走り込んだジャイルジーニョが決めブラジルが勝利しましが、後にペレはバンクスの奇跡的なプレイを、「私が見た最高のセービング」と評しています。
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FA公式記念カバー“Willi goes to Mexico”
(Williは1966年大会マスコット)
イングランド対チェコスロバキア 1−0
(1970年6月11日・イギリス) |
◇第4組:ゲルト・ミューラーの登場
グループリーグ3試合の西ドイツの10得点のうち7点を記録したのがゲルト・ミューラーでした。なんと2試合連続(ブルガリア戦とペルー戦)してハットトリックを達成する活躍ぶりでした。
◆ワールドカップ史に残る逆転劇
6月14日、準々決勝の西ドイツ対イングランドは、前回大会で優勝を争ったチームによる因縁の対戦でした。
イングランドには、前回大会決勝に出場した5人の選手(主将ボビー・ムーア、ボビー・チャールトン、マーチン・ピータース、アラン・ボール、ジェフ・ハースト)がいましたが、GKゴードン・バンクスの姿はありませんでした。準々決勝の2日前に飲んだビールが原因で腹痛にみまわれ、控えのピーター・ボネッティがゴールを守ることになったためです。
バンクスは、1次リーグ3試合で失点わずか1、ペレのシュートを防いだプレイでレフ・ヤシン(ソ連)の跡を継いで、「世界最高のGKの座に着いた」といわれはじめた矢先のアクシデントでした。
西ドイツチームにも、前回大会の雪辱を期す5人の選手(主将ウーベ・ゼーラー、シュネリンガー、ヘッティゲス、ベッケンバウアー、オベラート)が出場し、試合は開始されました。(後半から出場したシュルツも前回大会の決勝戦メンバー)
31分に先制、49分に追加点をあげたのはイングランドでした。
西ドイツ(第2次世界大戦前のドイツを含む)のイングランドに対する苦手意識は、過去の対戦記録*に表れており、この時点での2点差はとてつもなく大きく選手達にのしかかっていたと思われます。
(*1908年4月20日から1966年7月30日まで12連敗。1968年6月1日の親善試合で、西ドイツはベッケンバウアーの得点により、初めてイングランドを破っています。)
試合時間が残り少なくなった68分、攻め上がったベッケンバウアーの放った低いシュートが決まり、81分にはゼーラーのゴールを背にしたゆるやかなヘディングが、そのままゴールに吸い込まれ同点。試合は延長戦にもつれ込みました。
延長後半、グラボウスキーからのセンタリングにレーアが走り込み、頭で折り返したボールをミューラーが右足ボレーでゴールへ叩き込んで3対2と逆転、準決勝への切符を手に入れました。
この大逆転は、西ドイツ・シェ―ン監督が2点差をつけられて間もなくの57分にとった選手交代(リブダ→グラボウスキー)からはじまりました。この大会から認められた選手交代による、ゲーム展開の立て直しが可能であることを証明した采配でした。
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イングランド戦のミューラー
の逆転ゴール場面
(延長108分)
(1973年10月8日発行・
パラグアイ)
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―ちょっと寄り道―
「ワールドカップのテレビ放送が全面的にカラー化」
1970年ワールドカップ・メキシコ大会では、テレビの衛星中継が全面的にカラーで放送されました。スポーツ大会のテレビによる衛星中継は1964年の東京オリンピックが最初で、日本とUSA間で電話用の通信衛星を使って行われました。1968年のメキシコ・オリンピックでも、衛星によるカラー中継が行われました。1966年ワールドカップ・イングランド大会では、ケーブル回線による国際生中継が欧州の国にむけて行われました。
1970年メキシコワールドカップの衛星中継の様子を描いた記念消印が、西ドイツのデュイスブルグで開かれた「メキシコ大会記念・サッカー切手展」で用いられました。
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サッカー切手展記念カバー
(特別記念消印日付:
1970年6月9日・西ドイツ) |
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