第5部 ワールドカップ変貌の始まり(1974〜1982年)
2.第10回ワールドカップ・西ドイツ大会 (1974) A
― 西ドイツ建国25周年を祝う大会 ―
◆FIFA第7代会長にアベランジェを選出
大会の前の1974年6月11日、フランクフルトで開かれたFIFA第39回総会で、新しい会長にジョアン・アベランジェ(Joao Havelange)が選ばれました。
ウルグアイは、「各種会議開催記念切手」で、このFIFA総会を取りあげ、南米初のFIFA会長の誕生を伝えています。
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FIFA総会開催記念カバー
(1974年6月11日付
特別記念消印付、
西ドイツ)
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「各種会議開催記念」
(1974年8月30日発行・ウルグアイ)
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◆激しい争いだった会長選挙
アベランジェに対抗して争ったのは、イギリス人のスタンレー・ラウス( Stanley Rous)でした。ラウスは第6代FIFA会長として、1961年以来13年間務めており、サッカー界の主導権をヨーロッパで保時しようと訴えました。
これに対しアベランジェは、ワールドカップ出場枠の拡大や20歳以下の世界選手権大会の創設構想などを掲げ、南米・アジア・アフリカなどの支持を拡大していきました。これに加えて、東欧がアベランジェを支持したことが投票結果を左右したと言われています。1973年の地域予選プレイオフで、ソ連はチリと対戦しました。モスクワでの第1戦は引き分け(0対0)でした。第2戦はサンチャゴのナショナル・スタジアムで行われる予定でしたが、ソ連は「チリ軍部により政治犯が処刑された場所」として変更を要求しましたが、FIFAに受け入れられず棄権してしまいました。このFIFAの対応を不満とするソ連に東欧諸国が同調したためでした。
なお、会長選の投票は122人で行われ、結果は次のとおりでした。
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第1回投票 |
第2回投票 |
アベランジェ |
62票 |
68票 |
ラウス |
56票 |
52票 |
白票 |
4票 |
2票 |
出典:「盗まれたワールドカップ」
デヴィッド・ヤロップ著・アーティストハウス刊 |
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第7代会長(1974〜1998年)
ジョアン・アベランジェ
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第6代会長(1961〜1974年)
スタンレー・ラウス |
FIFA100周年記念 (2004年・アフガニスタン発行) |
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