第12部 「トヨタカップ」 日本で競うクラブ世界一
11.ACミラン、世界一連覇達成!
第11回トヨタカップ(1990年)
ACミラン対オリンピア 3−0
1990年12月9日 国立競技場(東京) 観客 60,000人
得点 ACミラン:ライカールト(43分、65分)、ストロッパ(61分)
主審 ライト(ブラジル)
監督 ACミラン:アリゴ・サッキ
オリンピア:ルイス・アルベルト・クビジャ
MVP ライカールト 背番号8 (ACミラン)
◆ACミラン、初のトヨタカップ連覇
前回ひざの手術と治療のため不参加のフリットの復帰もあり、ベストメンバーを揃えたACミランが立ち上がりから攻勢をかけますが、オリンピアは厳しいチェックで対抗しました。前半終了間際の43分にフリットのクロスをライカールトが高い打点からのヘッディングを決め、先制しました。
先制により勢いづいたACミランは61分、ファンバステンの放ったシュートがポストに当たり跳ね返り、これをストロッパが押し込みました。続く65分ライカールトがとどめをさします。アシストしたのはファンバステンでした。
攻撃面でオランダ・トリオがそれぞれ輝き、バレージがリベロの真髄を見せて完封した試合でした。
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監督アリゴ・サッキ(上)
フランコ・バレージ(右) |
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オランダ・トリオ
(左からマルコ・ファンバステン、フリット、ライカールト)
<ACミラン100周年オフィシャル スタンプブック所収、
1999年・ボラフィ社製> |
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ACミラン優勝特別記念消印
(1990年12月9日付ミラノ局) |
■ACミラン、2連覇でヨーロッパに君臨
−第35回ヨーロッパ・チャンピオンズ・カップ(1989‐90シーズン)−
準々決勝
1回戦(32チーム)、2回戦(16チーム)を勝ち抜いた8チームにより行われました。
ACミラン(イタリア)対KVメヒェレン(ベルギー) 0−0、2−0
バイエルン・ミュンヘン(西ドイツ)対
PSVアイントホーフェン(オランダ)
2−1、1−0
マルセイユ(フランス)対スレデッツ・ソフィア(ブルガリア) 1−0、3−1
ベンフィカ(ポルトガル)対
ドニエプル・ドニエプロベトロフスク(ソ連)
1−0、3−0
準決勝
ACミラン対バイエルン・ミュンヘン 1−0、1−2
ベンフィカ対マルセイユ 1−2、1−0
◆マルセイユの挑戦
いくつかの事業経営に成功し豊富な財力を得たベルナール・タピはスポーツ事業に進出。1986年にオリンピック・マルセイユを買収し会長に就任、当時ベルルスコーニ会長のもとで大成功を収めていたACミランをモデルとしたチームづくりを開始しました。
その中心になったのは、1986年ワールドカップ・メキシコ大会後に引き抜かれたジャンピエール・パパン(前所属クラブ・ブルージュ/ベルギー)でした。続いてアベディ・ペレ(本名アベディ・アイェウ/ガーナ)、エリック・カントナ(フランス)らのスター選手獲得に成功し、1988-89シーズンのリーグ・アンの優勝を手に入れました。
その後もジャン・ティガナ(フランス)、クリス・ワドル(イングランド)、フランチェスコリ(ウルグアイ)など、有り余る程の選手を手に入れ、このシーズンのチャンピオンズ・カップに参戦してきました。
決勝第1戦はホームのベロドロームで行われ、12分に先制されますがソゼー、パパンのゴールで前半のうちに逆転し、2対1で勝ちました。アウェイのリスボンでの第2戦は0対0で終盤を迎えましたが、83分のコーナーキックから得点され、0対1と敗戦、ベンフィカの第1戦でのアウェイゴールが効いてマルセイユの敗退が決まりました。
決勝
ACミラン対ベンフィカ 1−0
1990年5月23日 プラター(ウィーン・オーストリア)観客 57,558人
得点 ACミラン:ライカールト(67分)
監督 ACミラン:アリゴ・サッキ
ベンフィカ:エリクソン
大会最多得点:ロマーリオ(PSVアイントホーフェン)、
パパン(マルセイユ) 各6点
◆ライカールトの鮮やかなゴール
フリットもケガから復帰しベンフィカに心理的重圧をかけ、得意の高さのあるジャンプヘッドで相手ゴールを襲いますが、唯一の得点を決めたのはライカールトでした。67分、ファンバステンからのパスを受けたライカールトが右足で変化をつけたシュートが鮮やかに決まり、ACミランは2年連続してヨーロッパの王座を手に入れました。
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ACミラン優勝記念特別記念消印
(1990年5月24日付ミラノ局) |
■オリンピアが南米王者に
−第31回リベルタドーレス・カップ(1990年) −
準々決勝
20チームを5グループに分けて1回戦(リーグ戦)を行い各グループ1、2、3位の15チームで2回戦を行う予定でしたが、グループ2に組分けられていたコロンビアの2チームが出場を辞退したため、グループ2のみ2チームとなり、2回戦(ノックダウン戦)は14チームで争われました。
準々決勝は2回戦勝者7チームに、前大会優勝のオリンピアを加えた8チームにより行われました。
オリンピア(パラグアイ)対ウニベルシダド・カトリカ(チリ) 2−0,4−4
ナシオナル・メデジン(コロンビア)対バス・コダ・ガマ(ブラジル) 0−0、1−0
リバープレート(アルゼンチン)対
インデペンディエンテ(アルゼンチン)
2−0、1−1
バルセロナ(エクアドル)対エメレク(エクアドル) 0−0、1−0
準決勝
オリンピア対ナシオナル・メデジン 2−1、2−3(PK2−1)
バルセロナ対リバープレート 0−1、1−0(PK4−3)
決勝
第1戦 オリンピア対バルセロナ 2−0
1990年10月3日 ディフェンソール・デル・チャコ・(アスンシオン・パラグアイ)
観衆 35,000人
得点 オリンピア:アマリージャ(47分)、サマニエゴ(65分)
第2戦 バルセロナ対オリンピア 1−1
1990年10月10日 モデーロ(グアヤキル・エクアドル)観客 55,000人
得点 バルセロナ:トロビアーニ(61分)
オリンピア;アマリージャ(80分)
優勝監督 オリンピア:ルイス・アルベルト・クビジャ(ウルグアイ)
最多得点者 サマ二エゴ (オリンピア) 7点
― ちょっと寄り道 ―
国内リーグ優勝クラブ <セリエA(イタリア)>
ナポリ、2回目のスクデット獲得(1989-90シーズン)
1986-87シーズンに初のスクデットを獲得したナポリは、続く2シーズンとも準優勝の成績を残し、マラドーナは1987-88シーズンに15得点を記録しセリエA得点王に輝きました。
1990年ワールドカップ・イタリア大会を控えた1989-90シーズン、34試合勝ち点51(21勝9引き分け、4敗)の成績で優勝、クラブ2度目のスクデットを手に入れました。
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ナポリセリエA優勝記念初日カバー
(1990年4月30日付特別記念消印・ナポリ局) |
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