第5部 ワールドカップ変貌の始まり(1974〜1982年)
5.第10回ワールドカップ・西ドイツ大会 (1974) D
― 西ドイツ建国25周年を祝う大会 ―
◆決勝戦: 西ドイツ 2対1 オランダ
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オランダ代表 |
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西ドイツ代表 |
開始2分、オランダは早々と先制しました。クライフの突破にフォクツがかわされ、へ―ネスの伸ばした足がクライフを倒して得たPKからの得点でした。倒したへ―ネスは、この大会の記念切手のモデルになった選手です。(第5部その1参照)
この決勝戦は、多くの日本人もテレビの生中継(東京12チャンネル)で観戦することができましたので、この先制点で、「やはりオランダが優勝か?」と思った方も多かったことでしょう。両チームの決勝までの下記の戦いぶりから見て、それは当然だったと思います。
オランダ |
戦績 |
得点 |
失点 |
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1次リーグ(3組) |
2勝1分 |
6 |
1 |
失点1はオウンゴール |
2次リーグ (A組) |
3勝 |
8 |
0 |
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西ドイツ |
戦績 |
得点 |
失点 |
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1次リーグ(1組) |
2勝1分 |
4 |
1 |
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2次リーグ(B組) |
3勝 |
7 |
2 |
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その後もオランダが試合の主導権をにぎっているかのように見えましたが、前半25分に西ドイツが同点に追い付きます。オベラートからのパスを受けたヘルツェンバインが、左から強引にペナルティエリアに突っ込んだところを今度はヤンセンに倒され、PKをブライトナーが決めたものでした。
試合は振り出しに戻りましたが、主導権は明らかに西ドイツに渡っていました。そして前半43分、右サイドからボンホフがドリブルで攻め上がり、低いクロスボールを送り、これをトラップしたミューラーが、反転して左すみに流し込んで、西ドイツは2対1と逆転しました。そして後半、両チーム無得点で、西ドイツが1954年以来となる2回目の優勝を果たし、新しい優勝杯を最初に手にしました。
オランダはスピード感にあふれ、「全員で攻め」(14得点)「全員で守る」(失点1)で勝利を積み重ねて決勝まで到達したチームでした。そして決勝でも電撃的な攻めで先制するという流れは変わりませんでした。しかし、同点に追いつかれ、逆転を許すシナリオは描けていなかったように思えます。
決勝では敗者にはなりましたが、オランダはクライフを筆頭に、ニースケンス、レンセンブリンク、クロルなどのタレントに恵まれた魅力あふれる「オレンジ軍団」でした。
決勝の戦いぶりを見て、西ドイツチームが1972年のヨーロッパ選手権で優勝していたことを思い出させてくれました。ワールドカップで優勝したのは「西ドイツがオランダより、もっと強かった」といえましょう。
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西ドイツ優勝記念大会公式カバー
(7月7日付特別記念印、
ベッケンバウアー自筆サイン入り) |
―ちょっと寄り道―
「 “幻” 2題」
<西ドイツ編> 幻の入場券
この大会の決勝戦では、決着が着かなかった場合には、2日後の7月9日に再試合が行われることになっていました。もし再試合が行われていたら、結果は同じだったでしょうか?
<オランダ編> 幻の優勝記念切手
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大会記念切手
(1974年7月5日発行・
オランダ) |
オランダは7月5日に記念切手を発行していましたが、快進撃の様子を見て 上記の切手に「オランダ ワールドカップ‘74優勝者」と加刷した優勝記念切手10万枚を決勝戦前に印刷ずみで、全部で750万枚の発売を予定していたと、サッカーマガジン1974年9月号「ワールドカップ広場」は報じています。
一方、優勝した西ドイツは、優勝記念切手は発行しませんでした。しかしながら次のような決勝戦を思い起こすような2対1のスコア入り優勝記念シールが作られています。
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優勝記念シール
(ブライトナー、
シェ―ン監督、
ミューラ―) |
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