第12部 「トヨタカップ」 日本で競うクラブ世界一
6.ユベントス、初制覇!
第6回トヨタカップ(1985年)
ユベントス対アルヘンティノス・ジュニアーズ 2−2 PK 4−2
1985年12月8日 国立競技場(東京) 観客 62,000人
得点者 ユベントス:プラティニ(63分PK)ラウドルップ(82分)
アルヘンティノス:エレロス(55分)、カストロ(75分)
主審 ロート(西ドイツ)
監督 ユベントス:ジョバンニ・トラパットーニ(イタリア)
アルヘンティノス:ホセ・ジュディカ(アルゼンチン)
MVP プラティニ 背番号10 (ユベントス/フランス)
◆トヨタカップ初めてヨーロッパへ
トヨタカップにイタリアから初めて登場したユベントスは、後半に入りアルヘンティノスに2度先行されますが、63分プラティニのPKと82分に新たにチームに加わった*デンマーク代表ミカエル・ラウドルップのゴールで同点に追い付きます。延長戦でも2対2のまま、試合は初めてPK戦に持ち込まれ、ユベントスが4対2で制しやっと決着がつきました。
注*)ラウドルップのユベントス移籍は1983年6月ですが、当時セリエAでは同時に出場可能な外国人選手は2人までであり、プラティニとボニェク中心のチーム編成からラッツィオへレンタル移籍していた。1985年夏ボニェクのASローマ移籍によりユベントスへ復帰。
MVPとなったプラティニは、「私のピークは1985年の12月」「インターコンティネンタル・カップ(トヨタカップ)で優勝した頃です」とマルグリット・デュラス(フランスの作家)との1987年に行われた対談で述べています。(『ゴールの見えない物語』サイモン・クーパー編・森田浩之訳/株式会社ザ・マサダ刊)
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ミッシェル・プラティニ(左) |
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ボニペルティ会長(左)とトラパット―ニ監督(右) |
上下2点とも、1994年3月22日発行・
センビンセント及びグレナディーン諸島 |
■ユベントス、悪夢の中での初戴冠
−第30回ヨーロッパ・チャンピオンズ・カップ(1984‐85シーズン)−
準々決勝
1回戦(32チーム)、2回戦(16チーム)を勝ち抜いた8チームにより行われました。
ユベントス(イタリア)対スパルタ・プラハ(チェコスロバキア)3−0、0−1
ボルドー(フランス)
対ドニエプル・ドネエプロベトロフスク(ソ連)
1−1、1−1(PK5−3)
パナシナイコス(ギリシャ)対1FKイエーテボリ(スウェーデン)1−0、2−2
リバプール(イングランド)対FKオーストリア(オーストリア) 1−1、4−1
準決勝
ユベントス対ボルドー 3−0、0−2
リバプール対パナシナイコス 4−0、1−0
決勝
ユベントス対リバプール 1−0
1985年5月29日 ヘイゼル(ブリュッセル・ベルギー)観客 50,000人
得点 ユベントス:プラティニ(58分 PK)
監督 ユベントス:ジョバンニ・トラパットーニ
リバプール:フェイガン
大会最多得点:プラティニ(ユベントス)
T・ニルソン(1FKイエーテボリ) 各
7点
◆プラティニヘイゼルの悲劇を語る
決勝戦の行われたブリュッセルのヘイゼル・スタジアムで試合開始1時間前にサポーターどうしの小競り合いから事件は起きました。数十人のリバプール・サポーターが両サポーターを分かつために設けられた柵を超えてユベントス側に押し寄せ、襲いかかり、死者38名(その後入院先の病院で1名死亡)、負傷者400名以上の大惨事となってしまいました。
プラティニは、『ゴールの見えない物語』(前掲書)の中で、ユベントスとリバプールの選手はロッカールームで試合の準備をしていて事件を目撃しておらず、両チームの監督が事態を鎮めるために試合をしようと判断し、その指示に従った、と語っています。
さらなる混乱を鎮めるため、ユベントスのガエタノ・シレアとリバプールのフィル・二―ルは観客に向かってマイクで語りかけなければなりませんでした。そして試合は開始され、両チームのプレイヤーは真剣に戦いましたが、盛り上がりに欠け る展開に終始しましたが、止むを得なかったことと思います。
決着はPKによるものでした。ユベントスのボニェクに対するリバプールDFギレスピーの反則は明らかにペナルティ・エリアの外であったにもかかわらず、PKと判定され、これをプラティニが決め、優勝トロフィは初めてユベントスに手渡されました。
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パオロ・ロッシ |
ガエタノ・シレア |
1994年3月22日発行・
センビンセント及びグレナディーン諸島 |
■アルヘンティノス・ジュニアーズ
−第26回リベルタドーレス・カップ(1985年) −
準決勝
参加20チームを5グループに分けた1回戦を行い、各グループ1位の5チームに前大会優勝のインデペンディエンテを加えた6チームにより行われました。
グループ1: |
1位 |
アルヘンティノス・ジュニアーズ(アルゼンチン) |
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2位 |
インデペンディエンテ(ウルグアイ) |
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3位 |
ブルーミング(ボリビア) |
グループ2: |
1位 |
アメリカ・カリ(コロンビア) |
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2位 |
ナシオナル・キト(エクアドル) |
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3位 |
ペニャロール(ウルグアイ) |
決勝
第1戦 アルヘンティノス・ジュニアーズ対アメリカ・カリ 1−0
1985年10月17日 モニュメンタル(ブエノスアイレス・アルゼンチン)
観客:50,000人
得点 アルヘンティノス:コミッソ(40分)
第2戦 アメリカ・カリ対アルヘンティノス・ジュニアーズ 1−0
1985年10月22日 パスクアル・ゲレロ(カリ・コロンビア)観客 50,000人
得点 アメリカ:オルティス(3分)
プレイオフ
アルヘンティノス・ジュニアーズ対アメリカ・カリ 1−1
(5−4PK)
得点 アルヘンティノス:コミッソ(37分)
アメリカ:ガレカ(42分)
優勝監督 アルヘンティノス・ジュニアーズ:ホセ・ジュディカ
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