第11部 ゆらぐクラブ世界大会
9.オリンピア、パラグアイ初のクラブ世界一
(1)第24回ヨーロッパ・チャンピオンズ・カップ(1978‐79シーズン)
◆ノッティンガム、リバプールからヨーロッパ王者を引き継ぐ
予備予選 (左側が勝利チーム)
ASモナコ(フランス)対ステアウア・ブカレスト(ルーマニア)
1回戦 (左側が勝者)
AEKアテネ(ギリシャ)対FCポルト(ポルトガル)
レアル・マドリード(スペイン)対プログレス・ニーデルコーン(ルクセンブルク)
PSVアイントホーフェン(オランダ)対フェネルパフチェ(トルコ)
ビスワ・クラクフ(ポーランド)対クラブ・ブルージュ(ベルギー)
FKオーストリア(オーストリア)対ブラデニア・スコデル(アルバニア)
ズブロヨブカ・ブルノ(チェコスロバキア)対ウシペシュティ・ドージャ(ハンガリー)
1FCケルン(西ドイツ)対IAアクラネス(アイスランド)
グラスゴー・レンジャーズ(スコットランド)対ユベントス(イタリア)
ノッティンガム・フォレスト(イングランド)対リバプール(イングランド)
グラスホッパー(スイス)対FCバレッタ(マルタ)
ディナモ・キエフ(ソ連)対ハーカ(フィンランド)
マルメ(スウェーデン)対ASモナコ(フランス)
ボヘミアンズ・ダブリン(アイルランド)対オモ二ア・ニコシア(キプロス)
ロコモチフ・ソフィア(ブルガリア)対OBオーデンセ(デンマーク)
リールストレーム(ノルウェー)対リンフィールド(北アイルランド)
ディナモ・ドレスデン(東ドイツ)対パルチザン・ベオグラード(ユーゴスラビア)
◆ノッティンガム、王者リバプールを撃破
この大会の1972-73シーズン、ブライアン・クラフはダービー・カウンティを率いて準決勝まで勝ち進みましたが、ユベントスに敗れています。その後、当時まだリーグ2部に所属していたノッティンガム・フォレストの監督に就任、1976‐77シーズンにトップリーグに昇格させています。翌1977-78シーズンにはリバプールを上回る成績で優勝、リーグカップでもリバプールを1対0で下し2冠に輝いています。
今大会、チャンピオンズ・カップ3連覇を狙うリバプールの1回戦の対戦相手はリーグで痛い目に遇ったノッティンガムに決まりました。
第1戦(1978年9月12日、シティ・グラウンド)、27分、ノッティンガムがウドコックからのセンタリングに21歳のアタッカーゲリー・バートルズが合わせ先制(相手GKはイアン・クレメンス)。反撃に出たリバプールの攻撃をしのいだ後、今度はバーンズがセンタリングし、ウドコックがヘッディングで決め、2対0で先勝しました。
第2戦(同9月27日、アンフィールド)は激しい戦いが繰り広げられましたがスコアレスドローとなり、ノッティンガムが2回戦へ進みました。この試合の立役者は守護神ピーター・シルトン(イングランド代表GK、ストークからの移籍)でした。
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1回戦・第2戦
「ノッティンガム対リバプール」
対戦特別記念消印
(1978年9月27日リバプール局・
イングランド) |
2回戦
1回戦を勝ち抜いた16チームで行われ、8チームが準々決勝へ進みました。
グラスホッパー対レアル・マドリード 1−3、2−0
ノッティンガム・フォレスト対AEKアテネ 2−1、5−1
グラスゴー・レンジャーズ対PSVアイントホーフェン 0−0、3−2
マルメ対ディナモ・キエフ 0−0、2−0
1FCケルン対ロコモチフ・ソフィア 1−0、4−0
ディナモ・ドレスデン対ボヘミアンズ・ダブリン 0−0、6−0
ビスワ・クラクフ対ズブロヨブカ・ブルノ 2−2、1−1
FKオーストリア対リールストレーム 4−1、0−0
準々決勝
1FCケルン対グラスゴー・レンジャーズ 1−0、1−1
マルメ対ビスワ・クラクフ 1−2、4−1
ノッティンガム・フォレスト対グラスホッパー 4−1、1−1
FK オーストリア対ディナモ・ドレスデン 3−1、0−1
準決勝
マルメ対FKオーストリア 0−0、1−0
ノッティンガム・フォレスト対1FCケルン 3−3、1−0
◆1FCケルン、奥寺同点シュート
西ドイツブンデスリーガ初代チャンピオン(1963-64シーズン)に輝いた1FCケルンですが、その後西ドイツの2強、バイエルンMとボルシアMGの前に実績を上げるに至りませんでした。1976年にヘネス・バイスバイラ―が監督に就任、1977-78シーズンにはブンデスリーガを制し、今シーズンのヨーロッパ・チャンピオンズ・カップ進出(2度目)を果たしました。
準決勝初進出の対戦相手ノッティンガム・フォレストは、1回戦で前回の覇者リバプールを倒した強豪。第1戦、ケルンは2-0とリードしながら同点に追いつかれ、63分には逆転を許してしまう。ここでバイスバイラー監督によって投入された奥寺康彦選手がゴール前20mから放った弾丸シュートが決まりました。(GKはあのピーター・シルトン)期待されたケルンでの第2戦でしたが、0対1で敗れ、チーム初の決勝進出はなりませんでした。
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1FCケルン 1978年ブンデスリーガ優勝記念消印
(1978年6月2日付)
(同クラブの過去の戦績も記されている)
(出典:「サッカーの消印」ジョルジ・シ―ニョ著) |
決勝
ノッティンガム・フォレスト対マルメ 1−0
1979年5月30日 オリンピア シュタディオン(ミュンヘン・西ドイツ)
観客 65,000人
得点 ノッティンガム:フランシス(45分)
監督 ノッティンガム:ブライアン・クラフ
マルメ:ボブ・ホ―トン
大会最多得点:クラウディオ・スルサ―(グラスホッパー) 11点
(スイス代表でもあるスルサ―は、対バレッタ戦で2試合6得点、対レアル戦でも2試合3得点を記録)
(2)第20回リベルタド―レス・カップ(1979年)
◆オリンピアが南米初制覇
1回戦
20チームを5グループに分け、リーグ戦を行い各グループ1位チームが準決勝へ進む方式で行われました。
グループ1: |
1位 |
インデペンディエンテ(アルゼンチン) |
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2位 |
デポルティボ・カリ(コロンビア) |
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3位 |
ミジョナリオス(コロンビア) |
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4位 |
キルメス(アルゼンチン) |
グループ2: |
1位 |
オリンピア(パラグアイ) |
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2位 |
ボリバール(ボリビア) |
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3位 |
ソル・デ・アメリカ(パラグアイ) |
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4位 |
ホルへ・ウィルステルマン(ボリビア) |
グループ3: |
1位 |
グアラニFC(ブラジル) |
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2位 |
ウニベルシタリオ(ペルー) |
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3位 |
パルメイラス(ブラジル) |
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4位 |
アリアンサ(ペルー) |
グループ4: |
1位 |
パレスティノ(チリ) |
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2位 |
デポルテス・オヒギンス(チリ) |
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3位 |
ポルトゲサ(ベネズエラ) |
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4位 |
デポルティボ・ガリシア(ベネズエラ) |
グループ5: |
1位 |
ペニャロール(ウルグアイ) |
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2位 |
ナシオナル・モンテビデオ(ウルグアイ) |
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3位 |
ナシオナル・キト(エクアドル) |
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4位 |
テクニコ・ウニベルシタリオ(エクアドル) |
準決勝
1回戦1位の5チームに前大会優勝のボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)を加えた6チームによりおこなわれました。
グループ1: |
1位 |
オリンピア |
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2位 |
グアラニ・カピナス |
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3位 |
パレスティノ
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グループ2: |
1位 |
ボカ・ジュニアーズ |
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2位 |
インデペンディエンテ |
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3位 |
ペニャロール |
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プレイオフ
ボカ・ジュニアーズ対インデペンディエンテ 1−0 |
決勝
第1戦 オリンピア対ボカ・ジュニアーズ 2−0
1979年7月22日 ディフェンソール・デル・チャコ(アスンシオン・パラグアイ)
観客 45,000人
得点 オリンピア:アキノ、ピアッツァ
第2戦 ボカ・ジュニアーズ対オリンピア 0−0
1979年7月27日 ボンボネーラ(ブエノスアイレス・アルゼンチン)
観客 50,000人
優勝監督:ルイス・クビージャ
第20回最多得点: タラベラ(オリンピア) 9点
(3)第20回 インターコンチネンタル・カップ (1979年)
◆オリンピア、クビージャ監督の下で世界の頂点に立つ
パラグアイのオリンピアを率いたのはルイス・クビージャ監督でした。ウルグアイ代表としてワールドカップ3大会(1962年チリ、1970年メキシコ、1974 年西ドイツ)に出場。ウルグアイのペニャロール、FCバルセロナ(スペイン)、リバープレート(アルゼンチン)、ナシオナル・モンテビデオ(ウルグアイ)などのビッグクラブでプレイ。監督としてもオリンピアをはじめ多くのクラブの指導を手がけ、1991〜1993年にはウルグアイ代表の監督も務めました。
1960年第1回リベルタド―レス・カップ当時ペニャロールに所属し、決勝で対戦したオリンピアとの第2戦で決勝ゴールをあげ、チームを第1回インターコンチネンタル・カップ(1960年)に導きました。このときはレアルに敗れましたが、続く第2回大会ではベンフィカを破り世界一に輝いています。
クラブは違いますが、選手としてまた監督として世界制覇を成し遂げた一人です。
第1戦
マルメ対オリンピア 0−1
1979年11月18日 マルメ・スタディオン(マルメ・スウェーデン) 観客:4,000人
得点 オリンピア:イサシ(41分)
第2戦
オリンピア対マルメ 2−1
1980年3月3日 マヌエル・フェレイラ(アスンシオン・パラグアイ) 観客:35,000人
得点 オリンピア:ソラリンデ(40分)、ミシェラノリ(71分)
マルメ:エランデソン(48分)
監督 オリンピア:ルイス・クビージャ
マルメ:ボブ・ホートン
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「オリンピア」
1979年リベルタド―レス優勝、
インターコンチネンタル・カップ優勝
を表示。
<1982年ワールドカップ・スペイン大会
記念9種中の1種>
(1980年12月10日発行・パラグアイ) |
(4)第11部の終わりに
今回で第11部「ゆらぐクラブ国際大会」を終わり、次回より第12部『トヨタカップ、日本で競うクラブ世界一』(仮題)をはじめます。
以下、参考まで、第9部以降で取り上げた各大会の優勝クラブを掲げておきます。
■ヨーロッパ・チャンピオンズ・カップ (1955〜1980) |
クラブ名 |
優勝
回数 |
優勝シーズン・年次 |
レアル・マドリード
(スペイン) |
6回 |
1955-56、1956-57、1957-58、
1958‐59、1959-60 1965-66 |
アヤックス(オランダ) |
3回 |
1970-71、1971-72、1972-73 |
バイエルン・ミュンヘン(西ドイツ) |
3回 |
1973-74、1974-75、1975-76 |
ベンフィカ(ポルトガル) |
2回 |
1960-61、1961-62 |
ACミラン(イタリア) |
2回 |
1962-63、1968-69 |
インテル(イタリア) |
2回 |
1963-64、1964-65 |
リバプール(イングランド) |
2回 |
1976-77、1977-78 |
ノッティンガム・フォレスト
(イングランド) |
2回 |
1978-79、1979-80 |
セルティック(スコットランド) |
1回 |
1966-67 |
フェイエノールト(オランダ) |
1回 |
1969-70 |
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■リベルタドーレス・カップ (1960〜1980) |
クラブ名 |
優勝
回数 |
優勝シーズン・年次 |
インデペンディエンテ
(アルゼンチン) |
6回 |
1964、65、72、73、74、75 |
ペニャロール(ウルグアイ) |
3回 |
1960、61、66 |
エスツディアンテス(アルゼンチン) |
3回 |
1968、69、70 |
サントス(ブラジル) |
2回 |
1962、63 |
ナシオナル・モンテビデオ
(ウルグアイ) |
2回 |
1971、80 |
ボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン) |
2回 |
1977、78 |
ラシン(アルゼンチン) |
1回 |
1967 |
クルゼイロ(ブラジル) |
1回 |
1976 |
オリンピア(パラグアイ) |
1回 |
1979 |
■インターコンチネンタル・カップ(1960〜1980) |
年次 |
クラブ名 |
1960 |
レアル・マドリード(スペイン) |
1961 |
ペニャロール(ウルグアイ) |
1962 |
サントス(ブラジル) |
1963 |
サントス(ブラジル) |
1964 |
インテル(イタリア) |
1965 |
インテル(イタリア) |
1966 |
ペニャロール(ウルグアイ) |
1967 |
ラシン(アルゼンチン) |
1968 |
エスツディアンテス(アルゼンチン) |
1969 |
ACミラン(イタリア) |
1970 |
フェイエノールト(オランダ) |
1971 |
ナシオナル・モンテビデオ(ウルグアイ) |
1972 |
アヤックス(オランダ) |
1973 |
インデペンディエンテ(アルゼンチン) |
1974 |
アトレティコ・マドリード(スペイン) * |
1975 |
中止 |
1976 |
バイエルン・ミュンヘン(西ドイツ) |
1977 |
ボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)** |
1978 |
中止 |
1979 |
オリンピア(パラグアイ)** |
1980 (第1回トヨタカップ) |
注1) * ヨーロッパ・チャンピオンズ・カップ準優勝クラブ |
注2) **対戦相手はヨーロッパ・チャンピオンズ・カップ準優勝クラブ |
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