第5部 ワールドカップ変貌の始まり(1974〜1982年)
1.第10回ワールドカップ・西ドイツ大会 (1974) @
― 西ドイツ建国25周年を祝う大会 ―
第10回大会の開催地が西ドイツに決定したのは、1964年の東京オリンピックに際して東京で開かれたFIFA総会においてでした。(1970年第9回大会のメキシコ開催決定と同時)
西ドイツの建国25周年を祝う大会でしたが、1972年のミュンヘン・オリンピックの際に起きたアラブゲリラによる選手村襲撃事件や、1973年の第4次中東戦争(エジプトがシリアと共にイスラエルを攻撃)に端を発した「第1次石油危機」など、政治不安と経済危機により国際関係は緊迫、会場付近もものものしい警備態勢が敷かれました。
◆新しくなった優勝杯
1970年メキシコ大会でブラジルが3度目の優勝を達成し、ジュール・リメ杯を同国が永久保持することになりました。そのため、リメ杯に代る新しい優勝杯がつくられ、1971年4月5日にチューリッヒ(スイス)で披露されました。53もの中から選ばれた新しい優勝杯を制作したのは、イタリアの彫刻家シルビア・ガザニナ(Silvia Gazzaniga)でした。
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大会開催記念絵ハガキ
新しい優勝杯(FIFAトロフィ)
開催都市、本大会参加国国旗が
描かれている。
(1974年・西ドイツ)
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◆西ドイツ最初のワールドカップ記念切手は2種類
7名による32種類のデザイン案が検討され、1974年5月15日、開催記念切手2種類が発行されました。
1種類目は、ブンデス・リーガの試合場面で、GK「ホルスト・ボルター」(HORST WOLTER、ヘルタ・ベルリン所属)を写しています。
2種類目は、1973年10月13日の西ドイツ対フランスの親善試合における攻防場面で、「ウリ・へ―ネス」(ULI HOENESS、バイエルン・ミュンヘン所属)をとりあげています。
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ホルスト・ボルター
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ウリ・へ―ネス |
開催記念初日カバー(特別記念消印付)/ 原画写真・自筆署名入り
(1974年5月15日発行・西ドイツ) |
※開催記念切手検討用のデザイン原案資料 (1974年・西ドイツ)
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