31.
フランツ・ベッケンバウアー
◆いまでもクラマーは「監督」
ベッケンバウアーは1945年9月11日ミュンヘン生まれ。ドイツのサッカー史上最高の選手だ。
クラマーさんは、ベッケンバウアーのことを話し始めると、自分が育てたという自負があるのだろうか、次から次へとエピソードが飛び出して、話しが止まらない。
ベッケンバウアーとクラマーさん。
(提供:クラマーさん) |
「先日(2005年9月17日)テレビのトークショウに出た。アナウンサーから『ベッケンバウアーの後を継ぐものは誰か』と聞かれた。マテウス、クリンスマンの名前が出たが、私は『いやいや、この二人を合わせてもベッケンバウアーの足元にも及ばないよ』と答えた。ベッケンバウアーは少年のころから器用でテニスなど球技は何でもできた。その才能は天性のものだった。そして誰よりも努力した」
「ベッケンバウアーはドイツ代表監督(86−90年)になった。現役選手に交じって紅白試合をやったが、見ていた新聞記者たちが『オヤ、オヤ、引退したベッケンバウアーがいちばん上手じゃないか』とびっくりした。彼はどんな局面でも、軽々とエレガントにプレーした。手柄をひけらかせない謙虚な男だった。だがユース時代、私が教えていたころは血気盛んな若者で、熱血漢でファイターだった」
「偉くなっても昔のままだ。いまでも、まったく普通に行動し、偉ぶったところがない。私が中国にいた時(97−2002年)、ベッケンバウアーが中国に来てくれた。一緒にテレビに出たが、中国のアナウンサーが神様のように崇め奉ったが、彼は普通の父親。税金に悩むし、離婚もする。『サッカーがやれて、それで商売もできるし、幸せだ』と言っていた。人間的にも偉大な男だ」
「彼の結婚の立ち会い人を私がやった。私の家の前のチロル街道を、車で20分ばかり行ったところに、いま彼は住んでいる。私のことをいまでも『監督さん、監督さん』と呼んでいる」
◆ユース代表に抜擢
「バイエルンにすごい少年選手がいる」
クラマーさんが風の便りに、ベッケンバウアーの名前を初めて聞いたのは1962年夏だった。そのころ、まだデュイスブルクのスポルト・シューレの主任コーチをやっていた。
ベッケンバウアーは最初「1860ミュンヘン」でプレーしたかったようだが、62年の誕生日前の16歳のころバイエルン・ミュンヘンに誘われ、ユース・チームでプレーしていた。
クラマーさんがデュイスブルクのスポルト・シューレの主任コーチから退いたのは63年12月31日。翌日の64年1月1日付けで、西ドイツ協会コーチに就任した。
ヘルベルガーの命令で、クラマーさんは西ドイツ・ユース代表チームの監督をやることになった。当面の目標は64年4月にオランダで開かれるヨーロッパU18選手権で勝つことだった。
西ドイツ協会はこのU18選手権に備えて、すでに2年前からスポルト・シューレ時代のクラマーさんを中心に準備を始めていた。西ドイツ全土には16歳以下の少年が約200万人いる。その中から有望な選手を、一人残らず探し出そうというプランだった。各地にスカウトのネットワークを張りめぐらした。
実際に自分の目で見なければ信じないクラマーさんは、全土を回って有望なユース選手を探し、定期的にデュイスブルクにそれら選手を集めて合宿や練習試合をやった。
そのころ、スカウトの一人、バイエルン・ミュンヘンのユース・コーチのルディ・バイス氏(法律家)からドイツ協会に手紙が来た。評判のベッケンバウアーについて書いてあった。手紙には、ベッケンバウアーのいい面もマイナス面も書いてあった。
クラマーさんは、とにかくベッケンバウアーを直接見てみよう、デュイスブルクに連れて来い、と合宿練習に参加させた。
ひと目みて、将来ドイツを背負うすばらしい選手だと判った。4月のU18選手権に使うべきだと思った。
◆子持ちのユース
ところで、手紙のなかで、バイスが一つの問題点として指摘していたのは、ベッケンバウアーにはすでに子供がいることだった。中学を出て保険会社に就職し、まだ見習いをしている17歳のころ、同僚の女性と知り合って子供が生まれたと書いてあった。
ユース代表に子供がいる、これはドイツ・サッカー史上前代未聞の「事件」だった。
ドイツ・サッカー連盟のユース担当委員会はカールスルーエ大学の教授が会長で、委員には教育者がずらりと並んでいた。これらお堅い教師たちをどう納得させるか、これまた大問題だった。ある週末に開かれたユース委員会とドイツ・サッカー協会上層部との合同会議は、果たして揺れに揺れた。
クラマーさんは、ヘルベルガーにもぜひ出席してもらうよう手配し、ひとこと言ってもらうことにした。ヘルベルガーはクラマーさんの隣にすわった。いろんな合図として、テーブルの下で足を踏んづけることにしていたが、ヘルベルガーが何度も踏むので、クラマーさんの靴がすっかり汚れてしまった。
◆クラマーさんが教育係
ヘルベルガーは有名な監督であると同時にすぐれた心理学者だった。「クラマーが今度連れてきた選手はフリッツ・ワルターよりもすばらしい選手だとクラマーが言っている」と口火を切り、「みなさん方でも若いころ恋をした経験がおありでしょう。その経験談をお聞きしたいものです」と言ったら、雰囲気が和らぎ、若いころの武勇伝や自慢話まで延々と話し出す委員が出て来た。作戦成功。
「若い者には過ちがあるが、未来がある」という話になって、とうとう委員会を納得させてしまった。ヘルベルガーは最後にこう言って席を立った。
「いろいろお話が聞けて楽しい時間をありがとう。クラマーがベッケンバウアーを起用することに賛成してくださりありがとう。ただし、ベッケンバウアーは今回キャプテンにはしません。クラマーがサッカーだけでなく、生活全般の保護者になるとの但し書きをつけます。人間的に未熟なところはクラマーが教育をします」
★
クラマーさんとの会話(31) 「スカウト網」
中条 有望少年を捜し出すため全土にスカウト網を張りめぐらす。いかにもドイツらしいですね。
クラマー いや、ドイツだけではない。どこのクラブでもやっていることだ。例えばマンチェスター・ユナイテッドは、イングランドやスコットランドだけでなく、アフリカ、南米など世界各地にスカウト網を持っている。
中条 スカウトにはお金は払うのですか。
クラマー 定期的にちょっとした金を払っている。いい選手を見つければ若干の褒賞金が貰える。トップ・リーグまで上がればボーナスが貰える仕組みになっている。ジョージ・ベストは、そんな形でスカウトされた1人だ。
中条 どんな人がスカウトをやっているのですか。
クラマー 大抵は小学校の先生だ。ベルファーストの路地裏でサッカーをやっている少年は、普通なら永久に発見されない。そんな少年を見つけだすのは先生たちしかいない。
中条 ドイツのクラブもやっていますか。
クラマー ブンデスリーガは下部組織を持つことを義務づけている。バイエルン・ミユンヘンには少年や下部リーグにブラジルやペルーからもやってくる。だが、残念なことにUEFAは欧州以外は3人までしか出場できなくなった。バイエルンでスタメンがドイツ人2人、あと9人は外国人ということもある。ドイツの若い選手が出られなくなっている。世界全土に広がるスカウト網は、意味がなくなりつつある。
「クラマー取材ノートから」に対するご意見・ご感想をおよせください。
こちらから。
|