第12部 「トヨタカップ」 日本で競うクラブ世界一
8.FCポルト、初挑戦で世界一の偉業達成
第8回トヨタカップ(1987年)
FCポルト対ペニャロール 2−1 (延長)
1987年12月13日 国立競技場(東京) 観客 45,000人
得点 FCポルト:ゴメス(42分)、マジェール(109分)
ペニャロール:ビエラ(80分)
主審 ボーレル(オーストリア)
監督 FCポルト:トミスラフ・イビッチ(ユーゴスラビア連邦・クロアチア)
ペニャロール:オスカル・ワシントン・タバレス
MVP ラバー・マジェール 背番号8
(FCポルト/アルジェリア代表・1982・1986
ワールドカップ出場)
◆FCポルト、ふりしきる雪の中での戴冠
大雪という過酷な条件にもかかわらず、ピッチ上では気力と高度の技術に満ちたプレイが120分間繰り広げられ、観客は世界一獲得にかける執念に圧倒されました。
前半終了近くの42分、マジェールの右サイドからシュートにキャプテンのゴメスがからんで押し込み先制点を奪いました。第3回大会以来の世界一をめざすペニャロールは、後半から長身のマトサスを投入し反撃に移りました。80分に得たコーナーキックをマトサスがつなぎビエラが同点のシュートを決めて試合は延長戦に突入しました。
死闘に決着をつけたのはマジェールでした。109分、ポルトのMFソウザが前方へ出したボールの処理を相手DFトラサンテがもたつき、これを俊敏な動きで奪い取り、GKペレイラの位置を見極めて放ったロングシュートは、無人のペニャロールのゴールに吸い込まれました。
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国際切手展LUBRAPEX88および
FCポルト世界制覇記念絵ハガキ
<FCポルト紋章、「エスタディオ・ダス・アンタス」
を描き、各大会優勝を記述>
(1988年5月13日発行・ポルトガル)
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■FCポルト、初のヨーロッパ王者
−第32回ヨーロッパ・チャンピオンズ・カップ(1986‐87シーズン)−
準々決勝
1回戦(30チーム)、2回戦(16チーム)を勝ち抜いた8チームにより行われました。
FCポルト(ポルトガル)対ブロンビー(デンマーク)1−0、1−1
ディナモ・キエフ(ソ連)対ベシクタシュ(トルコ)5−0、2−0
レアル・マドリード(スペイン)
対レッドスター・ベオグラード(ユーゴスラビア)
2−4、2−0
バイエルン・ミュンヘン(西ドイツ)対アンデルレヒト(ベルギー)
5−0、2−2
準決勝
?FCポルト対ディナモ・キエフ 2−1、2−1
バイエルン・ミュンヘン対レアル・マドリード 4−1、0−1
決勝
FCポルト対バイエルン・ミュンヘン 2−1
1987年5月27日 プラター(ウィーン・オ−ストリア) 観客 56,000人
得点 FCポルト:マジェール(77分)、ジュアリ(80分)
バイエルン:ケーグル(25分)
監督 FCポルト:アルツール・ジョルディ
バイエルン:ウド・ラテック
大会最多得点:ツベトコビッチ(レッドスター・ベオグラード)7点
◆FCポルト、ポルトガルに32年ぶりの栄冠をもたらす
この大会3度の優勝しているバイエルン優勢との戦前の予想どおり、25分にバイエルンのケーグルにヘッドを決められ、ポルトは守勢に立たされました。しかし試合も終盤にさしかかった77分、マジェールが右サイドからのセンタリングを、ゴールに背中を向けたまま得意のヒールキックでのシュートを決め、同点に追い付きました。3分後の80分、勢いを取り戻したポルトは、マジェールがドリブルからクロスを入れ、今度はジュアリ(ブラジル)が決め逆転勝ち、クラブに初のヨーロッパチャンピオンの座をもたらしました。
マジェールは、ワールドカップ・スペイン大会(1982年)とメキシコ大会(1986年)にアルジェリア代表として参加、特に1982年大会グループリーグ戦において西ドイツを2対1で下した試合でも先制ゴールを決め注目を浴びました。その後フランスのラシン・パリを経て1985年にポルト入り、早速ポルトガルリーグ優勝に貢献した選手です。
■ペニャロ−ル、5度目の南米王者に
−第28回リベルタドーレス・カップ(1987年) −
準決勝
参加20チームを5グループに分けて1回戦を行い、各グループ1位の5チームに前大会優勝のリバープレートを加えた6チームにより行われました。
グループ1: |
1位 |
ペニャロール(ウルグアイ) |
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2位 |
リバープレート(アルゼンチン) |
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3位 |
インデペンディエンテ(アルゼンチン) |
グループ2: |
1位 |
アメリカ・カリ(コロンビア) |
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2位 |
コブレロア(チリ) |
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3位 |
バルセロナ(エクアドル) |
決勝
第1戦 アメリカ・カリ対ペニャロール 2−0
1987年10月21日 パスクアル・ゲレロ(カリ・コロンビア)観衆 45,000人
得点 アメリカ:バタグリア、カバナス
第2戦 ペニャロール対アメリカ・カリ 2−1
1987年10月29日 センテナリオ(モンテビデオ・ウルグアイ)観客 70,000人
得点 ペニャロール:アギ―レ(58分)、ビジャール(86分)
アメリカ・カリ:カバナス(19分)
第3戦(プレイオフ) ペニャロール対アメリカ・カリ 1−0(延長)
1987年10月31日 エスタディオ・ナシオナル(サンチアゴ・ペルー)
得点 ペニャロール:アギ―レ(119分)
優勝監督 ペニャロール:タバレス 優勝監督:バニューロ
◆アメリカ・カリ、またも南米一に届かず
1985年以来3年連続して決勝に進出したアメリカ・カリでしたが、今回もプレイオフの末敗れ、南米チャンピオンのタイトルを掲げることが出来ませんでした。
優勝したペニャロールは5回目(1960、1961、1966、1982、1987)のタイトル獲得を成し遂げました。
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ペニャロール リベルタド―レス・カップ 5回優勝記念カバー
<記念切手と小型シート、記念印付>
(1992年5月21日発行・ウルグアイ) |
― ちょっと寄り道 ―
セリエAの活況・2題
1980年、1964年以来16年に及んだ外国人輸入禁止措置が解かれ、1982年から人数枠も1人から2人に増えました。最初に恩恵を受けたのはユベントス、プラティニ(フランス)、ボニェク(ポーランド)、ラウドルップ(デンマーク)を獲得し、1980年代セリエAで4シーズン優勝に加え、1985年にはヨーロッパと世界制覇まで成し遂げました。
これに刺激され、イタリア北部の強豪だけでなく、中部のASローマや南部のナポリなども積極的に外国人選手受け入れを開始、世界のスーパースターが続々とセリエAに集結する様相を呈しはじめます。
◆1980年代セリエA優勝クラブと主な外国人選手移籍年
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注) < >:スクデット獲得シーズン
( ):スクデット通算獲得回数 |
ユベントス |
<1980-81(19)、1981-82(20)、1983-84(21)、
1985-86(22)> |
プラティニ/1982(フランス)、
ボニェク/1982(ポーランド)、
ミカエル・ラウドルップ/(1983レンタル移籍後1985復帰
(デンマーク) |
ASローマ |
<1982-83(2)> |
ファルカン/1980、セレーゾ/1983(ブラジル)
フェラー/1987(西ドイツ) |
ベロ―ナ |
<1984-85(1)> |
ブリーゲル/1984(西ドイツ) |
FCナポリ |
<1986-87(1)、1989-90(2)> |
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マラドーナ/1984(アルゼンチン)、
カレッカ/1987(ブラジル) |
インテル |
< 1979-80(12)、1988-89(13)> |
カールハインツ・ルムメニゲ/1984、マテウス/1988、クリンスマン/1989(西ドイツ)、シーフォ/1987(ベルギー)
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ACミラン |
<1987-1988(11)> |
フリット/1987、ファンバステン/1987、
ライカールト/1988(オランダ) |
ウディネーゼ |
<セリエA優勝なし> |
ジーコ/1983(ブラジル) |
フィオレンティーナ |
<1980年代セリエA優勝なし> |
ソクラテス/1985(ブラジル)、
パサレラ/1982(アルゼンチン) |
◆セリエA優勝記念切手発行開始、第1号はFCナポリ
FCナポリが、当時プラティニとならぶ天才マラドーナをFCバルセロナから巨額の移籍金を支払って獲得したのは、1984年のことでした。
同クラブから1986年のワールドカップ・メキシコ大会に参加、世界の頂点を極め「マラドーナの大会」と言わしめるほどの活躍を見せました。
ワールドカップから戻ったマラドーナは、FCナポリ移籍して3年後の1986-87シーズン、クラブに初のリーグ優勝栄冠をもたらし、さらに1989-90シーズンの2度目のスクデット獲得にも貢献しました。
イタリア郵政も世界の才能が集うセリエAに注目し、1986-87シーズンからスクデット獲得クラブの記念切手発行を開始、2015年現在に至るまで毎年発行し続けています。(2005-06シーズンを除く)
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FCナポリ・セリエA
1986−87シーズン
優勝記念切手
(1987年5月18日発行・
イタリア)
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FCナポリ・ セリエA優勝記念カバー
(1987年5月18日ナポリ局特別記念印付)
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