8.
ドイツでの最初の練習
◆「日本式練習を見たい」
1960年8月19日、日本選手がデュイスブルクのスポルト・シューレに着いた翌日、朝9時から最初の練習が始まった。
クラマーさんは「日本で、みんなは平生どんな風な練習をやっているのか、それをまず知りたい」とおっしゃった。
早速、高橋英辰監督のホイッスルで、いつも日本でやっているような柔軟体操からはじめた。ダッシュ、ドリブル、サイドキック、パス、コーナーキック、シュートなど分刻みの練習を、選手たちは次から次へと時間通りキビキビとこなした。
最後に、クラマーさんの提案で、二手に分かれ、紅白試合をやった。途中からクラマーさんも入ってプレーを楽しんだ。
下の芝生は極上。選手の動きは悪くない。久しぶりの練習で気持ちもハイだ。ボールはポンポン弾んでめまぐるしい。「長い旅をして、疲れているのではないか」と少なからず心配していた私(中条)の目には、意外なほど好調だと映った。
◆基本的な技術がない
ところが、クラマーさんは、すぐに日本選手の「欠点」を見抜いていた。
「ボールを扱う基本的な技術がない。キックもヘディングも不正確。とくにロングパスが極めて拙い。コーナーキックとフリーキックが思うところへ飛んでいない。紅白試合では、目先の狭い地域の動きにとらわれて、全体の流れをみる目がない。まるで臆病な競馬ウマが目の覆いをしてプレーしているみたいだ」
ただし「長所はある。それは敏捷でスピーディ、反応が早く、小回りがきくところだ」。この点は、かって恩師ヘルベルガーがベルリン・オリンピックで感じたこととまったく同じたった。
以上が初日午前のクラマーさんの第一印象だった。
◆マニュアル練習の欠点
クラマーさんは当時を振り返ってこう語る。
「日本チームの練習は、あまりにもマニュアルにとらわれ過ぎていた。マニュアルは必要だが、練習は何のためにやるか。欠点や弱点を直すものだ。直らなければ、ほかの練習をやめても、その練習を徹底して続けるべきだ。時間割どおりの練習は、統制がとれているようだが、機械的で練習上手になるだけだ。試合から離れてしまう。個性までもなくなる」
「メキシコ後、横山謙三君が日本代表監督のとき、たまたま練習を見に行ったことがある。驚いたことに、デュイスブルクの時と同じように、ホイッスルを吹いて時間割通りのマニュアル練習をやっていた。目の前で、選手が欠点をさらけ出しているのに、監督もコーチも指摘しない。その欠点が直るまで、ほかの練習をやめても徹底的に続けるべきなのに」
「ゲームは教科書だ。ゲームを見れば選手の能力はすぐ分かる。紅白試合でチームの中心の八重樫は、若くてスピーディだった。すばやくフリースペースへ走っていた。だが、ボールを受け取っても、肝心の処理する技術がなかった。モタモタしていて、相手にとられることが多かった。いちばんいい選手がこれだから、ほかは推して知るべしだった。だが、八重樫の名誉のために言っておくが、その後、彼は努力し、東京オリンピックまでに国際級といえるほど、技術は長足の進歩をとげた」
◆ボールリフティング
デュイスブルクでの初日の午前の練習後、クラマーさんが自らボールリフティングのデモンストレーションを見せてくれた。グラウンドの端から端まで、一度も地面に落とすことなく運んだ。
当時は、ボールリフティングが今ほどやられていなくて、このパフォーマンスには、みんな舌を巻いた。横のグラウンドでプレーしていた少年たちが、クラマーさんを真似て同じように失敗することなくリフトしたので、またまた仰天した。数人の日本選手がトライしたが、数メートルも続かなかった。
「ただし」と、後にクラマーさんはこう言っている。
「ボールリフティングは余興でやるものだ。サッカーとは何の関係もない。ボールリフティングをやれば、サッカーが上手になるわけではない。イタリアには一度に8個のボールをリフティングする男がいたが、サッカーはからきしダメだった」
◆キックの練習だけ
その日の午後、はじめてクラマーさんが、日本選手をコーチしてくださった。ところが、約2時間の練習で、やったのはキックの基礎練習だけ。
一人一人にキックさせ、「サイドキックは足首をきちんと固定して、狙う方向へきちんと正確に振り抜く」などと、クラマーさんは声をかけて回る。これでは、まるで初心者の練習だ。
高橋監督が「こんな練習は、日本ですでにやっていることだ。もっと別のことを知りたい。時間の無駄だ」と周囲にささやく。これから数カ国を回って試合をする予定だから、試合の前に、こんなのんびりした基礎練習をやっていていいものか、とあせる高橋監督の気持ちも分からないではない。
クラマーさんが、通訳の成田君に「タカハシは何といっているのか」と聞いている。成田君は「時間の無駄だ」と訳すべきかどうかで困った顔をしている。不謹慎だが、私はこの会話を聞いて笑いたくなる。
|
1960年8月、スポルトシューレでの指導風景。左から高橋監督、通訳の成田氏、宮本征勝選手、(その後ろ)助手のドイツ選手。右端がクラマーさん。
|
◆「正確に、正確に」
敏感なクラマーさんは、「タカハシが何と言っているか先刻承知だよ」という顔をしながら、おかまいなしに休みなくキック練習を続けさせる。盛んに「ゲナウ シュピーレン」と声をかける。
「ゲナウ」は正確にという意味だ。日本選手が最初に覚えたドイツ語は、この「ゲナウ」ではなかろうか。
クラマーさんが、ときどき実演してみせる。日本選手の誰よりも、すごい勢いで正確をきわめている。サイドキックは20メートルくらい先の目標に、一直線に寸分たがわずとんでいく。これには、まったく脱帽だ。出来ない選手は、出来るまで、それこそ徹底的にやらされる。
◆ペンデルでヘディング
翌8月20日は雨。グラウンドでの練習をやめ、大体育館へ。高い天井。ボールを思いきりぶっつけてもビクともしない頑丈な造り。こんなの日本にはない。
そこでペンデルというものを初めて見る。天井から紐でボールを吊るしたものだが、「ヘディングが下手なドイツ選手のため、ヘルベルガーが考案したものだ」とか。
早速、クラマーさんが模範を示してくれる。小柄な体が躍動して、頭で撥ね返されたボールは、ものすごい音を立てて勢いよく飛ぶ。「やってみなさい」の声で、平木主将がトライするが、ボールが頭に当たらない。体のバランスを失う。八重樫がやっても、なかなかうまくいかない。
従来、日本でやっていたヘディングは、イングランド式ともいえるもので、ボールが頭に当たると同時に、飛ばす方向に首を大きく動かすものだった。だが、ドイツでは、首を上半身にきちんと固定し、体全体を飛ばす方向へ動かす。この方がボールの勢いがまるで違う。より合理的だ。ペンデルはドイツ式に最適だ。
それにしても、クラマーさんの模範プレーのすごいこと。どこにあんな力があるのだろうか。ボールが割れそうな勢いで飛んでいく。体が小さいクラマーさんは、ヘディングが苦手で、少年時代には毎日3、4時間ペンデルの練習をしていたという。
★ クラマーさんとの会話(8) 「心やさしさが欠点」
中条 子供のころからサッカーのできる環境が、欧州にはあるが日本にはない。だから日本は強くなれないのだ、と昔はよく言っていました。でも、いまはたくさん芝生のグラウンドができたし、トレーニング法は進歩したし、栄養もいい。サッカーをやる環境は随分よくなりました。非常に恵まれてきたわりには強くならない。
クラマー 世界全体のレベルはびっくりするくらい、どんどん上がっている。世界中が心血をそそいで、あらゆる努力を重ねながら、マラソンのスピードで進歩しているのに、日本のスピードはジョギングだった。いや、最近はタンゴを踊っている。1歩進んで2歩後退かな。
中条 いやあ、手きびしいですね。
クラマー 長沼や岡野は、世界に出しても決してヒケをとらない優れた指導者だった。でも、約20年間、日本はオリンピックにも出られなかった。たぶん彼らはやさし過ぎたからだと思う。叱ることができない。怒ることも必要だ。私なんか、怒り過ぎるので、長沼のやさしさを見習いたいくらいだ。
中条 日本人は、あるところで妥協するんですね。ドイツ人みたいに徹底的にやれない。食うか食われるかの世界だ、ということが選手も、よく分かっていない。世界の国々には、必ず浮き沈みがあります。日本は2002年を、ある種の頂点にしてまた下り坂になる。そんな予感がします。
クラマー さあ、それは私にもわからない。言えることはきびしさを失ってはならないことだ。欠点を指摘できない心やさしさが、日本の欠点だね。
「クラマー取材ノートから」に対するご意見・ご感想をおよせください。
こちらから。
|