第12部 「トヨタカップ」 日本で競うクラブ世界一
1.トヨタカップ初代の覇者は、ナシオナル・モンテビデオ
第1回トヨタカップ(1980年)
ナシオナル・モンテビデオ対ノッティンガム・フォレスト 1−0
1981年2月11日 国立競技場(東京) 観客:62,000人
得点 ナシオナル:ビクトリーノ(10分)
監督 ナシオナル:ムヒカ
ノッティンガム:ブライアン・クラフ
MVP ワルデマール・ビクトリーノ:背番号9(ナシオナル所属・ウルグアイ代表)
◆南米大会得点王ビクトリーノが決勝ゴール
ノッティンガムの攻勢でスタートしたが、10分にナシオナルのDFモレイラからのカウンターパスを受けたFWビクトリーノが、相手DFの前に巧みに走り込み先制。その後、ノッティンガムの攻勢を守り抜き、栄えある第1回大会のトヨタカップを南米にもたらしました。
決勝点を挙げ、MVPに輝いたビクトリーノは、ワールドカップ歴代優勝国チ―ムを集めて、1980年にウルグアイで開催された「コパ・デ・オーロ」大会の得点王としてこの大会に臨んでいました。
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第1回「トヨタカップ」観戦チケット
<世界一決定戦・サッカーが語れる日がやってくる>
のコピーに注目! |
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ナシオナル優勝記念切手
<右端に桜>
(1981年8月4日発行・ウルグアイ)
<開催日付1981年2月10日は
ウルグアイ時間> |
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ナシオナル 優勝記念初日カバー
(1981年8月4日発行・ウルグアイ)
開催日付1981年2月10日はウルグアイ時間。
特別記念消印にはクラブのエンブレム左右に桜の花と
オリーブの小枝が
あしらわれている) |
◆トヨタカップ実現の背景
第11部でふれたように、インターコンチネンタル・カップ(正式名称:ヨーロッパ/サウスアメリカ カップ)は1970年代以降、過熱化し、荒れた試合が増加したため、次第にヨーロッパのクラブの出場辞退が恒常化してしまいました。
また、日程の過密化により、対戦クラブ間の調整が整わず2回も開催中止に追い込まれるなど、大会の存続自体が危ぶまれる状況に陥っていました。
ホームアンドアウェイでなく、中立の場所で1試合のみ行うことで、直面する障害を取り除けるのではないか、という発想のもとで、トヨタカップ(正式名称:トヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップ)が実現しました。
勝利クラブには、従来の優勝杯と新しい「トヨタカップ」優勝杯の二つが授与され、インターコンチネンタル・カップからの継続性が保たれています。
なお、大会の日本開催の背景や意義については、牛木素吉郎さんが書かれた「第1回大会の公式プログラム」巻頭の序文、また発案については「トヨタカップの内幕」(ビバ!!サッカー!!)サッカーマガジンNo.254号、1981年2月10日・25日号)
の参照をおすすめします。
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第1回トヨタカップ
公式プログラム
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第1回 トヨタカップ公式プログラム 序文:
牛木素吉郎さん作成(日本語部分)
(1981年 トヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップ
事務局発行)
◆画像をクリックすると、拡大画像をご覧いただけます。 |
■ノッティンガム・フォレスト、ヨーロッパ2連覇
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第25回ヨーロッパ・チャンピオンズ・カップ(1979‐80シーズン) −
準々決勝
予備選(2チームによる)、1回戦(32チームによる)、2回戦(16チームによる)を勝ち抜いた8チームが準々決勝で対決しました。
ハンブルガーSV(西ドイツ)対ハイデュク・スプリト(ユーゴスラビア) 1−0、2−3
ノッティンガム・フォレスト(イングランド)対
ディナモ・ベルリン(東ベルリン) 0−1、3−1
アヤックス(オランダ)対ストラスブール(フランス) 0−0、4−0
レアル・マドリード(スペイン)対グラスゴー・セルティック)0−2、3−0
準決勝
ノッティンガム・フォレスト対アヤックス 2−0、0−1
ハンブルガーSV対レアル・マドリード 0−2、5−1
◆ハンブルガーSVの台頭
1977年5月、ケビン・キーガンを獲得したハンブルガーSVは、同年9月にクラブ創設90周年を祝いました。翌年1月にはゼネラルマネージャーにギュンター・ネッツァーが就任、7月には監督がグーテンドルフからブランコ・ゼベッチに交代しました。さらにストライカーとしてホルスト・ルベッシュを迎え入れ、キーガンとの攻撃コンビが形成され、1978-79シーズンにはブンデスリーグの初優勝を果たしました。
1979-80シーズンのヨーロッパ・チャンピオンズ・カップ準決勝、対レアル・マドリードとの第1戦は、レアルのホーム、サンティアゴで12万人の観客のもとで行われ、0対2で失いました。第2戦は1980年4月23日、ハンブルクで行われ、カルツ(10分、40分)、ルベッシュ(17分、44分)、メメリンクが次々と得点し、5対1で圧勝し、決勝まで進出、バイエルンM、ボルシアMGなどとともに西ドイツの強豪入りをしました。
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ハンブルガーSV クラブ創設90周年
<1887‐1977>記念カード(三つ折り)
(1997年9月29日付特別記念消印入り・
西ドイツ> |
決勝
ノッティンガム・フォレスト対ハンブルガーSV 1−0
1980年5月28日 サンチャゴ・ベルナベウ(マドリード・スペイン)
観客 50,000人
得点 ノッティンガム:ロバートソン(20分)
監督 ノッティンガム:ブライアン・クラフ
ハンブルガー:ブランコ・ゼベッチ(ユーゴスラビア人)
大会最多得点:レアビー(アヤックス) 10点
■ナシオナル・モンテビデオ、2度目の南米王者
−第21回リベルタドーレス・カップ(1980年) −
準決勝
30チームによる1回戦5グループの各1位に、前大会優勝のオリンピアを加えた6チームにより行われました。
グループ1: |
1位 |
ナシオナル・モンテビデオ(ウルグアイ) |
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2位 |
ナシオナル・モンテビデオ(ウルグアイ) |
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3位 |
オイギンス(チリ) |
グループ2: |
1位 |
インテルナシオナル PA(ブラジル) |
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2位 |
アメリカ・カリ(コロンビア) |
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3位 |
ベレス・サルスフィールド(アルゼンチン) |
決勝
第1戦 インテルナシオナル PA対ナシオナル・モンテビデオ 0−0
1980年7月30日 ベイロ リオ(ポルトアレグレ・ブラジル) 観客 80,000人
第2戦 ナシオナル・モンテビデオ対インテルナシオナル PA 1−0
1980年8月6日 センテナリオ(モンテビデオ・ウルグアイ )観客 75,000人
得点 ナシオナル:ビクトリーノ(35分)
第29回最多得点: ビクトリーノ(ナシオナル)6点
優勝監督 ナシオナル:ムヒカ
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