第6部 ワールドカップ、USA開催へ(1986〜1994年)
10.第15回ワールドカップ・USA大会 (1994) C
―スポーツ大国に、サッカーの新市場を求めてー
◆準決勝
◇ イタリア対ブルガリア 2対1
21分、復調したR.バッジョが左タッチラインからのドナドーニのスローインを受け、そのままするすると2人のイブルガリアDFをかわして抜けだし、右のインフロントにかけたシュートは低い弧を描きゴールのサイドネットに突きさりました。
なおもイタリアは攻撃の手を緩めることなく、MFアルベルティーニが自由にピッチを駆け巡り、ブルガリアを圧倒、5分後にはアルベルティーニとのパス交換から、 R.バッジョが再び鮮やかなシュートを決めて2対0としました。その後イタリアの攻撃が沈静化します。ジャイアンツ・スタジアム(ニューヨーク)で16:00にキックオフされた試合はうだるような暑さの中で展開され、猛攻をしかけたイタリアにも疲れが見えはじめました。これに救われたブルガリアは反撃に転じ、44分MFシラコフの
技が相手DF陣のファウルを誘い、PKを得ます。これをストイチコフが確実に決め、1点差としました。しかしながら、後半はイタリアディフェンス陣を崩すことが出来ず力つきました。
◇ ブラジル対スウェーデン 1対0
1次リーグB組、1対1で引き分けた両チームによる再度の対戦でしたが、前半を終わって0対0でした。ブラジルが終始スウェーデンを圧倒する展開でしたがゴールを奪うまでには、いたりませんでした。
63分、ブラジルのドゥンガと激しく競り合っていた主将のテルンがラフプレーで退場となり、スウェーデンの勝ちは遠のいてしまいました。
80分、ジョルジーニョが上げた右サイドからのセンタリングをロマーリオが頭で合わせ、待望のゴールが生まれました。そのまま試合終了。ブラジルのシュート数29に対し、スウェーデンはわずか3本に過ぎませんでした。
◆3位決定戦
スウェーデン対ブルガリア 4−0
準決勝でブラジルに敗れたスウェーデンでしたが、気落ちすることなく、次々と
得点を重ね、ブルガリアに快勝、3位を獲得しました。敗れたブルガリアでしたが、
ストイチコフは6ゴールをあげ、ロシアのサレンコと並んで大会得点王を獲得しました。
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本大会参加記念初日カバー
(1990年5月11日発行・
スウェーデン) |
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3位決定戦進出記念小型シート
(加刷)
1994年12月15日発行・
ブルガリア)
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ブルガリアの英雄ストイチコフ
ブルガリアのサッカースター
(2004年5月25日発行
・ブルガリア) |
◆ 決勝 ブラジル対イタリア 延長0−0 PK 3−2
ブラジルの優勢かと思われていましたが、イタリアは負傷から復帰した主将フランコ・バレージの奮闘で、守勢ながら延長戦を含む120分まで守りきりました。ワールドカップ初のPK戦による勝負となりました。イタリアの1人目のバレージが外してしまいますが、ブラジルもマルシオ・サントスも失敗します。二番手アルベルティーニ、ロマーリオ、三番手エバー二、ブランコと次々に成功し、2対2。4番手のマッサーロが外したのに対し、ドゥンガはキッチリと決めました。イタリアの5人目のキッカー、ロベルト・バッジオの蹴ったボールは、バーの上を超えていき決着がつきました。
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決勝戦記念カバー
(1994年7月17日付
PASADENA局印・USA) |
◆ ブラジルサッカー100年目の快挙!
1970年の優勝以来、6大会ぶり、4度目の栄冠に輝いたブラジルは1994年12月5日に優勝記念小型シートを発行しました。
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ブラジル
ワールドカップ4回目の
優勝記念小型シート
(1994年12月5日発行・
ブラジル) |
1994年は、ブラジルサッカーにとって大事な節目の年でした。大会開催に先立って、5月19日にUSA大会記念切手1種を発行していますが、これには「ブラジルサッカー100年」を記念する意図が込められた切手でもありました。
1894年10月、サンパウロ生まれのチャールズ・ミラーが留学先のサウサンプトンか
ら2個のボールなどを持ち帰り、地元にサッカークラブを創設したことをもってブラ
ジルサッカ―がはじまったことに因むものです。
ブラジルサッカー協会の創設は1914年で、アルゼンチン(1893年)やチリ(1895年)、
ウルグアイ(1900年)よりも遅れています。
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ブラジルサッカー
100年記念初日カバー
(1994年5月19日
特別記念消印付・ブラジル) |
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