第12部 「トヨタカップ」 日本で競うクラブ世界一
18.ドルトムント、世界の頂点に立つ!
第18回トヨタカップ(1997年)
ボルシア・ドルトムント対クルゼイロFC 2−0
1997年12月2日 国立競技場(東京) 観客 46,953人
得点 ドルトムント:ツォルク(34分)、ヘルリッヒ(85分)
主審 ホセ・マリア・ガルシオ・アランダ・エンシナル(スペイン)
監督 ボルシア: ネビオ・スカラ(イタリア)
クルゼイロ:ネルシーニョ
MVP? ?メラー 背番号10(ボルシア)
◆ドルトムント、ドイツ勢としてトヨタカップ初制覇
UEFAチャンピオンズリーグ決勝とリベルタドーレス・カップ決勝に勝った両クラブですが、ドルトムントはネビオ・スカラ(1947年生まれ)に、クルゼイロはネルシーニョ(1950年生まれ)へと指揮官が交代しました。
クルゼイロのFW陣は、リベルタドーレス・カップ第2戦で貴重なゴールを決めたエリベウトン(1993年10月から1年間、名古屋グランパス所属)」とドニゼッチ(元ヴェルディ川崎、コリンチャンスでもネルシーニョ監督のもとでプレイしていた)のコンビにトヨタカップ3週間前にベベット(1994年ワールドカップ・USA大会優勝メンバー)が加わり、より強化されました。
そのクルゼイロが立ち上がりから攻勢をかけ、ミドルシュートなどを放ちましたが、決まらず、ドルトムンが34分、メラーのFKを起点とし、シャプイサが左サイドからセンタリング、キャプテンのツォルク(35歳)が合わせて先制しました。その後のクルゼイロの攻勢を巧みな守りでかわしますが、その中心になったのは、ケガで欠場したマティアス・ザマーのポジションに入ったベテランのブラジル人DFジュリオ・セザール・ダ・シルバ(1963年生まれ)でした。そして85分には、右からのセンタリングにベルリッヒが合わせて2点目が生まれ、そのまま試合終了。
ドルトムントはドイツ勢として初めてトヨタカップを制しましたが、これは1976年、バイエルン・ミュンヘンがドイツのクラブで初めてインターコンチネンタルカップを手にして以来、世界制覇2度目となる栄誉でした。
クルゼイロにとっては、1976年にバイエルン・ミュンヘンに0−2、0−0で敗れて以来の挑戦でしたが、再びドイツのクラブに名をなさしめてしまいました。
■ドルトムント、強豪下しヨーロッパ制覇
−第42回UEFAチャンピオンズ・リーグ(1996‐97シーズン)−
◆大会名称「UEFAチャンピオンズリーグ」に変更
このシーズンから大会名が「ヨーロッパ・チャンピオンズ・リーグ」から「UEFAチャンピオンズリーグ」に変更されました。
試合方式は前シーズン同様、16チームによる予備戦(1996年8月7日、8月21日開催)を勝ち抜いた8チーム加えた16チームを4グループに分けたグループリーグ戦を行い各グループ1位と2位が準々決勝へ進出しました。
グループリーグ (1996年9月11日〜1996年12月4日)
(国名後の*印:予備戦からの勝ち上がりを示す)
グループA 1位 オセール (フランス)
2位 アヤックス(オランダ)
3位 グラスホッパー(スイス)*
4位 グラスゴー・レンジャーズ(スコットランド)*
グループB
1位 アトレティコ・マドリード(スペイン)
2位 ボルシア・ドルトムント(ドイツ)
3位 ビジェフ・ウージ(ポーランド)*
4位 ステアウア・ブカレスト(ルーマニア)*
グループC
1位 ユベントス(イタリア)
2位 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)
3位 フェネルバフチェ(トルコ)*
4位 ラピッド・ウィーン(オーストリア)*
グループD
1位 FCポルト(ポルトガル)
2位 ローゼンボルグ(ノルウェー)*
3位 ACミラン(イタリア)
4位 1FKイエーテボリ(スウェーデン)*
準々決勝 (1997年3月5日、3月19日)
ボルシア・ドルトムント対オセール 3−1、1−0
マンチェスター・ユナイテッド対FCポルト 4−0、0−0
ユベントス対ローゼンボルグ 1−1、2−0
アヤックス対アトレティコ・マドリード 1−1、3−2
準決勝 (1997年4月9日、4月23日)
ボルシア・ドルトムント対マンチェスター・ユナイテッド 1−0、1−0
ユベントス対アヤックス 2−1、4−1
◆マンチェスター・ユナイテッドの敗退
1986年11月ファーガソンが監督に就任以来およそ10年が経って、GKシュマイケル(デンマーク人)、カントナ、ロイキ―ン(アイルランド人)に若いベッカム、バット、ギグスらを擁し、準々決勝対FCポルト戦を一蹴(4-0、1-0)、久しぶりにイングランドのクラブとして準決勝進出を果たしました。
準決勝ドルトムントとの第1戦は、アウェイながら負傷や出場停止でシャプイサ、ザマー、リードレ、コーラー、ロイターなど主力の大半を欠く相手を追い詰めはしましたが得点を奪えませんでした。76分、相手FWトレショク放ったシュートが味方のギャリー・バスターに当って角度が変わり、ゴールイン。不運な決勝点となり0−1の敗戦。準備万端で臨んだホーム、オールド・トラッフォードでの第2戦は53,606人の観客の前で行われました。8分、リッケンに先制点を奪われながらも全体的にいい展開でしたが、主力が戻ってきたドルトムントを崩せずまたも0−1で終戦。
負けはしましたが、今後に希望が見えてきた挑戦でした。
◆ユベントスの完勝
本命ユベントスに挑んできたのは、前シーズン決勝で死闘を演じたアヤックスでした。アウェイのアレナ(アムステルダム)では、新しくトップを務めるアモルーゾとビエリの得点で2-1と先勝。ホーム、トリノの第2戦ではジダンがブレイク、パスやドリブルでアシストを重ね、止めの4点目は自ら決めたものでした。
決勝
ボルシア・ドルトムント対ユベントス 3−1
1997年5月28日 オリンピア(ミュンヘン・ドイツ)観客 58,000人
得点 ボルシア・ドルトムント:リードレ(29、34分)、リッケン(71分)
ユベントス:デルピエロ(64分)
監督 ボルシア・ドルトムント:ヒッツフェルト
ユベントス:マルチェロ・リッピ
第42回最多得点者: マッコイスト(グラスゴー・レンジャーズ) 6点
◆ドルトムント、ユベントスの力を封じて快勝
アヤックスの監督ファンハールは、「現在のユーベは世界最高のチーム」と評し、その理由は「プレイのダイナミズム、攻撃プレイヤーたちの能力、リッピの考えを完全に理解した高い水準の14、15人のプレイヤーによる層の厚さ」だと述べました。
ファンハールの分析どおり、ユベントスは早くも5分と7分に得点のチャンスをつかむなど、好調な立ち上がりを見せ、ドルトムントを押し込みました。しかしこれをしのいだドルトムントは、29分と34にアンドレアス・メラーの2本のコーナーキックからいずれもリードレが決め2点のリード、64分に後半から投入されたデルピエロに決められ1点差とされますが、71分にリッケンの鮮やかなゴールで突き放し、前評判と正反対の結果となりました。
ドルトムント勝利の原因にはいくつかありますが、先ずあげられるのが準決勝でピッチに立てなかった守備のスペシャリスト、マティアス・ザマーがケガから復帰したことがチームに強い安定感を与えたこと。また、かつてユベントスでプレイしていた4人、ユルゲン・コーラー(DF)、シュテファン・ロイター(MF)、アンドレアス・メラー(MF)、パウロ・ソウザ(MF)の存在も忘れてはならないしょう。特に、前シーズン決勝で、ユベントスの一員としてプレイしたソウザは、その後フロントとの確執から、さらに、コーラーも、リッピ監督就任後の出場機会の減少により、それぞれドルトムント入りしたいきさつがあり、彼らのユベントス戦へのモチベーションとなったことが容易に推察出来ます。
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ボルシア・ドルトムント記念消印
<1996年ブンデスリーガ優勝と
1997年
UEFAチャンピオンズリーグ優勝が記されている>
(1998年5月1日付) |
◆ファーガソンの決勝戦観戦記
『監督の日記』(アレックス・ファーガソン著・東本貢司訳/NHK出版)によりますと、決勝戦前夜のディナーパーティにUEFAから「ミュンヘン事故*」で生き残った選手が招かれ、ボビー・チャールトン、デニス・ヴァイオレット、ハリー・グレグ、ビル・フォルケス、ジャッキー・ブランチフラワー、ケニー・モーガンズ、レイ・ウッド、アルバート・スカンロンの8名が出席(もうひとりのFWジョニー・ベリーは1994年死去)したことに触れ、『もし、ユナイテッドが決勝にたどり着いていたら、この祭典への感動、感傷は我々みんなにとって大きくふくらんだだろうに』と述べ、さらに、『決勝を観戦。スタジアムを見渡せば見渡すほど、ユナイテッドがここにいればな、と感慨にふけってしまう』と記しています。
注)*1958年2月6日に起きた「ミュンヘン事故」については<第3部12>ならびに<第9部5>を参照下さい。
■クルゼイロ南米王者に
−第38回リベルタドーレス・カップ(1997年) −
準々決勝
参加20チームを5グループに分けて1回戦(リーグ戦)を行い、各グループの1〜3位のまでの15チームに前シーズンのチャンピオン、リバープレートを加えた、16チームで2回戦(ノックアウト方式)を行い、勝った8チームにより準々決勝が行われました。
コロ コロ(チリ)対ウニベルシダ・カトリカ(チリ)1−2、3−1
スポルティング・クリスタル(ペルー)対ボリバール(ボリビア)1−2、3−0
ラシン(アルゼンチン)対ペニャロール(ウルグアイ)0−1、1−0、
PK3−2
クルゼイロ(ブラジル)対グレミオ(ブラジル)2−0、1−2
準決勝 (1997年7月23日、7月30日)
クルゼイロ対コロ コロ 1−0、2−3、PK4−1
スポルティング・クリスタル対ラシン 2−3、4−1
決勝
第1戦 スポルティング・クリスタル対クルゼイロ 0−0
1997年8月6日 エスタディオ・ナシオナル(リマ、ペルー) 観客:45,000人
第2戦 クルゼイロ対スポルティング・クリスタル 1−0
1997年8月13日 マガリャエス・ピント(通称:ミネイラン)
(ベロオリゾンテ、ブラジル) 観客:102,000人
得点 クルゼイロ: エリベウトン(75分)
優勝監督 クルゼイロ:パウル・アルトゥオリ
◆クルゼイロ接戦を制す
クルゼイロのリベルタドーレス・カップ決勝進出は1977年以来20年ぶり(1976年の優勝に続いての登場)、3回目。対戦相手のスポルティング・クリスタルにとっては初(ペルーのクラブとしても初)の決勝進出でした。
第1戦を0−0としたクルゼイロは、第2戦(ホーム)の終盤75分、CKからのこぼれたボールをFWエリベウトンが右足で決め、クラブとして1976年以来2度目の南米王座を獲得しました。
― ちょっと寄り道 ―
国内リーグ優勝クラブ(1) <セリエA(イタリア)>
◆ユベントス 通算24回目の制覇 (1996-97シーズン) マルチェロ・リッピ(1994年監督就任)のもと、17勝14引き分け3敗、勝ち点65で通算24回目のスクデットを獲得しました。
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ユベントス
セリエA優勝記念
(1997年6月7日発行・イタリア) |
国内リーグ優勝クラブ(2) <ブンデスリーガ(ドイツ)>
◆「FCバイエルン・ミュンヘン」優勝(1997年)
ボルシア・ドルトムントの3連覇を阻止し、14回目の優勝をしたのがイタリア人監督 ジョバンニ・トラパットーニが率いたバイエルン・ミュンヘン(34試合、20勝11引き分け、3敗)でした。チーム最多得点はユルゲン・クリンスマンの15点、GKはオリバー・カーンが務めています。
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「バイエルン・ミュンヘン」優勝記念カバー
(1997年10月16日発行・ドイツ)
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国内リーグ優勝クラブ(3) <LFPデヴィジョン・アン(フランス)>
◆ASモナコ優勝 (1996-97シーズン)
アーセンベンゲル・ベンゲル当時の1987-88シーズン優勝以来、9年ぶりのタイトル獲得(23勝、10引き分け、5敗、勝ち点79)。監督ジャン・ティガナ、GKファビアン・バルテス、MFエマニュエル・プティ、FWダビッド・トレゼゲ、FWディエリー・アンリなどワールドカップ・フランス大会で大活躍するメンバーが揃っていました。
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ASモナコ優勝記念
(1997年8月8日発行・モナコ) |
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