第7部 ワールドカップ、世紀末から新世紀へ(1998〜2010年)
18.第19回ワールドカップ・南アフリカ大会 (2010) @
― 初のアフリカ大陸開催 ―
◆ 開催地の決定
◇ アフリカ大陸開催の決定
2000年に第18回大会のドイツ開催が決まった後、ブラッター会長は「ワールドカップ持ち回り」を提案し、FIFA理事会はこれを制度化、これにより2010年大会・アフリカ大陸、2014年大会・南米大陸での開催が決められていました。これにより、2010年大会に立候補したのは、チュニジア、リビア、モロッコと南アフリカの5カ国でした。(この「持ち回り制度は、2007年10月29日のFIFA理事会で破棄」)
◇ 招致宣伝の切手発行
アフリカ大陸での開催が決まった後、立候補した南アフリカとエジプトは招致活動のひとつとして記念切手を1日違いで発行し、世界にPRしました。招致活動に、いずれ切手が登場するだろうと予測していましたが、アフリカの大会で実現するとは思っていませんでした。
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2010年大会、南アフリカ招致宣伝2種
(2003年6月26日発行・南アフリカ) |
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<大会エンブレム> |
<大会エンブレムとツタンカーメン> |
2010年大会、エジプト招致宣伝2種
(2003年9月27日発行・エジプト) |
◇ 南アフリカ開催決定
2004年5月15日のFIFA理事会で、2010年大会開催地が、南アフリカに決定しました。投票結果は、エジプト0票、モロッコ10票、南アフリカ14票でした。(チュニジアとリビアは共同開催をFIFAが認めなかったことから、理事会前日に辞退しました)
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大会公式ポスター
(2010年5月31日発行・日本) |
◆ 地域予選
当時のFIFA加盟国・地域の208協会のうち、地域予選には204がエントリー、その後5協会が棄権し、南アフリカ*を含む199協会が参加しました。なお、地域予選の組み合わせ抽選会は、2007年11月25日、ダーバンで行われました。
注)*この予選に参加した南アフリカは、2回戦で敗れていますが、これはアフリカ選手権・アンゴラ大会の予選を兼ねていたための参加で、ワールドカップ開催国としての本大会出場に影響なし。
◇ 本大会出場国
ヨーロッパ (13) |
ドイツ(17)、イタリア(17)、
イングランド(13)、
スペイン(13)、
フランス(13)、セルビア*(11)、
スイス(9)、オランダ(9)、ポルトガル(5)、
デンマーク(4)、ギリシャ(2)、
スロベニア(2)、スロバキア(初)、 |
南米 (5) |
ブラジル(19)、アルゼンチン(15)、
ウルグアイ(11)、
パラグアイ(8)、チリ(8) |
北中米・カリブ海 (3) |
メキシコ(14)、USA(9)、ホンジュラス(2) |
アフリカ (6) |
南アフリカ・開催国(3)、カメルーン(6)、
ナイジェリア(4)、アルジェリア(3)、
ガーナ(2)、
コートジボワール(2) |
アジア (4) |
韓国(8)、日本(5)、オーストラリア**(3)、
北朝鮮(11) |
オセアニア(1) |
ニュージーランド(2) |
注)
*ユーゴスラビア、セルビア・モンテネグロ時代を含む。
**オーストラリアはOFC(オセアニア)からAFC(アジア)に転籍し、2010年大会AFC予選に参加。 |
スロバキアは、1994年チェコスロバキアから分離独立後初めてヨーロッパ地域予選グル―プ3を勝ち抜き、本大会出場を果たしました。
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本大会初出場記念小型シート
<レンティキュラ―(3D)切手>
(2006年6月8日発行・スロバキア) |
◇ 開催スタジアム
南アフリカでの大会は9都市、10会場で行われました。
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1段目
左:ポートエリザベス <ネルソン・マンディラ・ベイ>
右:ヨハネスブルク <エリス・パーク>
2段目
左:ブルームフォンティーン <フリ―ステイト>
右:ケープタウン <ケープタウン>
3段目
左:ダーバン <モぜ・マブヒダ>
右:ツワネ/プレトリア <ロフタス・バースフェルド>
4段目
左:ボロクワネ <ピーター・モカバ>
右:ネルスプロイト <ムモンベラ>
5段目
左:ヨハネスブルク <サッカーシティ>
右:ルステンブルク <ロイヤル・バフォケン> |
大会開催スポーツスタジアム 10種連刷
(2010年7月19日発行・南アフリカ) |
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