第12部 「トヨタカップ」 日本で競うクラブ世界一
2.ジーコ、フラメンゴのクラブ史に世界一を刻む
第2回トヨタカップ(1981年)
フラメンゴ対リバプール 3−0
1981年12月13日 国立競技場(東京) 観客62,000人
主審:ルビオ・バスケス(メキシコ)
得点 フラメンゴ:ヌネス(12分、41分)、アジーリオ(34分)
監督 フラメンゴ:パウロ・セザール・カルジアニ(ブラジル)
リバプール:ボブ・ベイズリー(イギリス/イングランド)
MVP ジーコ(アルツール・アンツネス・コインブラ) 背番号10
(フラメンゴ所属・1976年ブラジル代表デビュー)
◆全盛期のジーコ、3得点にからみMVP
“サッカーの「母国」と「王国」の対決”と銘打たれた試合でしたが、結果は「王国」の完勝でした。MVPはフラメンゴの3得点全ての起点となったジーコ、チームメイトへの正確なパスに観客席は幾度となくどよめきました。70年代後半から全盛期を迎えていたリバプールの持ち味である、スピードとパワーを封じた守備陣もみごとでした。
ジーコのワールドカップ初出場は、1978年アルゼンチン大会(当時25歳)、ブラジルは3位に終わり、ジーコ自身も不本意な出来でした。その後大きく成長、今大会出場を決めた1981年リベルタドーレス・カップでの最多得点12点の記録を携えて国立のピッチに立ちました。
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「フラメンゴ」創設60周年<1885-1955年>記念カバー
(1955年11月15日付特別記念消印
リオデジャネイロ局・ブラジル)
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■リバプール、3度目のヨーロッパ制覇
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第26回ヨーロッパ・チャンピオンズ・カップ(1980‐81シーズン) −
準々決勝
予備戦(2チームによる)、1回戦(32チームによる)、2回戦(16チームによる)を勝ち抜いた8チームで行われました。前大会覇者ノッティンガム・フォレストは1回戦でCSKAソフィア(ブルガリア)に1−0、1−0で敗退しています。
バイエルン・ミュンヘン(西ドイツ)
対バニク・オストラバ(チェコスロバキア) 2−0、4−2
レアル・マドリード(スペイン対)スパルタク・モスクワ(ソ連) 0−0、2−0
リバプール対(イングランド)CSKAソフィア(ブルガリア) 5−1、1−0
インテル・ミラノ(イタリア)
対レッドスター・ベオグラード(ユーゴスラビア) 1−1、1−0
準決勝
リバプール対バイエルン・ミュンヘン 0−0、1−1
レアル・マドリード対インテル・ミラノ 2−0、0−1
決勝
リバプール対レアル・マドリード 1−0
1981年5月27日 パルク・デ・プランス(パリ・フランス)観客 48,300人
得点 リバプール:A・ケネディ(82分)
監督 リバプール:ボブ・ベイズリー(イギリス/イングランド)
レアル:ボシコフ(ユーゴスラビア)
大会最多得点:スーネス、マクダーモット(リバプール)、
K・H・ルムメニゲ
(バイエルンM) 各6点
◆好試合の期待に背いた決勝戦
1976-77、1977-78シーズン連覇のリバプールと、7回目のヨーロッパチャンピオンを目指すレアルとの決勝戦は、好試合が期待されていました。しかし、82分の唯一の得点は、スローインを受けたA・ケネディが上げたセンタリングがそのままゴールインするというあっけない結末でした。
■フラメンゴ、初挑戦で南米王者に
−第22回リベルタドーレス・カップ(1981年) −
準決勝
20チームによる1回戦5グループの各1位チームに前大会優勝のナシオナル・モンテビデオを加えた6チームにより行われました。
グループ1: |
1位 |
コブレロア(チリ) |
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2位 |
ナシオナル・モンテビデオ(ウルグアイ) |
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3位 |
ペニャロール(ウルグアイ) |
グループ2: |
1位 |
フラメンゴ(ブラジル) |
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2位 |
デポルティボ・カリ(コロンビア) |
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3位 |
ホルへ・ウィルステルマン(ボリビア) |
決勝
第1戦 フラメンゴ対コブレロア 2−1
1981年11月13日 マラカナン(リオデジャネイロ・ブラジル)
観客 114,000人
得点 フラメンゴ:ジーコ(12、30分)
コブレロア:メレジョ(65分)
第2戦 コブレロア対フラメンゴ 1−0
1981年11月20日 エスタディオ ナシオナル(サンチャゴ・チリ)
観客 61,000人
得点 コブレロア:メレジョ(79分)
第3戦 (プレイオフ) フラメンゴ対コブレロア 2−0
1981年11月23日 センテナリオ(モンテビデオ・ウルグアイ)観客 35,000人
得点 フラメンゴ:ジーコ(18分、79分)
優勝監督 フラメンゴ:パウロ・セザール
第22回最多得点: ジーコ(フラメンゴ)12点
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「フラメンゴ」
1980年ブラジル全国選手権初優勝
(1987年8月29日発行・ブラジル) |
「フラメンゴ」
1981年リベルタド―レス優勝
(2002年11月23日発行・ブラジル) |
― ちょっと寄り道 ―
フラメンゴサポーター2景
その1/ サポーターソング
サッカーの試合にはクラブの応援歌がつきものですが、フラメンゴのクラブ創設100 周年切手には、スタンドの熱狂ぶりと共に応援歌の歌詞も採り入れられており、切手版“音の風景”だと感じます。
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「フラメンゴ」創設100周年記念<1895-1995年>
(1995年10月6日発行・
ブラジル) |
その二/ 熱狂的なフラメンゴサポーター、アリ・バローゾ
フラメンゴのクラブ世界一の快挙をバローゾは、生きていたらどう実況したか、ふと思いました。
「ブラジル ポピュラー音楽の父」と称される作曲家アリ・バローゾ(1903〜1964年)のサンバの名曲「ブラジルの水彩画」は、「もう一つの国歌」としてブラジル人広く親しまれ、生誕100周年記念切手にはその楽譜の一部が紹介されていますが、熱狂的なフラメンゴのサポーターだったと伝えられています。
さらに驚いたことに、沢田啓明さんの『マラカナンの悲劇』(新潮社・2014年刊)によりますと、バローゾは市会議員として1947年11月に、マラカナンスタジアムの建設に関わる法案を議会に提出したといいます。
このコラム第3部2で、サッカーのラジオ番組でアナウンサーも務めフラメンゴ寄りの中継を続け、“マラカナンの悲劇”を伝えたことは紹介ずみですが、フラメンゴのホームスタジアムでもあるマラカナンとのより深いつながりを考え、再度切手を掲げます。
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アリ・バローゾ生誕100周年記念
(2003年11月7日発行・ブラジル発行)
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