第7部 ワールドカップ、世紀末から新世紀へ(1998〜2010年)
13.第18回ワールドカップ・ドイツ大会 (2006) @
― 4度目の優勝をめざしたドイツとイタリア ―
◆ 開催地の決定
◇ ドイツサッカー協会100周年
2000年1月13日、ドイツ郵政は、ドイツサッカー協会の設立100周年を祝う記念切手を発行しました。そして、同年7月6日、ワールドカップ第18回大会がドイツで開催されることが決まり、ドイツサッカー界は二重の喜びに包まれました。
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ドイツサッカー協会
100周年記念切手 |
ドイツサッカー協会100周年記念初日カバー
(2000年1月13日発行・ドイツ) |
◇ 開催地決定の経緯
2000年7月6日にチューリッヒ(スイス)で開かれたFIFA理事会で次の投票が行われ、開催国がドイツに決まりました。
●第1回投票:
ドイツ 10票、南アフリカ 6票、イングランド 5票、モロッコ 3票
●第2回投票:
ドイツ 11票、南アフリカ 11票、イングランド 2票
● 決選投票:
ドイツ 12票、南アフリカ 11票
決選投票の際、オセアニア連盟会長でFIFA理事チャールズ・デンプシ―(ニュージーランド)が欠席し帰国するハプニングが起きました。
オセアニア連盟は、決選投票では南アフリカを支持することになっていたといわれます。筋書きどおりに事が運べば、決戦投票は12対12となり、南アフリカを支持するブラッター会長が決めることになるため、南アフリカに決まっていたと思われます。このため、デンプシー理事の行動には種々の憶測がささやかれました。この理事会の投票結果を記した記念カバーを掲げておきます。
2006年大会開催地決定記念ハガキ
(2006年6月7日印付・スイス発行)
◆ 地域予選
2003年12月5日に、地域予選の組合せ抽選がフランクフルト(ドイツ)
で行われました。組合せ抽選会当時のFIFA加盟国・地域数は204でしたが、暫定加盟国ニューカレドニアもオセアニア地域予選に参加、翌2004年5月に正式に205番目にFIFA加盟を果たしています。
開催国ドイツを除く193のチームが地域予選に参加しましたが、今大会から前大会優勝国の予選免除が廃止され、ブラジルも予選に参加しました。
2006年大会記念
(2006年5月23日発行・
ニューカレドニア)
◇ 本大会出場国
ヨーロッパ (14) |
ドイツ(16*)<開催国>、
イタリア(16)、イングランド(12)、
フランス(12)、スペイン(12)、
スウェーデン(11)、
セルビア・モンテネグロ(10*)、チェコ(9*)、オランダ(8)、
スイス(8)、ポーランド(7)、
ポルトガル(4)、クロアチア(3)、
ウクライナ(初) |
南米 (4) |
ブラジル(18)、アルゼンチン(14)、
パラグアイ(7)、
エクアドル(2)、 |
北中米・カリブ海 (4) |
メキシコ(13)、USA(8)、コスタリカ(3)、
トリニダ―ド・トバゴ(初) |
アフリカ (5) |
チュニジア(4)、トーゴ(初)、ガーナ(初)、アンゴラ(初)、コートジボワール(初) |
アジア (4) |
韓国(7)、サウジアラビア(4)、日本(3)、
イラン(3) |
オセアニア(1) |
オーストラリア(2) |
注)*出場回数:ドイツには西ドイツ時代を含む。セルビア・モンテネグロには、ユーゴスラビア時代を、チェコにはチェコスロバキア時代を含む。 |
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本大会出場記念カバー (2005年11月16日付ベルン局印・スイス)
<ヨーロッパ地域予選グループ4で2位となったスイスはトルコと
のプレイオフをアウェイゴール数で上回り、本大会出場を決めた> |
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初出場記念カバー
(2006年6月26日発行・
トリニダード・トバゴ) |
◆画像をクリックすると、拡大画像をご覧いただけます。
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