第7部 ワールドカップ、世紀末から新世紀へ(1998〜2010年)
11.第17回ワールドカップ・韓国/日本大会 (2002) F
― 史上初、アジアでの共同開催 ―
◆ 2002年大会の日本の郵便物資料から (その1)
第17回大会から9年が経過した2011年10月、ドイツの方から「2002年大会の、日本の郵便物資料を探しているので協力して欲しい」とのメールが舞い込みました。それからおよそ半年、多くの方々の協力を得、自作の物も含めて、なんとか資料を提供することができました。この過程で、この方が1930年大会以来の膨大な郵便物資料を収集し続けていることを知り、大いに刺激を受け、同時に日本資料との差異を知ることができました。2回に分けて紹介します。
◆ 招致活動(単独開催)当時
日本の「2002年ワールドカップ招致委員会は」1991年6月に発足し、1993年1月、国内開催候補15カ所が選定されました。
(1)札幌市 (2)青森県 (3)宮城県 (4)茨城県 (5)埼玉県
(6)千葉県 (7)横浜市 (8)新潟県 (9)静岡県 (10)愛知県
(11)京都府 (12)大阪市 (13)神戸市 (14)広島市 (15)大分県
青森県は1994年と1995年と2度にわたり「広告入りはがき(エコーはがき)」*を利用した宣伝活動を行っています。新潟県も同様、自然環境保護に使われる寄付金つき「グリーンエコー」はがきを発売しました。
*注:「エコーはがき」は、50円はがきの表面下部(3分1)に広告を入れたはがき。
「グリーンエコー」は額面50+3円。売価は45円と48円にそれぞれ5円安く設定されています。
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青森県招致委員会
(エコーはがき
1995年3月28日発売)
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青森県招致委員会
(エコーはがき
1994年4月1日発売)(コピー) |
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新潟県招致委員会
(グリーンエコーはがき
1995年9月11日発売)
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◆ 共催決定後の会場選定
1996年の共催決定後7月に入り、日本はFIFAに対し、15会場での開催を要望しましたが、11月7日にFIFAのワールドカップ開催検討委員会は、「日韓それぞれの会場数は10以下が望ましい」との通達を出しました。
これを受けて11月29日に、国内でも会場数を10カ所に決定、12月25日、JAWOC(日本ワールドカップ組織委員会)は、国内開催都市10カ所を選定しました。
このようなさ中、12月5日という微妙な時期に、京都府城陽市を広告主とするエコーはがきが発売されています。広告部分には「木津川右岸スタジアム公園・完成予想図」が組み込まれています。
残念ながら、20日後発表された会場には、ご承知のとおり京都府の名前はありませんでした。
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城陽市(京都府)
招致活動エコーはがき
(1996年12月5日発売)
<画像提供:久野さん> |
◆ 会場選定後
会場に選定された地域では、より具体的な活動が展開されていきますが、その様子を紹介します。
◇ 新潟
開催地のひとつに選ばれた新潟は、2001年1月16日に、「2002年ワールドカップ新潟他県開催準備委員会」が広告主となって、エコーはがきを発売し、<新潟発 世界に向けてキックオフ!>のメッセージを発信し、記念消印も用意されています。
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新潟県開催準備委員会
エコーはがき
(2001年1月16日付記念消印付) |
それだけではありません、1997年11月にスタジアムの建設工事が開始され、2001年4月29日に開場しました。これを記念して「絵入り官製はがき BIG SWAN」封筒入り(5枚1組)も発売されています。(「新潟スタジアム・一般公募愛称:「ビッグスワン」)
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BIG SWAN完成記念
官製絵入りはがき
(2001年6月1日発売) |
記念絵はがき
発売記念消印
(2001年6月1日付) |
◇ 年賀ハガキ
2002年用の年賀ハガキの発売は、2001年11月1日でした。日本独特の「年賀はがき」の中にもサッカーに関する図柄が採り入れられています。
◆画像をクリックすると、拡大画像をご覧いただけます。
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