第7部 ワールドカップ、世紀末から新世紀へ(1998〜2010年)
1.第16回ワールドカップ・フランス大会 (1998) @
― 20世紀最後の大会 ―
◆ 60年ぶりのフランス開催
1938年第3回大会以来、60年ぶり2回目のフランス開催は、1992年7月2日のFIFA理事会で、モロッコを退けて決定されました。(モロッコは、1994年アメリカ大会開催国に立候補に続いての挑戦でした)
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大会開催記念初日カバー
(1995年12月12日発行・フランス)
大会最初の切手には、ピッチ上の両チームのプレイヤー、ボール、レフェリーが異なる色で表現されています。
ブリア(Briat)によるデザイン。ブリアは、大会全体のデザインを担当しました。 |
◆ 地域予選
◇ 本大会出場枠の拡大
地域予選にエントリーした174カ国・地域から、予選を免除されたフランス(開催国)とブラジル(前大会優勝国)を除く172カ国のうち、実際には168チームが予選に参加しました。
この大会から本大会出場枠が従来の24から32に増えました。地域予選の抽選会は、1975年12月にパリで行われましたが、当時のFIFA加盟国・地域は192に達しています。
◇ 本大会進出国
ヨーロッパ (15) |
フランス(開催国)(10)、*イタリア(14)、
ドイツ(14)、
スペイン(10)、ベルギー(10)、*イングランド(10)、ユーゴスラビア(9)、
*スコットランド(8)、オランダ(7)、
ルーマニア(7)、ブルガリア(7)、
*オーストリア(7)、
*ノルウェー(3)、
*デンマーク(2)、クロアチア(初) |
南米 (5) |
ブラジル(16)、アルゼンチン(12)、チリ(7)、
パラグアイ(5)、コロンビア(4) |
北中米・カリブ海 (3) |
メキシコ(11)、*USA(6)、ジャマイカ(初) |
アフリカ (5) |
カメルーン(4)、モロッコ(4)、
ナイジェリア(2)、チュニジア(2)、
南アフリカ(初) |
アジア (4) |
*韓国(5)、*サウジアラビア(3)、イラン(2)、*日本(初) |
注) *印は当該大会の記念切手を発行しなかった国・地域。 |
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本大会初進出記念
絵入りハガキ
<1997年11月16日
日本対イラン 3:2(延長)>
(1998年6月4日発売・日本)
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本大会初進出記念
(1998年7月24日発行
クロアチア) |
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本大会初進出記念
(1998年6月8日発行・
南アフリカ)
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本大会初進出記念
(3種中の1種
1998年9月25日発行・
ジャマイカ) |
◆ ブラッター、第8代FIFA会長に就任
大会がはじまる2日前、1998年6月8日に開催されたFIFA総会において、ヨーゼフ・ゼップ・ブラッター・Joseph “Sepp” Blatter が新しい
FIFAの会長に選ばれました。
現会長ジョアン・アベランジェは、自らの影響力をFIFAに残すことを選択し、自らがFIFAの組織内で育て上げたブラッターの会長就任に尽力しました。ブラッター自身は、「アフリカで、ワールドカップを開催する」との公約でアフリカ諸国の票をベースにアジア票を加え、勝利したといわれています。
対立候補レナート・ヨハンソン(Lennarrt Johansson)は、ヨーロッパサッカー連盟(UEFA)の5代目の会長を務めた人物です。
1995年8月に「ビジョン」を公表し、「アベランジェ就任以来FIFAの運営の不透明さが増し、FIFAと各大陸サッカー連盟との政治的対立が先鋭化している」と指摘し、これを改善する必要性を訴えたものでした。
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第8代FIFA会長
ヨーゼフ・ゼップ・ブラッター
<FIFA100周年記念>
(2004年発行・アフガニスタン) |
<切手の国名表示>
クロアチア <HRVATSKA・フルバツカ>
クロアチアの切手上の国名表記は、クロアチア語のHRVATSKA(フルバツカ)です。自国を「山の民」(フルバツカ)と呼ぶことに由来するようです。 1991年旧ユーゴスラビア連邦の解体と共に独立を宣言。1992年にFIFAに加盟しています。
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