第12部 「トヨタカップ」 日本で競うクラブ世界一
21.ボカ・ジュニアーズ、20紀最後の世界王者に
第21回トヨタカップ(2000年)
ボカ・ジュニアーズ対レアル・マドリード 2−1
2000年11月28日 国立競技場(東京) 観客 52,511人
得点 ボカ・ジュニアーズ:パレルモ(3分、6分)
レアル:ロベルト・カルロス(12分)
主審 オスカル・フリアン・ルイス(コロンビア)
監督 ボカ・ジュニアーズ:カルロス・ビアンチ
レアル・マドリード:ビセンテ・デルボスケ
MVP パレルモ 背番号9(ボカ・ジュニアーズ)
◆ボカ・ジュニアーズ、衝撃の先制攻撃
世界のスーパースター軍団レアル・マドリードは、いきなりボカ・ジュニアーズのカウンター攻撃を浴び2点を連取されてしまいました。
3分(トヨタカップ史上最速ゴール)、パレルモが左サイドからのデルガドのクロスをヘディングで、さらに6分にはリケルメからのロングパスを得意の左足で決めて観衆を驚かせました。12分、レアルのロベルト・カルロスがゴールを決めたことにより、追撃が始まると期待されました。
しかし、リベルタドーレス・カップ優勝後、DFのサムエルとアリア・バレナが抜けたにもかかわらず、GKコルドバ(1997年加入、コロンビア代表)、DFベルムデス(1997年ベンフィカから移籍、コロンビア代表)、DFマテジャンで形成されるボカの組織的な守備は堅固でした。またリケルメ、パレルモ、デルガドによる鋭いカウンター攻撃も効果的で、2−1のまま試合は終了。
ビアンチ監督は、第15回大会でベレス・サルスフィエルド(アルゼンチン)を率いてACミランを破って以来、6年ぶりに南米に世界一をもたらしました。
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歓喜のボカの選手達
(1999年11月13日発行・アルゼンチン)
※目打ちのない
シール式の切手
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■レアル・マドリード史上最多、8度目の優勝
−第45回UEFAチャンピオンズ・リーグ(1999‐2000シーズン)−
◆さらなる規模拡大による、試合数激増
準々決勝以前のステージで、第1次・第2次予選、グループリーグが行われた前シーズンから、さらに試合方式は変更され、第3次予選の追加とグループリーグが1次、2次の2段階となり、試合数は235(前シーズン149)にまで増えました。UEFAの狙いは、テレビ放映権料と広告宣伝料収益の増加でした。
第1次予選 18チーム、9チーム第2次予選へ(18試合)
第2次予選 28チーム(第1次勝ち抜き9チーム+シード19チーム)、14チーム第3次予選へ(28試合)
第3次予選 32チーム(第2次勝ち抜き14チーム+シード18チーム)、16チームが1次グループリーグ進出(32試合)
1次グループリーグ (1999年9月14日〜11月3日)(96試合)
32チーム(第3次予選勝ち抜き16チーム+シード16チーム) 、 各グループ1位2位の16チームが2次グループリーグ進出。
2次グループリーグ (1999年11月23日〜2000年3月22日)(48試合)
グループA
1位 FCバルセロナ (スペイン)<1次グループB 1位>
2位 FCポルト(ポルトガル)<1次グループE 2位>
3位 スパルタ・プラハ(チェコ)<1次グループG 1位>
4位 ヘルタ・ベルリン(ドイツ)<3次予選突破、1次グループH 2位>
グループB 1位 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)<1次グループD 1位>
2位 バレンシア(スペイン)<1次グループF 1位>
3位 フィオレンティーナ(イタリア)<3次予選突破、1次グループB 2位>
4位 ボルドー(フランス)<1次グループG 2位>
グループC
1位 バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)<1次グループF 2位>
2位 レアル・マドリード(スペイン)<1次グループE 1位>
3位 ディナモ・キエフ(ウクライナ)<第2次・3次予選突破、1次グループA
2位>4位 ローゼンボルグ(ノルウェー)<1次グループC 1位>
グループD
1位 ラッツィオ(イタリア)<1次グループA 1位>
2位 チェルシー(イングランド)<3次予選突破、1次グループH 1位>
3位 フェイエノールト(オランダ)<3次予選突破、1次グループC 2位>
4位 マルセイユ(フランス)<1次グループD 2位>
準々決勝 (2000年4月4日、4月5日、4月18日、4月19日)(8試合)
レアル・マドリード対マチェスター・ユナイテッド 0−0、3−2
バイエルン・ミュンヘン対FCポルト 1−1、2−1
FCバルセロナ対チェルシー 1−3、5−1
バレンシア対ラッツィオ 5−2、0−1
準決勝 (2000年5月2日、5月3日、5月9日、5月10日)(4試合)
レアル・マドリード対バイエルン・ミュンヘン 2−0、1−2
バレンシア対FCバルセロナ 4−1、1−2
決勝
レアル・マドリード対バレンシア 3−0
2000年5月24日 サンドニ(パリ、フランス) 観客 90,245人
得点 レアル:モリエンテス(39分)、マクマナン(67分)、ラウル(75分)
監督 レアル:ビセンテ・デルボスケ
バレンシア:エクトル・ク―ベル
第45回大会最多得点:ラウル(レアル・マドリード)10点
◆名門レアル、大会初の同国対決を制す
レアルの決勝の相手はFCバルセロナではなく、バレンシアでした。同クラブは第3次予選から参戦し、鋭いカウンター攻撃でFCバルセロナをも下し、勢いにのっていました。しかしスペインのナンバーワンクラブを自負するレアル・マドリードは自信あふれるプレイと落ち着きで得点を重ねました。39分の先制点は、アネルカからのパスをサルカドがセンタリング、これをモリエンテスがキッチリとヘッディングで決めました。67分の追加点は、相手DFのクリアをマクマナンがダイレクトで叩き込み、さらに75分速攻から抜け出したラウルがGKをもかわしてゴールネットを揺らしました。バレンシアに付け入る隙を与えない完勝でした。
■ボカ・ジュニアーズ、22年ぶりの南米王者
−第41回 トヨタ リベルタドーレス・カップ(2000年) −
準々決勝
前年同様ベネズエラとメキシコによる予選(リーグ戦方式)の1位、2位チームを加えた32チーム(各4チーム、8グループ)で1回戦(リーグ戦)を行い、各グループ1位と2位の16チームで2回戦(ノックアウト方式)を実施、勝ち抜いた8チームが準々決勝へと進みました。
ボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)対リバープレート(同)1−2、3−0
アメリカ(メキシコ)対ボリバール(ボリビア) 2−0、2−1
コリンチャンス(ブラジル)対アトレティコ・ミネイロ(同) 1−1、2−1
パルメイラス(ブラジル)対アトラス(メキシコ)2−0、3−2
準決勝
パルメイラス対コリンチャンス 3−4、3-2、PK5−4
ボカ・ジュニアーズ対アメリカ 4−1、1−3
決勝
第1戦 ボカ・ジュニアーズ対パルメイラス 2−2
2000年6月14日 ボンボネラ スタジアム(ブエノスアイレス、アルゼンチン)
観客 58,000人
得点 ボカ・ジュニアーズ:アルアバレナ(22分、61分)
パルメイラス:ベナ、エウレル(得点時間不明)
第2戦 パルメイラス対ボカ・ジュニアーズ 0−0
2000年6月21日 パレストライタリア(サンパウロ、ブラジル) 観客72,000人
優勝決定PK戦 ボカ・ジュニアーズ 4−2 パルメイラス
優勝監督 カルロス・ビアンチ
◆ボカ・ジュニアーズ、3度目の南米王者に
6年前(1994年)ベレス・サルスフィエルドを率いたカルロス・ビアンチは、当時、南米王者、そしてクラブ世界一として君臨していたサンパウロFCを決勝で下し(PK5−3)、更に第15回トヨタカップでもACミランを完封し世界王者まで駆け上り世界を驚かせました。
1998-99シーズン前期からボカ・ジュニアーズの監督に就任、今大会決勝の相手は2年連続4度目のパルメイラス(ブラジル)。たがいに譲らぬ戦いは0−0のまま終了、優勝決定のPK戦に持ち込まれました。
ここで活躍したのが、1997年ボカに加入したコロンビア代表のGKオスカル・エドゥアルド・コルドバ、2本のキックをストップし、チームを優勝に導き、決勝戦の最優秀選手に選ばれました。
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ボカ・ジュニアーズ
スタンド風景
(応援風船) |
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ボンボネ―ラスタジアムの横断幕
※目打ちのないシール式の切手 |
― ちょっと寄り道 ―
国内リーグ優勝クラブ(1) <セリエA(イタリア)>
◆ラッツィオ 2回目の優勝(1999-2000シーズン)
1900年にクラブが創設されたラッツィオが1974年初優勝以来26年ぶりに2度目の優勝を果たしました。1997年スベン・コーラン・エリクソンが監督に就任。1998年イタリアのクラブで初めて株式を上場、そこから得られた資金でスター選手を獲得、勝ち点72、21勝9分け7敗の成績でした。
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ラッツィオ セリエA優勝記念初日カバー
(2000年5月20日発行・イタリア)
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