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■ 手のひらの上のサッカー史
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■ 手のひらの上のサッカー史
<INDEX:第9部〜第11部>

第12部
「トヨタカップ」 
 日本で競うクラブ世界一

1.初代の覇者はナシオナル

2.ジーコ、クラブ史に世界一を

3.南米、イングランド勢に3連勝
4.グレミオ、創設80周年の快挙
5.インデペンディエンテで南米5連覇
6.ユベントス、初制覇!
7.アルゼンチン、代表とクラブで世界一
8.FCポルト、初挑戦で世界一
9.ナシオナル、2度目のトヨタ杯制覇
10.10回記念大会は、ACミラン
11.ACミラン、世界一連覇達成!
12.レッドスター、東欧勢初の世界制覇
13.サンパウロ、世界一に輝く!
14.サンパウロ、世界連覇の快挙!
15.ベレス世界一、南米3連覇く!
16.アヤックス、苦しみ抜いて世界制覇
17.ユベントス、2度目の世界一!
18.ドルトムント、世界の頂点に!
19.レアル、38年ぶりの世界一!
20.マンチェスター、世界頂点に!
21.ボカ、20世紀最後の世界王者に
22.21世紀最初の世界王者、
       バイエルン・ミュンヘン
23.レアル、100周年対決を制す
24.ボカ、通算3度目の世界一
25.最後の覇者はFCポルト

26.FIFAクラブ選手権に
     継承されたトヨタカップ

第13部 ワールドカップ・補足

1.2014年ブラジルW杯(1)

2.2014年ブラジルW杯(2)

3.2015年女子カナダW杯(1)

4.2015年女子カナダW杯(2)

 

小堀 俊一 (こほり・しゅんいち)
1941年生まれ。 
フットボール・フィラテリスト、ビバ!サッカー研究会会員。
40年あまり前から、サッカー郵趣品(切手・はがき・封筒・記念消印などの郵便物資料)を収集し、楽しみながら世界のサッカーを学び続けています。
著書:「サッカー百科展」(1992年・大修館書店)、「サッカースタンプスタジアム」 (2002年・ 日本郵趣出版)


第12部 「トヨタカップ」 日本で競うクラブ世界一

6.ユベントス、初制覇!

第6回トヨタカップ(1985年)
ユベントス対アルヘンティノス・ジュニアーズ 2−2 PK 4−2
1985年12月8日 国立競技場(東京) 観客 62,000人
得点者 ユベントス:プラティニ(63分PK)ラウドルップ(82分)
      アルヘンティノス:エレロス(55分)、カストロ(75分)
主審  ロート(西ドイツ)
監督  ユベントス:ジョバンニ・トラパットーニ(イタリア)
     アルヘンティノス:ホセ・ジュディカ(アルゼンチン)
MVP   プラティニ 背番号10 (ユベントス/フランス)


トヨタカップ初めてヨーロッパへ
 トヨタカップにイタリアから初めて登場したユベントスは、後半に入りアルヘンティノスに2度先行されますが、63分プラティニのPKと82分に新たにチームに加わった*デンマーク代表ミカエル・ラウドルップのゴールで同点に追い付きます。延長戦でも2対2のまま、試合は初めてPK戦に持ち込まれ、ユベントスが4対2で制しやっと決着がつきました。   
注*)ラウドルップのユベントス移籍は1983年6月ですが、当時セリエAでは同時に出場可能な外国人選手は2人までであり、プラティニとボニェク中心のチーム編成からラッツィオへレンタル移籍していた。1985年夏ボニェクのASローマ移籍によりユベントスへ復帰。
   
 MVPとなったプラティニは、「私のピークは1985年の12月」「インターコンティネンタル・カップ(トヨタカップ)で優勝した頃です」とマルグリット・デュラス(フランスの作家)との1987年に行われた対談で述べています。(『ゴールの見えない物語』サイモン・クーパー編・森田浩之訳/株式会社ザ・マサダ刊)

ミッシェル・プラティニ(左)

ボニペルティ会長(左)とトラパット―ニ監督(右)

上下2点とも、1994年3月22日発行・
センビンセント及びグレナディーン諸島


ユベントス、悪夢の中での初戴冠
−第30回ヨーロッパ・チャンピオンズ・カップ(1984‐85シーズン)−

準々決勝
1回戦(32チーム)、2回戦(16チーム)を勝ち抜いた8チームにより行われました。
ユベントス(イタリア)対スパルタ・プラハ(チェコスロバキア)3−0、0−1
ボルドー(フランス)
      対ドニエプル・ドネエプロベトロフスク(ソ連) 1−1、1−1(PK5−3)
パナシナイコス(ギリシャ)対1FKイエーテボリ(スウェーデン)1−0、2−2
リバプール(イングランド)対FKオーストリア(オーストリア) 1−1、4−1

準決勝
ユベントス対ボルドー 3−0、0−2
リバプール対パナシナイコス 4−0、1−0

決勝
ユベントス対リバプール 1−0
1985年5月29日 ヘイゼル(ブリュッセル・ベルギー)観客 50,000人
得点 ユベントス:プラティニ(58分 PK)
監督 ユベントス:ジョバンニ・トラパットーニ
    リバプール:フェイガン 


大会最多得点:プラティニ(ユベントス)
          T・ニルソン(1FKイエーテボリ) 各 7点

プラティニヘイゼルの悲劇を語る
 決勝戦の行われたブリュッセルのヘイゼル・スタジアムで試合開始1時間前にサポーターどうしの小競り合いから事件は起きました。数十人のリバプール・サポーターが両サポーターを分かつために設けられた柵を超えてユベントス側に押し寄せ、襲いかかり、死者38名(その後入院先の病院で1名死亡)、負傷者400名以上の大惨事となってしまいました。
 プラティニは、『ゴールの見えない物語』(前掲書)の中で、ユベントスとリバプールの選手はロッカールームで試合の準備をしていて事件を目撃しておらず、両チームの監督が事態を鎮めるために試合をしようと判断し、その指示に従った、と語っています。
 さらなる混乱を鎮めるため、ユベントスのガエタノ・シレアとリバプールのフィル・二―ルは観客に向かってマイクで語りかけなければなりませんでした。そして試合は開始され、両チームのプレイヤーは真剣に戦いましたが、盛り上がりに欠け  る展開に終始しましたが、止むを得なかったことと思います。
 決着はPKによるものでした。ユベントスのボニェクに対するリバプールDFギレスピーの反則は明らかにペナルティ・エリアの外であったにもかかわらず、PKと判定され、これをプラティニが決め、優勝トロフィは初めてユベントスに手渡されました。

パオロ・ロッシ

ガエタノ・シレア

1994年3月22日発行・
センビンセント及びグレナディーン諸島



アルヘンティノス・ジュニアーズ
 −第26回リベルタドーレス・カップ(1985年) −

準決勝
参加20チームを5グループに分けた1回戦を行い、各グループ1位の5チームに前大会優勝のインデペンディエンテを加えた6チームにより行われました。

グループ1: 1位

アルヘンティノス・ジュニアーズ(アルゼンチン)

  2位

インデペンディエンテ(ウルグアイ)

  3位

ブルーミング(ボリビア)

グループ2: 1位

アメリカ・カリ(コロンビア)

  2位

ナシオナル・キト(エクアドル)

  3位

ペニャロール(ウルグアイ)


決勝
第1戦 アルヘンティノス・ジュニアーズ対アメリカ・カリ 1−0
1985年10月17日 モニュメンタル(ブエノスアイレス・アルゼンチン) 
観客:50,000人
得点 アルヘンティノス:コミッソ(40分)


第2戦 アメリカ・カリ対アルヘンティノス・ジュニアーズ 1−0
1985年10月22日 パスクアル・ゲレロ(カリ・コロンビア)観客 50,000人
得点 アメリカ:オルティス(3分)   


プレイオフ
アルヘンティノス・ジュニアーズ対アメリカ・カリ 1−1
                              (5−4PK)
得点 アルヘンティノス:コミッソ(37分)
    アメリカ:ガレカ(42分)

優勝監督 アルヘンティノス・ジュニアーズ:ホセ・ジュディカ


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