第6部 ワールドカップ、USA開催へ(1986〜1994年)
1.第13回ワールドカップ・メキシコ大会 (1986)@
― マラドーナ、世界の頂点へ ―
◆ メキシコ開催までのいきさつ
1986年大会は、コロンビアで開催されることに決まっていました。なんと大会の20年も前の1966年7月6日のFIFA総会で、会長もスタンレー・ラウスのときの決定でした。
コロンビアは、1982年スペイン大会を記念する切手を発行していますが、そのシート地の上と下には、『 COLOMBIA 1986 』と表示されています。
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スペイン大会記念切手シート
(コロンビア・プロリーグの14チームと6万人収容の
バランキ―ジャ・スタジアムを描く)
(1982年6月21日発行・コロンビア) |
しかし、1980年代に入ると、コロンビアの政治・経済の情勢は悪化し、麻薬供給元の存在や社会的不安から、大会開催が危ぶまれはじめました。しかもワールドカップの本大会出場チームは24に増加していました。そしてついに、1982年10月25日、コロンビア大統領ベタンクールは大会開催返上の声明を発表しました。
1983年5月20日、スウェーデンのストックホルムで開かれたFIFA理事会で、メキシコが代替開催国に決まりました。(メキシコの他に、ブラジル、カナダとUSAが代替開催国として立候補)
◆ 地域予選
開催国メキシコと前大会優勝国イタリアを除いて、116の国と地域による地域予選が組まれましたが、6チームが棄権し、110チームで争われました。
アジア地域グループ4Bを首位で突破した日本は2次予選でも香港を下し、1954年スイス大会予選以来の韓国との最終予選の対決でした。第1戦が1対2、第2戦が0対2で、2敗し本大会初出場を逃がしました。韓国にとっても1954年以来32年ぶりの本大会出場となりました。
なお、オセアニア地域予選にはオーストラリア、ニュージーランドの他にイスラエル、チャイニーズ・タイペイが参加しました。
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オセアニア地域予選開催
特別記念印
(1985年9月3日印・イスラエル)
<イスラエル 6対0 チャイニーズ・タイペイ>
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ワールドカップ本大会進出
記念はがき
(1986年5月31日発行・韓国) |
◆ 本大会進出国
ヨーロッパ (14) |
イタリア (前大会優勝国) (10)、
西ドイツ(9)、ハンガリー(9)、
フランス(9)、イングランド(8)、
ベルギー(7)、スペイン(7)、
スコットランド(6)、 ソ連(6)、
ブルガリア(5)、ポーランド(5)、
北アイルランド(3)、ポルトガル(2)、
デンマーク(初)
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南米 (4) |
ブラジル(13)、アルゼンチン(9)、
ウルグアイ(8)、 パラグアイ(4)?
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北中米 (2)
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メキシコ(開催国)(9)、カナダ(初) |
アフリカ(2) |
アルジェリア(2)、モロッコ(2) |
アジア・オセアニア(2) |
韓国(2)、イラク(初) |
注)太字国名は大会記念切手発行国 |
―ちょっと寄り道―
「女性アーティストが手がけたFIFA創立80周年記念切手」
1984年5月21日、FIFAは創立80周年をむかえました。この日、ブラジルはこれを記念する小型シートを発行しました。切手部分にはFIFAの紋章を配し、シート地に過去12大会のワールドカップのロゴマークと両チームの攻防場面が描かれています。
デザインしたのは、Martha Poppeです。彼女は1974年ワールドカップ・西ドイツ大会以来、ブラジル発行のサッカー切手のデザインを担当し続けています。サッカー切手以外にも、1975年の国際婦人年「花を持つ女性」は、同年の「もっとも美しい切手」に選ばれています。
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FIFA創立80周年記念
初日カバー
(1984年5月21日発行・
ブラジル) |
Poppeがデザインしたサッカー切手については、本連載第5−4-(1974年大会)、第5-8(1978年大会)、第5-11(1982年大会)で紹介ずみですが、この後も登場します。
なお、未紹介の1974年大会のもう1枚を掲げておきます。ブラジルサッカー切手は彼女が担当するようになってから、華やかさが加わったと感じる各品です。
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1974年ワールドカップ・
西ドイツ大会記念マキシマム・カード
(切手とカバーは共にPoppeのデザイン)
(1974年8月5日発行・ブラジル) |
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