第3部 ワールドカップ・世界的イベントへの道(1950〜1958年)
8.第5回ワールドカップ・スイス大会 (1954年)D
◆歓喜の勝利、そのとき西ドイツの国民は?
当時、サッカーの世界最強国と恐れられたハンガリーを破った西ドイツの人々は、その喜びをどう表現したのでしょうか?
ラジオ・アナウンサーのヘルベルト・ツィンマーマン(1916〜1966年)による決勝戦の中継は有名であり、映画「マリア・ブラウンの結婚」や「ベルンの奇蹟」などでも触れられています。「ベルンの奇蹟」のプログラムから引用してみます。
『シェーファーがクロスを入れる。ヘディング。クリアされた。ラーンが深いところにいる。打て。ラーンがシュート! ゴール! ゴール! ゴール! ゴール!』
『ドイツがゴールしました。ドイツが3対2でリード。やったー! やりました!』
「この実況は、戦後ドイツが再び誇りを取り戻すきっかけになった」としばしば紹介されてきましたが、同プログラムには、『ツィンマーマンは感情的になりすぎたと激しく非難された。複数の新聞で、その喜び方があまりに国家主義的だったと批判の的となる。』とも述べられています。
「栄光のドイツサッカー物語」(明石真和著・大修館書店)には、『ドイツ、ワールドカップ初優勝。当時を知る年配のドイツ人に話を聞くと、みんな今でも、「あのときは声を上げて泣きました!」と、感激を語ってくれる。』と記されています。ツィンマーマンの南米スタイルの中継とは少し違って、ドイツの人たちは、もっと心の奥底でその喜びをかみしめた様です。
サッカーの郵便物資料でみてみますと、この優勝を記念する切手の発行はなく、特別な記念消印なども用いられていません。それらを目にするのは20年が経過し、1974年第10回ワールドカップが西ドイツで開催される頃からのことです。
「ベルンの奇蹟」後の西ドイツ代表の主な戦績は次のとおりです。
1958年 ワールドカップ 4位
1966年 ワールドカップ 2位
1970年 ワールドカップ 3位
1972年 ヨーロッパ選手権 優勝
そして迎える第10回ワールドカップは、同国の建国25周年にあたりました。上述の戦績を積み重ねた時点で、西ドイツサッカーの根源を「ベルンの奇蹟」に求める風潮が出はじめたと考えられます。
「ベルンの奇蹟」が記憶され、語り継がれ、やがて伝説となっていく経過を1974年以降の同国郵便物資料でたどってみました。
なお、映画「マリア・ブラウンの結婚」の制作も意外に新しく、1979年でした。
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フリッツ・ヴァルターの
署名入り記念カバー
1974年ワールドカップ開催記念サッカー切手展
(1974年2月1日・
ハノーファー局特別記念印付)
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ヘルベルガーの署名入り記念カバー
1974年ワールドカップ開催記念サッカー切手展
(1974年5月15日・
コブレンツ局特別記念印付)
1954年スイス大会決勝用の特別記念印(スイス)が採り入れられている。
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「ベルンの奇蹟40周年」特別記念消印
(1994年5月8日・フランクフルト局) |
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ゼップ・ヘルベルガー生誕100周年
(1897〜1997)記念初日カバー
(1997年1月16日・
ボン局特別記念印付) |
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フリッツ・ヴァルター生誕80周年
記念カバー
(2000年10月31日
特別記念印付・肖像・署名入り)
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「ベルンの奇蹟・50年記念」
(2004年「スポーツ振興シリーズ」
5種中の1種)
(2004年2月5日発行) |
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