(40)メキシコへの道
◆周到な3つの準備
「恩師ヘルベルガーから学んだ最大のことは何ですか」と聞いてみた。クラマーさんは直ちに答えた。
「サッカーでいちばん大切なのは周到な準備である。準備なくして勝利はありえない。これが若いころから受けた最大の教えだ」
クラマーさんは続ける。
「準備とは何か。わかりやすく説明すれば3つに分類できる」
「まず最初は、自分のチームの準備だ。試合を経験すること。反省すること。トレーニングすること。自分のチームに合ったプランを決め、それを選手に口で説明するだけでなく、グラウンドで何回も反復練習すること。試合や練習の前後での選手との話し合いも大切だ」
「さらに考えなくてはならないのはコンディショニングだ。ヘルベルガーは食事にも気を使った。合宿では、何週間もの食事プランを作っていた。休養、睡眠も大切だ。自チームの完璧な準備は選手の自信と闘志につながる」
「2番目は、相手チームの評価だ。相手の長所、短所、タイプを正しく評価し、その戦法、意図、特徴をつかむことだ。レベルの高い相手、体力のある相手には、それなりの対策を講じなければならない」
「防御を強固にし、常に攻撃の可能性をさぐるべきだ。相手の試合やビデオを見るのがいいが、それができなければ新聞の試合経過や権威者の戦評。これは意外に役に立つものだ」
「3番目は、天候やグラウンド状態など試合環境に対する対策だ。日本では雨の日でも深く考えずに、水たまりの中でドリブルしているのを見かけることがある。まったく理解できないことだ。スイスでのワールドカップのハンガリーとの決勝の日は雨だった。ヘルベルガーはアディダスと相談し、シューズのポイントを調整して成功した。風や日照の強弱が試合を左右することがある。メキシコの高地では、早くからそれなりの対策を講じておくべきだろう」
「選手たちは日常生活のなかで、常によい準備をしておこうという心掛けが最も大切だ。生活をコントロールし、個人個人が基礎体力の向上に努める意志がいちばん肝心なことだ」
◆2年続けてメキシコ遠征
長沼監督に率いられた日本代表は、1968年10月のメキシコ・オリンピックを前にめまぐるしく国際試合をこなした。
1月に西ドイツ・オリンピック代表と、3月から4月にかけてメキシコ、オーストラリア、香港に遠征して5試合、5月にはイングランドからアーセナルを招いて3試合、7月にはソ連、チェコ、オランダ、西ドイツに遠征して9試合と、まさに東奔西走だった。試合経験を積むこと、これこそ最大の準備だった。
前年、メキシコでは仲介者の手違いで試合ができなかったが、1週間のトレーニングで高地経験の糸口をつかんでいた。3月26日本番の会場となるアステカ・スタディアムでのメキシコ・オリンピック代表との試合は0−4で敗れたが、前半は0−0だった。
カナダ経由の長旅、異常な乾燥、時差、機内でのアクシデントで、着いた直後の練習では、ほとんどの選手がめまいを覚えるほどだったが、3日後の試合としてはまずまずの出来ばえだった。
7カ月のちの10月24日の3位決定戦で、日本が2−0で雪辱するとは、メキシコ側は想像もできなかっただろう。本番前の2度のメキシコ遠征は、それだけの効果があったといえよう。
◆心強い釜本の進歩
クラマーさんは、1月東京での西ドイツ・オリンピック代表との試合を見たのち、FIFAコーチとしてオーストラリアで指導していた。日本代表が3月29日ホノルル経由でメキシコからシドニーに着いた時、空港に出迎えた。日本代表選手たちは意外な場所での再会を喜んだ。
オーストラリア代表とは、1勝1敗1分の成績だったが、釜本の素早いシュート力が目を引いた。釜本はドイツのザールブリュッケンで3カ月デアバル監督の指導を受けたのち、単身メキシコに向かい、チームに合流していたものだ。
68年5月、クラマーさんは韓国でコーチングコースの仕事をしていたが、日本代表とアーセナルの試合を見るため東京に行った。そこで、釜本が国際級のゴールを挙げるのを見た。クラマーさんは、言った。
「アーセナルのコーチが、自分たちが毎日練習してもやれないような、すごいヘディングを決める日本選手がいたので、びっくりしたと言っていた」
「釜本はいろんな面から見て、世界のどこでも通用する国際選手になった。もともと強健で体が大きく、左右からシュートができヘディングが強くなった」
クラマーさんは、勝利のための『武器』に成長した釜本に、メキシコでの成功を予感していた。
◆相手の情報収集
FIFAは6月6日、ローマで開いた抽選会でメキシコ・オリンピックの組み合わせを決めた。1次リーグの相手は、ナイジェリア、ブラジル、スペインだった。長沼監督も、岡野コーチも、東欧諸国が同組にいないのでホッとしていた。東欧はアマチュアと名乗っているが、実質プロの力を持っていた。「1次リーグは突破できる」と踏んだ。
だが、困ったことがあった。ブラジルやスペインの情報は手に入れやすいが、問題はナイジェリアだった。どういうところから情報を得ようかと困っていたら、ある日、岡野宛てにラゴスから航空便が届いた。
「私は大洋魚業の駐在員だが、1回戦で日本はナイジェリアとやるようだが、お手伝いできることがあったら、何でもします」
と書いてあった。天の助けだった。それで、「どんな試合でもいいから、最近の試合の新聞記事を送ってほしい」と返事したら、ナイジェリア代表の最近ニュースを載せた新聞やスポーツ雑誌がドサリと届いた。そこから貴重な情報を得た。
◆ヒゲを生やしたメキシコ人
記事にバックスのロック・セグンとある。ああこれはロックだから体が大きくて頑丈な選手だな。VCテンとあるのは、当時の英国のジェット旅客機の名前だからスピードがあるんだな、という風に体の大きさや右利きか左利きかなど、記事を克明に読んで特徴を調べた。
雑誌などに載った相手選手の写真を引き伸ばし、その選手と相対する日本選手に配布した。バックスの宮本征勝は、自分がマークする相手フォワードの写真をベッドの天井に貼って、日夜相手の顔をにらみつけていた。
問題は、現地入りして相手チームの練習を偵察できるかどうかだった。だが、ほとんど秘密練習で、練習場の入り口で、すべての外国人はシャットアウトされた。ところが、メキシコの練習の時、平木が「オーラ」とかなんとか言って入り口を通ると、意外にも「OK」と無事通してくれた。
陽に焼けた平木はそのころ髭を生やしていた。メキシコ人だと思われたのだ。それから後、平木はもっぱら偵察係をやった。
メキシコで、くちヒゲを生やした平木コーチ(左)。 |
現地の日本大使館にも、新聞や雑誌の収集を頼んでおいた。大使館はじつによくやってくれた。大量の資料を整理分析するのは、岡野と平木だった。クラマーさんはいう。
「平木はおだやかな性格で物静かで、いつもニコニコしているが、実に仕事のできる男である。平木は予測出来る準備のすべてをやってくれた。完璧なマネジャーだった」
オリンピック後、クラマーさんは世界選抜チームの監督になった。クラマーさんは選抜チームのマネジャーに平木を起用した。
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クラマーさんとの会話(40) 「失敗をおそれない気持ち」
中条 何度も話題にしますが、日本人はシュートが下手ですね。
クラマー 例えば、原因の一つに失敗をおそれすぎることがある。失敗をおそれれば失敗する。
中条 精神的なものですか。
クラマー 昔、サウジにいた時、テニスのビヨン・ボルグと食事したことがある。彼は「サーブをする時、失敗したらどうしようでなく、絶対にサーブを決めるんだという気持ちが大切だ」と言っていた。サッカーでも「どうしても得点するんだ」という気持ちが大切だ。
中条 なるほど。
クラマー すべてをポジティブに考える強い意志と自信が大切だ。「ゴールに入ってくれよ」と祈るのでなく「入れるんだ」という強い意志だ。日本人はそこらあたりが欠けている。釜本は別だが。
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