第12部 「トヨタカップ」 日本で競うクラブ世界一
12.レッドスター、東欧勢初の世界制覇!
第12回トヨタカップ(1991年)
レッドスター・ベオグラード対コロ コロ 3−0
1991年12月8日 国立競技場(東京) 観客 60,000人
得点 レッドスター: ユーゴビッチ(19分、58分)、パンチェフ(72分)
主審 ルートリスベルゲル(スイス)
監督 レッドスター: ブラディミル・ポポビッチ(旧ユーゴスラビア/セルビア)
コロ コロ: ミルコ・ヨジッチ(旧ユーゴスラビア/クロアチア)
MVP ユーゴビッチ 背番号4 (レッドスター)
◆勝利への意思を高め、苦難を乗り越えたレッドスター
レッドスターがヨーロッパを制覇した1991年5月29日から1カ月も経っていない同年6月25日、クロアチアとスロベニアが独立を宣言、同9月にはマケドニアも離脱し、ユーゴスラビア連邦は解体しました。連邦解体は時期尚早とする連邦軍のスロベニア侵攻を機にECが乗り出し停戦。11月に、ECによる対ユーゴ経済制裁が開始されたばかりという状況下で行われた第12回大会でした。しかも両クラブの監督はセルビアとクロアチア出身という巡り合わせでした。
コロ コロが立ち上がり攻勢をかけますが、レッドスターは19分サビチェビッチからのスルーパスがタイミング良く走り込んだユーゴビッチに渡り、GKと1対1になりながら冷静にゴールに流し込み先制。しかし前半終了間際に先制点をおぜん立てしたサビチェビッチが相手選手の挑発に乗り、トヨタカップ初の退場処分を受けてしまいました。レッドスターの攻撃をリードしていたサビチェビッチを失いましたが、カウンター攻撃がみごとにはまり、58分ユーゴビッチ、72分にパンチェフが追加点を上げ、快勝しました。
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レッドスター世界初制覇記念
<ヨーロッパ・チャンピオンズ・カップ
の優勝杯も描かれている> |
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レッドスター世界制覇<特別記念消印付初日カバー>
(2点とも、1992年1月31日発行・ユーゴスラビア) |
■レッドスター、ついにヨーロッパの頂点に立つ
−第36回ヨーロッパ・チャンピオンズ・カップ(1990‐91シーズン)−
準々決勝
1回戦(32チーム)、2回戦(16チーム)を勝ち抜いた8チームにより行われました。
レッドスター・ベオグラード(ユーゴスラビア)対ディナモ・ドレスデン(東ドイツ)
3−0、3−0(第2戦のスコアは、82分試合打ち切りによるUEFA裁定スコア)
バイエルン・ミュンヘン(西ドイツ)対FCポルト(ポルトガル)1−1、2−0
スパルタク・モスクワ(ソ連)対レアル・マドリード(スペイン)0−0、3−1
マルセイユ(フランス)対ACミラン(イタリア)1−1、1−0
準決勝
レッドスター・ベオグラード対バイエルン・ミュンヘン 2−1、2−2
マルセイユ対スパルタ・モスクワ 3−1、2−1
◆念願の「準決勝の壁」を超えたレッドスター
第2回(1956-57シーズン)で準決勝進出を果たしながら敗退、その後は準々決勝どまり(6回)の戦績を残してきたレッドスターにとって久しぶりの準決勝登場でした。 強敵バイエルンとの第1戦はアウェイ、先制されましたが前半終了直前にパンチェフが決め、同点に追い付きました。70分にサビチェビッチの鮮やかなゴールで逆転勝ちに成功します。
第2戦ではFKをミハイロビッチが決め先制しますが、アウゲンターラ(63分)とベンダー(69分)に立て続けにゴールを決められ逆転を許し窮地に立たされます。技術は優れているが勝ち抜く意思に欠けていると見なされてきたレッドスターでしたが、試合終了直前にプロシネツキのセンタリングの処理をバイエルンのGKアウマンとアウゲンターラが誤り、幸運な得点で試合は終了。2試合合計4対3でレッドスターの初めての決勝進出が決まりました。
◆マルセイユ、ACミランを下し野望に近づく
準々決勝の対戦相手がACミランに決まると、マルセイユの会長ベルナール・タピーは、監督のベッケンバウアーをテクニカル・ディレクターの役職に就けベルギー人のレイモン・ゲタルスを後任監督としました。
第1戦(1991年3月6日・サンシ―ロ)、15分にフリットに先制点を許しましたが、ACミランはバレージ(負傷)とファンバステン(出場停止)欠いており、マルセイユが次第に試合の主導権を握り、27分にアベディ・ペレとクリス・ワドルの攻撃に加わったパパンがゴールを決めて、同点としました。
マルセイユのホーム、ベロドローム(1991年3月20日)での第2戦、75分にパパンによる先制ゴールが生まれました。この後スタジアムの照明のひとつが消えるアクシデントが起き、ACミランの選手と役員が主審に試合の中止を訴えました。しかし主審は試合続行を促し、これを拒否するACミランはプレイを再開せず、試合はそのまま1対0で成立。ACミランのヨーロッパ3連覇はなりませんでした。
強敵ACミランを倒した勢いに乗ってマルセイユは準決勝でスパルタク・モスクワに 圧勝し、初の決勝に進出しました。
決勝
レッドスター・ベオグラード対マルセイユ 0−0 PK5−3
1991年5月29日 サンニコラ(バリ、イタリア) 観客 50,000人
監督 レッドスター:ブラディミル・ペトロビッチ
マルセイユ:レイモン・ゲタルス
大会最多得点:パパン(マルセイユ)、バクルト(FCチロル) 各6点
◆レッドスター16度目の挑戦でヨーロッパ王者に
両チーム無得点のまま、延長に入った110分にストイコビッチが投入されましたが試合は動かず、勝敗はPK戦で決められました。マルセイユ最初のキッカーに選ばれたDFアモロスが失敗、これが響き5対3で決着、マルセイユのヨーロッパ王者獲得の野望はなりませんでした。
なお、ストイコビッチの古巣レッドスターとの対決が僅か数分間に終わったのは、ワールドカップ・イタリア大会後レッドスターを離れ、マルセイユに合流後間もなくのフランスリーグの試合で左ひざを負傷、その後遺症に悩まされていたためでした。
■コロコロが南米初制覇
−第32回リベルタドーレス・カップ(1991年) −
準々決勝
参加20チームを5グループに分けて1回戦(リーグ戦)を行い、各グループ1、2、3位に前回優勝オリンピアを加えた16チームで2回戦(ノックダウン戦)を実施。2回戦を勝ち抜いた8チームで準々決勝は行われました。
コロ コロ(チリ)対ナシオナル・モンテビデオ(ウルグアイ) 4−0、0−2
ボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)対フラメンゴ(ブラジル) 1−2、3−0
ナシオナル・メデジン(コロンビア)対アメリカ・カリ(コロンビア)
0−0、2−0
オリンピア(パラグアイ)対セロ・ポルテーニョ(パラグアイ) 0−1、3−0
準決勝
コロ コロ対ボカ・ジュニアーズ 0−1、3−1
オリンピア対ナシオナル・メデジン 0−0、1−0
決勝
第1戦 オリンピア対コロ コロ 0−0
1991年5月29日 ディフェンソール・デル・チャコ(アスンシオン・パラグアイ)
観衆 48,000人
第2戦 コロ コロ対オリンピア 3−0
1991年6月6日 エスタディオ・ナシオナル(サンチャゴ・チリ)
観客 64,000人
得点 コロ コロ:ペレス(13、18分)、エレラ(85分)
優勝監督 コロ コロ:ミルコ・ヨジッチ
第32回最多得点:ガウショ(フラメンゴ)8点
― ちょっと寄り道 ―
国内リーグ優勝クラブ <セリエA(イタリア)>
サンプドリア初優勝 (1990-91シーズン)
1946年にクラブ創立。セリエBに低迷していたが、1979年にパオロ・マントバーニがクラブを買収し積極的な経営をスタート。1982年セリエA昇格を成し遂げ、ロベルト・マンチーニ、ジャンルカ・ビアリなど若くて優秀な選手を獲得。1986年ブヤディン・ボシコフを監督に招聘後セリエA上位の成績を収めるようになり、1990-91シーズンにセリエA優勝を成し遂げました。
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サンプドリア
セリエA優勝記念
(1991年5月27日発行・
イタリア) |
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