5. 落下傘兵だった
◆戦争を知らぬコーチ
クラマーさんと話していて「オヤ」と思ったことがある。日本で有名なコーチ(名前を秘す)の話をしている時だった。
「彼は非常に有能なコーチだ。よく勉強をしているし、外国語も上手だ。だが、一つだけ欠点がある。それは戦争を経験していないことだ」
私は少なからず驚いた。日本とドイツは、かって米英露仏らの連合軍と戦ったことがある。だが、それはもう60年以上も前の話ではないか。
いまの若いコーチやこれからコーチの勉強をする人たちは、戦争を経験しようにも簡単に経験できるものでもない。日本の右翼的な人が「近ごろの若い者は、軍隊がないからたるんどる」という風に言わないわけではないが、一笑に付されるだけだ。
それなのに、クラマーさんは「戦争を知らないのが欠点だ」という。
これは無理な注文ではないか。
◆戦争はいけない
クラマーさんが、日本で選手やコーチを指導している時、戦争の話などあまりされなかった。戦時中は落下傘兵をしていて、終戦と同時に捕虜になったことは聞いていたが、努めて戦争のことを避けているようにも感じられた。
専門雑誌に、捕虜になった話が載ることがあったが、データが不正確で場所がソ連だったり、イタリアだったりとまちまちだった。
個人的には、クラマーさんが広島に行った時に、一度だけ私が原爆で両親を失った話をしたところ、クラマーさんは、「電気技師をめざしていた私の弟ホルストも、兵士に狩り出されベルリンの攻防戦で亡くなった。終戦の1週間前だった。18歳の若さだった。戦争はいけない。どんな理由があったとしても、戦争はいけない」と話された。
最近も、ドイツの海外派兵が話題になったが、「絶対反対だ」と激しい口調でおっしゃった。
それなのに、まるで「コーチは戦争を経験しろ」といわんばかりの言葉は、たいへんな矛盾(?)ではないか。
◆生存者は5%
ライトイムウインクルのご自宅で、クラマーさんは、私がしつこく質問したせいもあって、戦時中の思い出をポツリポツリと話してくださった。死すれすれの経験を何度かされたようである。
「私は17歳で兵役につき、ずっと落下傘部隊にいた。フランス、ロシア、イタリア、アフリカと転戦した。最初1万人で編成されていたわが部隊だったが、終戦時は500人、つまり5%しか生き残れなかった」
「アフリカ戦線からロシアのミンスクに向かう途中、12人乗りの飛行機が撃墜され、地中海に6時間漂っていた。シチリア島の漁師に助けられ、親切にも懸命に看病してくれて一命をとりとめることができた」
「アフリカでは、相手の戦車をねらって落下し、前後から攻めて成功したことがある。事前に共同作戦をじっくり練り、各自の役割を決めて綿密に打ち合わせた。まるで、サッカーでゴールを狙う作戦のようだった」
「オランダで終戦を迎えたが、私は19歳で将校になり、20歳で隊長をやっていた。運河のほとりで武装解除された時のことを昨日のことのように、よく覚えている。兵士はみな釈放されたが、私ひとり身の回りのものを剥ぎとられ、アムステルダムに連行され、日夜ぶっ通しで尋問を受けた。死と常に隣り合わせだった。不思議に、収容されていた部屋番号A4−8を覚えている」
その後、マラリアがぶり返し、食事も喉に通らず、痩せこけて半死半生状態になった時、突如解放された。結局、軍隊生活3年、捕虜生活1年だった。
◆絶対に死なない
「戦時中、私はポジティブに生きることを学んだ。絶対に死なないと強い気持ちでいると死なないものだ。逆に、物事を悲観的に考える人達は、たいてい死んでしまった」
「見かけだけの優等生のような、いつもハイハイと言って柔順な、いわゆる良い子タイプの兵士は、実戦になると、からきし頼りにならない。逆に、平生悪ぶっている不良少年タイプの兵士は、いざという時に異常な力を発揮し、役に立つ活躍をした。ここらあたりもサッカーと同じだ」
「私は若くして隊長に抜擢された。幼児からいきなり大人になったようなものだった。いつまでもガキのままでおれなかった。私の判断に数百人の命が懸かっていた。決断力と実行力が要求された」
「戦後、恩師ヘルベルガーが、24歳の私をデュイスブルクのスポルト・シューレの主任コーチに抜擢してくれたのは、軍隊での指導力、決断力を買ってくれたからだと思っている」
◆命を張ってコーチせよ
クラマーさんは、日本に来て日本選手と同じ宿に泊まり、平気で畳に寝て、一緒に風呂に入った。タクワンと味噌汁の食事を食べた。命を削るような軍隊での生活を思うと、そんなもの苦労でも何でもなかったわけだ。
そこらあたりから、冒頭のような「戦争を経験していないウンヌン」の言葉になったのだろうか。命を張ってコーチせよ、ということかもしれない。
★ クラマーさんとの会話(5) 「セックスしなくても死なない」
中条 昔は、ドイツの代表選手が合宿する時、2人1部屋だったようですが、何か意味があったのでしょうか。試合での選手同士のコンビネーションがよくなるとか。
クラマー 単に経済的な理由からだと思うよ。1人1部屋の方が選手のプライバシイーが守れるし、良いに決まっている。だが、最近は、奥さんが訪ねてきたり、恋人を連れ込んだりと、いろいろ問題が起きているらしい。
中条 エッ、そうですか。じゃあ、昔は全部禁欲だったのですか。
クラマー そうに決まっているじゃないか。74年にドイツが優勝した時などは、1カ月も前から女性を近づけなかった。選手全員それを忠実に守った。だから優勝できた。優勝にくらべればセックスなんて小さなことだ。
中条 それは、それは。
クラマー 人は、食べなかったら死ぬかもしれないが、セックスしなくても死なない。戦争に行く兵士のことを考えて見給え。
真面目な顔をして、こう言うクラマーさんに、私は大笑いしてしまった。
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