第6部 ワールドカップ、USA開催へ(1986〜1994年)
7.第15回ワールドカップ・USA大会 (1994) @
―スポーツ大国に、サッカーの新市場を求めてー
◆ USA開催実現
1988年7月4日のFIFA理事会で、立候補していたUSA、モロッコ、ブラジルの中から、1994年ワールドカップの開催地をUSAとすることが決定しました。
少年時代を南ドイツで過ごして以来「ずっと熱烈なサッカー・ファン」を自認するヘンリー・キッシンジャー元・米国国務長官は、「キッシンジャー博士の地球診断」<華麗な戦略 国民性を競う>(1986年6月29日付・読売新聞)で、「サッカーのオールドファンとして、このスポーツを米国で大衆化させる新たな試みがなされるよう期待する。その手っ取り早い方法のひとつは、1994年に予定されているワールドカップを米国で開催することだろう。」とUSA開催への期待を述べています。
◆ 地域予選
1991年当時のFIFA加盟協会数は166でしたが、1992年には179にまで増えました。背景として、ソ連、旧ユーゴスラビアの連邦解体などがあげられます。
予選参加申し込み数は、1992年当時146でしたが、実際に試合を行ったのは128の国・地域でした。地域予選の結果と概況はつぎのとおりです。
なお、1992年5月30日の国連による制栽(「国際スポーツ大会への出場停止」)を受けていた新ユーゴスラビア連邦(セルビア、モンテネグロ)は、予選参加を許されませんでした(新ユーゴスラビアの国際大会出場が許可されたのは、1994年11月のこと) 。
そのような新ユーゴスラビアですが、USA大会の記念切手2種類(国名表記文字違い)を発行して、その存在を主張しています。
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USA大会記念切手・タブ付
(1994年6月10日発行・ユーゴスラビア)
注)「タブ」は上記切手の右側についている
切手状の金額表示のない
シール部分。
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◇ 本大会進出国
ヨーロッパ (13) |
ドイツ(前大会優勝国)(13、含む西ドイツ)、
イタリア(13)、スウェーデン(9)、
スペイン(9)、ベルギー(9)、
ロシア(9、含むソ連)、スイス(7)、
オランダ(6)、ブルガリア(6)、
ルーマニア(6)、アイルランド(3)、
ノルウェー(2)、ギリシャ(初) |
南米 (4) |
ブラジル(15)、アルゼンチン(11)、
コロンビア(3) 、
ボリビア(3) |
北中米 (2) |
USA(開催国)(5)、メキシコ(10) |
アフリカ(3) |
モロッコ(3)、カメルーン(3)、
ナイジェリア(初) |
アジア(2) |
韓国(4)、サウジアラビア(初) |
注)太字国名は大会記念切手発行国 |
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本大会初出場記念
(1994年6月6日発行・ギリシャ)
右側部分に、紀元前5世紀の古代ギリシャのレリーフに描かれた「ボール遊びをする男性」を採り入れている。 |
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本大会初出場記念 2種
(1994年6月18日発行・サウジアラビア) |
◇ 地域予選概況
ヨーロッパ地域予選では、イギリス勢(イングランド・スコットランド・ウェールズ・北アイルランド)は全滅、フランス、デンマーク(1992年ヨーロッパ選手権優勝国)、チェコスロバキア、ハンガリー、ポーランド、ポルトガルとオーストリアも姿を消してしまいました。
南米では、ウルグアイが、チリがロハス事件で出場資格を失っていたにもかかわらず、予選で敗退しました。
「悲劇」とよばれる、「フランス」と「日本」の最終段階での敗退に加えて、「ザンビア」は航空機の墜落により、17名の選手、コーチ、サッカー協会会長までを失う悲痛なものを乗り越えての挑戦でしたが、アフリカ予選2次予選グループBで2位と健闘しましたが、一歩及ばず敗退しました。
―ちょっと寄り道―
「女子サッカー 2題 」
◆第1回「FIFA女子世界選手権」の開催
女子サッカーについては、第2部2「イギリスのサッカー絵ハガキ」でふれていますが、第2次大戦後の1950年代後半に、再び姿を現しました。
しかしFIFAの対応は鈍く、各国協会や各大陸別連盟に任されている状況が続き、やっと1970年に実状調査を実施し、1979年に女子サッカーをその管理下に置くことと決定しました。それから7年後の1986年に「女子フットボール委員会」が設置されるという、誠に悠長な動きでした。
1991年、待望の「第1回FIFA女子世界選手権」の本大会が中国で、12チームにより開催され、USAが優勝しています(第4回から「FIFA女子ワールドカップ」に名称を変更)。
日本チームは、「アジア女子選手権」で準優勝し、本大会への出場権を得ましたが、ブラジル、スウェーデン、USAに相次いで敗れています。
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第1回「FIFA女子世界選手権」
開催記念切手2種と
マキシマムカード
(1991年11月16日
特別記念印付・
中国)
※このカードは当時北京訪問中の成田十次郎さんからご提供いただきました。 |
◆ 最初の女子サッカー切手
1981年9月9日に台湾から2種類の女子サッカー切手が発行されています。これは同年6月に香港で開催された「第4回アジア女子選手権大会」に優勝した台湾の「木欄隊」というチームの試合風景を描いたものです。私は、これを世界最初の女子サッカー切手だととらえています。なお、この大会には、初めて正式な日本女子代表チームが組織化され参加しました。1次リーグで敗退していますが、記念すべき初勝利をインドネシアからあげています。
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第4回アジア女子選手権
優勝記念初日カバー
(1981年9月9日発行・台湾) |
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