第12部 「トヨタカップ」 日本で競うクラブ世界一
25.最後のトヨタカップ、覇者はFCポルト
第25回トヨタカップ(2004年)
FCポルト対オンセ・カルダス 延長0−0、PK8−7
2004年12月12日 横浜国際競技場(横浜) 観客 45,748人
主審 ホルへ・ラリオンダ(ウルグアイ)
監督 FCポルト:ビクトル・フェルナンデス(スペイン)
オンセ・カルダス:ルイス・フェルナンド・モントジャ
MVP マニシェ 背番号18(FCポルト)
◆FCポルト、17年前の雪の国立以来2度目の戴冠
欧州対南米の対戦成績12勝12敗で迎えた最後のトヨタカップは、攻撃重視のFCポルトと堅守のオンセ・カルダスという対照的な対戦でした。
ポルトのシュート数23、うち4回はポストやバーに阻まれ、0対0のまま突入した延長前半には、極度の緊張から、ポルトのベテランGKビトル・バイーアが倒れ、交代を強いられるアクシデントまで起きました。
オンセの守護神エナオは、リベルタドーレス・カップ決勝、対ボカ・ジュニアーズ戦で2本を止めた実績を誇っていました。PK戦先行のオンセは4人目まで成功、対するポルトの4人目MFマニシェのキックは、バーにはじき返されました。オンセの5人目MFファブロのキックに注目が集まりました。しかし今度はゴールポストがポルトを救いました。オンセ9人目、ガルシアは枠を大きくオーバー、ポルトのDFペドロ・エマヌエルのキックしたボールはゴール左へ突き刺さり、すべてを守護神の力に託したオンセの夢は砕けました。
MVPに選ばれたポルトガル代表マニシェは、2002年にベンフィカからポルトへ加入。この試合でもポルトのシュート23本中8本を放っています。
◆再編途上のポルトを率いたフェルナンデス監督
UEFAチャンピオンズ・リーグを優勝に導いた直後、ジョゼ・モウリーニョがチェルシーに引き抜かれ、後任のルイジ・デルネリ(イタリア)もわずか1カ月で解任され、フェルナンデスが8月12日に就任。トヨタカップのちょうど4カ月前でした。監督交代劇だけでなく、主力選手の移籍や異動も大幅でした。DFリカルド・カルバーリョ、DFパウロ・フェレイラはモウリーニョのチェルシーへ、MFデコはFCバルセロナへ、MFドミトリー・アレニチェフも古巣スパルタク・モスクワへ戻ってしまいました。
短期間にチームを世界一に導いたフェルナンデス監督の喜びの大きさが伝わってきます。
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<FCポルトのエンブレム>
クラブ100周年記念切手付
絵ハガキ
(2005年11月25日発行・
ポルトガル) |
■FCポルト、UEFA50周年を飾る
−第49回UEFAチャンピオンズ・リーグ(2003-04シーズン)−
◆UEFA創設50周年
1954年6月15日、バーゼル(スイス)で設立されたUEFAは、2004年50周年をむかえました。(同年FIFAは100周年)
この連載の第9部以降で取りあげてきましたように、UEFAは、ヨーロッパのクラブチャンピオンを決める大会を1955年秋にスタートさせ成功させました。その後各大陸連盟のクラブ選手権大会設置に多大な影響を及ぼし、世界のクラブ大会をリードし続けています。
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UEFA 50周年記念
(2004年3月9日発行・スイス) |
◆大会方式変更、1段階のみグループステージ新設
今期から予選(1次〜3次)、グループステージ(1段階)とラウンド16
(ノックアウト方式)に変更されました。(総試合数は205)
第1次予選 20チーム(2002年UEFAランキング29位以下のリーグ優勝クラブ)
勝ち抜いた10チーム第2次予選へ (20試合)
第2次予選 28チーム(第1次予選勝ち抜き10チーム+シード18チーム*)
*
UEFAランク17〜28位リーグ優勝12+同10〜15位の準優勝6)。
勝ち抜いた14チーム第3次予選へ (28試合)
第3次予選 32チーム(第2次勝ち抜き14チーム+シード18チーム*)
*UEFAランク11〜16位リーグ優勝6+同7〜9位リーグ準優勝3+
同1〜6位リーグ3位6+同1〜3位リーグ4位3)
勝ち抜いた16チームがグループステージ進出 (32試合)
グループステージ (2003年9月16日〜12月10日)(96試合)
32チーム(第3次予選勝ち抜き16チーム+シード16チーム*)
*UEFAランク1〜10位リーグ優勝10+同1〜6位リーグ準優勝6)
8グループ(A〜H)の、各グループ1位2位、計16チームがラウン
ド16に進出。
ラウンド16
(第1戦:2004年2月24日、4月25日、第2戦:3月9日、3月10日、16試合)
レアル・マドリード(スペイン)対バイエルン・ミュンヘン 1−1、1−0
アーセナル(イングランド)対セルタ・デ・ビーゴ(スペイン)3−2,2−0
デポルティーボ・ラコルーニャ(スペイン)対ユベントス 1−0、1−0
ASモナコ(フランス)対ロコモティフ・モスクワ(ロシア)1−2,1−0
(アウェイゴール差でASモナコが準々決勝進出)
FCポルト(ポルトガル)
対マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 2−1、1−1
オリンピック・リヨン(フランス)対レアル・ソシエダ(スペイン) 1−0、1−0
ACミラン(イタリア)対スパルタ・プラハ(チェコ) 0−0、4−1
チェルシー(イングランド)対VfBシュトゥットガルト(ドイツ)1−0、0−0
準々決勝
(第1戦:2004年3月22日、3月23日、第2戦:4月6日、4月7日)
チェルシー対アーセナル 1−1、2−1
デポルティーボ・ラコルーニャ対ACミラン 1−4、4−0
FCポルト対オリンピック・リヨン 2−0,2−2
ASモナコ対レアル・マドリード 2−4、3−1
(アウェイゴール差でASモナコが準決勝進出)
準決勝
(第1戦:2004年4月20日、4月21日、第2戦:5月4日、5月5日)
ASモナコ対チェルシー 3−1、2−2
FCポルト対デポルティーボ・ラコルーニャ 0−0、1−0
決勝
FCポルト対ASモナコ 3−0
2004年5月26日 アレナ・アウフシャルケ(ゲルゼンキルヘン、ドイツ)
観客 53,053人
得点 FCポルト:カルロス・アルベルト(39分)、デコ(71分)、アレニチェフ(75分)
監督 FCポルト:ジョゼ・モウリ―ニョ
ASモナコ:ディディエ・デシャン
第49回大会最多得点:フェルナンド・モリエンテス(ASモナコ)9点
◆FCポルト 17年ぶりのヨーロッパ王者
ラウンド16の対マンチェスター・ユナイテッド戦は苦しい戦いでした。第1戦(ホーム)で先制されながらマッカーシーの2得点で2−1の逆転勝利。またも先制を許したアウェイでの第2戦も、終了間際に得たFKをマッカーシーが蹴り、相手GKがはじき、素早く反応したコスティニャが同点ゴールを決めた際どい勝利でした。
準々決勝対リヨン戦、準決勝対デポルティーボ・ラコルーニャ戦(ユベントス、AC ミランを連破し進出)では、いずれも相手にペースを渡すことなく決勝進出を果たしました。
近年のチャンピオンクラブ(レアル・マドリード、ACミラン、マンチェスター・ ユナイテッド)が激しく争う中で、決勝はFCポルトとASモナコの新鮮な対決となりました。
緊迫した展開は、前半なかばのASモナコのルドビク・ジュリーの負傷退場によりFC ポルトに傾きはじめます。39分カルロス・アルベルトの鮮やかなシュートが決まり均衡を破りました。71分、デコの追加点は59分に交代出場したアレニチェフのアシストから生まれました。75分、アレニチェフは3点目を自らネットに突き刺し勝利を決定づけました。
ジョゼ・モウリーニョは監督就任2年余りで、クラブを17年ぶりにヨーロッパの頂点導き、その手腕は高く評価されました。
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FCポルト クラブ100周年記念小型シート
(2005年11月25日発行・ポルトガル)
<切手には、高さ75cm、重さ8kg 純銀製優勝カップ
「ビッグイヤー」とクラブ紋章、
小型シート地に新ホームの「ドラゴン」スタジアムと
創始者アントニオ・ニコラウ・ダルメイダの肖像が描かれている> |
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FCポルトのホームスタジアム「ドラゴン」全景
(2003年11月16日オープン)
<EURO2004大会開催記念マキシマムカ−ド>
(切手は第6次、2004年4月28日発行・ポルトガル)
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■オンセ・カルダス、ボカを破り初優勝
−第45回 トヨタ リベルタドーレス・カップ(2004年) −
準々決勝
前年同様ベネズエラとメキシコによる予選(リーグ戦方式)の1位、2位チームを加えた32チーム(各4チーム、8グループ)で1回戦(リーグ戦)を行い、各グループ1位と2位の16チームで2回戦(ノックアウト方式)を実施、勝ち抜いた8チームが準々
決勝へと進みました。
サンパウロFC(ブラジル)
対デポルティボ・タチラ(ベネズエラ)3−0、4−1
オンセ・カルダス(コロンビア)対サントスFC(ブラジル)1−1、1−0
ボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)
対サンカエタノ(ブラジル)0−0、1−1、PK4−3
リバープレート(アルゼンチン)対デポルティボ・カリ(コロンビア)1−0、3−1
準決勝
オンセ・カルダス対サンパウロFC 0−0、2−1
ボカ・ジュニアーズ対リバープレート 1−0、1−2、PK5−4
決勝
第1戦 ボカ・ジュニアーズ対オンセ・カルダス 0−0
2004年6月23日 ボンボネーラ(ブエノスアイレス、アルゼンチン)
第2戦 オンセ・カルダス対ボカ・ジュニアーズ 1−1
2004年7月1日 パログランデ(マニサレス、コロンビア)
得点 オンセ・カルダス:ビアファラ(7分)
ボカ・ジュニアーズ:ブルディソ(52分)
優勝決定PK戦: オンセ・カルダス 2−0 ボカ・ジュニアーズ
優勝監督 ルイス・フェルナンド・モントジャ(オンセ・カルダス)
◆新鋭オンセ、古豪ボカを下す
クラブ創設1959年、国際的にはほとんど知られていないオンセと、同1905年で強豪のボカとの決勝戦でした。
決勝第1戦(アウェイ)でボカ・ジュニアーズと引き分けたことで、リベルタドーレス・カップ4回目出場のオンセに望みが出てきました。同大会におけるオンセのこれまでのホームでの戦績は、12勝(2PK勝含む)1分と圧倒的な強さを発揮してきたからです。
第2戦の90分間で決着はつかず、PK戦に持ち込まれました。ボカのキックはゴール枠を外れ、クロスバーに弾かれ、2本はオンセの守護神エナオにストップされ、PK2−0でオンセが初の栄冠を手にしました。
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オンセ・カルダス
<1982年ワールドカップ・スペイン
大会記念15種中の1種>
(19822年6月2日発行・
コロンビア) |
― ちょっと寄り道 ―
国内リーグ優勝クラブ <セリエA(イタリア)>
◆ACミラン、通算17回目の優勝(2003-04シーズン)
1998-99シーズン以来5シーズンぶりにACミランが勝点82をあげ、2位のASローマに11差の大差をつけ優勝しました。同チームのシェフチェンコはチーム65点のう ち24点を決め、得点王に輝いています。
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ACミラン
セリエA優勝記念
(2004年5月22日発行・
イタリア)
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