第12部 「トヨタカップ」 日本で競うクラブ世界一
17.ユベントス、クラブ創立100周年を前に2度目の世界一!
第17回トヨタカップ(1996年)
ユベントス対リバープレート 1−0
1996年11月26日 国立競技場(東京) 観客 48,305人
得点 ユベントス:デルピエロ(81分)
主審 マルシオ・レゼンジ(ブラジル)
監督 ユベントス:マルチェロ・リッピ
リバープレート: ラモン・アンヘル・ディアス
MVP? ?デルピエロ 背番号10(ユベントス・キャプテン)
◆ユベントス、11年ぶりの世界制覇
第6回(1985年)大会優勝のユベントスと第7回(1986年)大会優勝のリバープレートが共に2度目の栄冠をねらう対戦でした。
ユベントスは、1996年5月22日決勝でヨーロッパ・チャンピオンズ・カップを制した後 MFパウロ・ソウザ、FWビアリ、FWラパネッリがチームを去りましたが、7月にジダン(24 歳、前ボルドー所属)を獲得しました。これにともない、リッピ監督はデルピエロとボクシッチの2トップの下にジダンを配置する布陣で臨みました。
リバープレートにも変化がありました。エースストライカーのクレスポがパルマ(イタリア)へ、MFアルメイダはセビリア(スペイン)へ去って行き、FWクルス、MFモンセラット、MFベルティらが加わり、前戦に経験豊富なFWフランチェスコリ(35歳)と若手ながらアルゼンチン代表として躍進中のFWオルテガ(22歳)、ディフェンスの要にディアス(31歳)と陣容は整っていました。
ボクシッチを中心とした攻めでユベントスが試合の主導権を握りますが、リバープレートの堅い守りに得点を決められませんでした。0対0の均衡は81分に破られました。コーナーキックをジダンが頭でつなぎ、デルピエロが右足で決めました。これが決勝点となり、デルピエロがMVPに選ばれました。ボルドーでめきめきと頭角を現したジダンは、ユベントスでビロードのパスを携え、卓越したゲームメイクのセンスで世界に羽ばたきはじめていました。
デルピエロとジダンの競演を国立の舞台で世界に披露し、11年ぶりの世界タイトルを獲得したユベントスは、翌1997年にクラブ創立100周年をむかえました。
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第17回トヨタカップ優勝
<「ユベントス」創立100周年記念初日カバー>
(1997年5月22日発行・ガンビア) |
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「ユベントス」第17回トヨタカップ優勝記念絵ハガキ
(1996年11月26日付特別記念消印) |
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特別記念消印
<インターコンチネンタルカップと
クラブのシンボルオス牛を描く> |
■アヤックス、22年ぶりのヨーロッパ制覇
−第41回ヨーロッパ・チャンピオンズ・リーグ(1995‐96シーズン)−
◆大会方式
第40回大会同様、16チームによる予備戦(ホームアンドアウェイ)を勝ち抜いた8チームを加えた16チームを4グループに分けリーグ戦を行い、各グループ1位と2位が準々決勝へ進出しました。(合計参加チーム数24)
グループリーグ (1995年9月13日〜1995年12月6日)
(国名後の*印:予備戦からの勝ち上がりを示す)
グループA
1位 パナシナイコス(ギリシャ)*
2位 ナント(フランス)
3位 FCポルト(ポルトガル)
4位 オールドボー(デンマーク)
:予備戦の勝者ディナモ・キエフ(ウクライナ) の出場停止による繰り上げ出場
グループB
1位 スパルタク・モスクワ(ロシア)
2位 レギヤ・ワルシャワ(ポーランド)*
3位 ローゼンボルク(ノルウェー)*
4位 ブラック・バーン(イングランド)⇒イングランドのクラブは、1991年に復帰後 未だベスト8進出果たせず
グループC
1位 ユベントス(イタリア)
2位 ボルシア・ドルトムント(ドイツ)
3位 ステアウア・ブカレスト(ルーマニア)*
4位 グラスゴー・レンジャース(スコットランド)*
グループD
1位 アヤックス(オランダ)
2位 レアル・マドリード(スペイン)
3位 フェレンツバローシュ(ハンガリー)*
4位 グラスホッパー<スイス)*
準々決勝 (1996年3月6日、3月20日)
ユベントス対レアル・マドリード 0−1、2−0
ナント対スパルタク・モスクワ 2−0、2−2
アヤックス対ボルシア・ドルトムント 2−0、1−0
パナシナイコス対レギャ・ワルシャワ 0−0、3−0
準決勝 (1996年4月3日、4月17日)
ユベントス対ナント 2−0、2−3
アヤックス対パナシナイコス 0−1、3−0
決勝
ユベントス対アヤックス 1−1、PK4−2
1996年5月22日 オリンピコ(ローマ・イタリア) 観客 70,000人
得点 ユベントス:ラバネッリ(13分)
アヤックス:リトマネン(41分)
監督 ユベントス:マルチェロ・リッピ
アヤックス:ルイ・ファンハール
第41回最多得点者: リトマネン(アヤックス)9点
◆ユベントス、アヤックスの連覇を阻止
第18回(1972-73シーズン)決勝同様、ディフェンディング・チャンピオンのアヤックスにユベントスが挑む形となりました。当時ヨハン・クライフを擁し黄金期のアヤックスに0対1で敗れて以来の対決でした(このときの敗戦により、ユベントスは初優勝を第30回(1984-85シーズン)まで待たされています) 。
ユベントスのビアリ、ラバネッリ、デルピエロの3人のアタッカーによる立ち上がりからの攻勢が13分に見を結び、待望の先制点を奪いました。アヤックスのGKファンデルサ―ルの不安定な守備が失点の原因でしたが、41分、今度はユベントスのGKペルッツィが相手フリーキックをクリアミスし、こぼれたボールをリトマネンが決めて アヤックスが同点に追い付きました。
後半、延長戦でも両チームに得点は生まれず、PK方式による決着となりました。アヤックスがダビッツとシロ―イのPKをGKペルッツィに阻まれたのに対し、ユベントスの4人全員が決め、長年の雪辱を果たしました。
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「ユベントス」
ヨ―ロッパ・チャンピオンズ・
リーグ(1995-96)優勝記念
(1996年9月14日発行・イタリア) |
■リバープレート、2度目の南米王者に
−第37回リベルタドーレス・カップ(1996年) −
準々決勝
参加20チームを5グループに分けて1回戦(リーグ戦)を行い、各グループの1〜3位のまでの15チームに前シーズンのチャンピオン、グレミオを加えた16チームにより2回戦(ホームアンドアウェイ戦)を行い、勝ち抜いた8チームによる準々決勝が行われました。
リバープレート(アルゼンチン)対
サンロレンソ(アルゼンチン) 2−1、1−1
アメリカ・カリ(コロンビア)対ジュニオール(コロンビア) 1−1、1−0
ウニベルシダ・デ・チレ(チリ)対バルセロナ(エクアドル) 2−0、1−1
グレミオ(ブラジル)対コリンチャンス(ブラジル)3−0、0−1
準決勝
アメリカ・カリ対グレミオ 0−1、3−1
リバープレート対ウニベルシダ・デ・チレ 2−2、1−0
決勝
第1戦 アメリカ・カリ対リバープレート 1−0
1996年6月19日 パスカル・ゲレロ(カリ、コロンビア) 観客:45,326人
得点 アメリカ・カリ: デアビラ(26分)
第2戦 リバープレート対アメリカ・カリ 2−0
1996年6月26日 モヌメンタル(ブエノスアイレス・アルゼンチン)
観客:73,567人
得点 リバープレート:クレスポ(6分、59分)
優勝監督 リバープレート:ラモン・アンヘル・ディアス
◆リバープレート、ディアス監督の初タイトル
10年前の第27回大会(1986年)決勝と同じ対決でした。第1戦(アウェイ) を0−1で失ったリバープレートでしたが、第2戦(ホーム)では、立ち上がり6分に先制し、その後も完全にゲームを支配しました。しかし追加点は生まれず試合の決着は後半に持ち込まれ、押し掛けた大観衆を苛立たせました。
待望の追加点は59分、相手GKコルドバのクリアミスをひろったエスクデロがクロスを放り込み、クレスポがヘディングで決めたものでした。これが決勝点となり、リバープレートは2度目の南米王者に輝きました。
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「リバープレート」の
エンブレム
(1999年11月13日発行・
アルゼンチン) |
― ちょっと寄り道 ―
国内リーグ優勝クラブ(1) <セリエA(イタリア)>
◆ACミラン、通算15回目の優勝 (1995-96シーズン)
ユベントスの勝ち点65(18勝8分7敗)を上回る勝ち点73(21勝10分3敗)の成績でACミランが15回目のスクデットを獲得しました。
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ACミラン
セリエA優勝記念初日カバー
(1996年9月7日発行・
イタリア) |
国内リーグ優勝クラブ(2) <ブンデスリーガ(ドイツ)>
◆ボルシア・ドルトムント (1996年)
1995シーズンに続いてボルシア・ドルトムントが、ミヒャエル・ツォルク(チーム最多15得点)の活躍で連覇を達成し、2度目の優勝切手が発行されました。(2位はバイエルン・ミュンヘン)
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「ボルシア・ドルトムント」優勝記念フォルダー
(1996年8月27日ボン局印・ドイツ) |
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