第1部 初期のサッカー切手
14.第3回ワールドカップ・フランス大会 (1938年)B
― ブラジルが3位獲得 ―
この大会にウルグアイは最初から参加せず、アルゼンチンも最終段階で不参加を表明しました。唯一南米から参加したブラジルは、6月19日の3位決定戦でスウェーデンを4対2(前半1対2)で下し、7月11日に帰国しています。
帰国記念絵ハガキには、大会得点王のレオニダス(通算7得点)のほか主力選手の顔写真が配され、白地の部分には同国の5試合(再試合を含む)の対戦相手とスコアが記載されています。
帰国記念絵ハガキ
1938年7月11日消印付
(ブラジル)
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白地部の拡大
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ブラジルの戦績 |
試合日 |
対戦相手 |
スコア |
レオニダス
の得点 |
6月5日 |
1回戦 |
ポーランド |
6−5 |
3 |
6月12日 |
準々決勝 |
チェコスロバキア |
1−1 |
1 |
6月14日 |
再試合 |
チェコスロバキア |
2−1 |
1 |
6月16日 |
準決勝 |
イタリア |
1−2 |
不出場 |
6月19日 |
3位決定戦 |
スウェーデン |
4−2 |
2 |
― ちょっと寄り道 ―
FIFA
に背を向けるソ連 (1935・1938年)
イングランド同様、FIFAと行動を共にしない国がありました。1922年に成立したソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)です。
1917年の革命によりニコライ2世が退位し帝政が崩壊。翌年共産党による一党独裁体制が樹立され、レーニンの時代(1918〜1924年)を経てレーニンのあとを継いだスターリンの時代は、1927年スターリンが主導権を確立し1953年に亡くなるまで続きました。
スポーツに関しても、ソ連は1921年「レッド(赤色)・スポーツ・インターナショナル」(RSI)を組織し、労働者階級の団結を図り、海外への拡大もめざし、1928年8月に「第1回国際スパルタキアード」をモスクワで開催しています。
サッカーについても、ディナモ・モスクワのような政治色の強いチームを支援しています。(同チームは1926年ドレスデンに遠征)「FIFAはブルジョワ組織である」との考えにより、ソ連としてのFIFA加盟を拒否し続けました。(1946年ソ連としてFIFAに加盟)。
なお、ロシアとしては帝政時代の1914年に「全ロシアサッカー組合」がFIFAに加盟しています。
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国際スパルタキアード開催記念
1935年4月22日発行(ソ連)
(10種中の1種がサッカー) |
青年コミュニスト・リーグ
(COMSOMAL)
20周年
1938年12月28日発行(ソ連)
(8種中の1種がサッカー) |
※ソ連のRSIは、1920年、労働者体育・スポーツ組織「社会主義者労働者スポーツ・インターナショナル」(SASI)が反共主義を標榜したことに対抗して組織されました。
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