第7部 ワールドカップ、世紀末から新世紀へ(1998〜2010年)
7.第17回ワールドカップ・韓国/日本大会 (2002) B
― 史上初、アジアでの共同開催 ―
◆ 本大会・組み合わせ抽選会
本大会1次グループ組み合わせ抽選会は、2001年12月1日、韓国・釜山のコンベンションセンターで行われ、以下が決まりました。
A〜Dグループ:韓国開催 |
<A> |
フランス |
セネガル |
ウルグアイ |
デンマーク |
<B> |
スペイン |
スロベニア |
パラグアイ |
南アフリカ |
<C> |
ブラジル |
トルコ |
中国 |
コスタリカ |
<D> |
韓国 |
ポーランド |
USA |
ポルトガル |
E〜Hグループ:日本開催 |
<E> |
ドイツ |
サウジアラビア |
アイルランド |
カメルーン |
<F> |
アルゼンチン |
ナイジェリア |
イングランド |
スウェーデン |
<G> |
イタリア |
エクアドル |
クロアチア |
メキシコ |
<H> |
日本 |
ベルギー |
ロシア |
チュニジア |
◆ FIFA会長選挙
本大会の始まる直前の5月29日、ソウルでFIFAの会長選挙が行われ、1回目の投票で現職ブラッターは、対立候補のイッサ・ハヤトウ(アフリカサッカー連盟会長)を139票対56票で下し、続投(2期目)が決まりました。
4年前、1998年の会長選挙では、ブラッター111票、ヨハンソン(ヨーロッパサッカー連盟会長)80票でしたから、今回の圧勝ぶりが目立ちます。
先述のとおり、FIFAの2002年大会マーケティング代理店ISL社の倒産を きっかけに、ヨハンソン(FIFA副会長)が25項目の質問状を提出するなどの動きを見せました。
2002年に入って、2月28日、英デーリー・メール紙が、1998年の会長選で、ブラッター陣営が買収工作をしたとの報道により、事態は再び動きはじめました。
3月16日、イッサ・ハヤトウ(FIFA副会長)が、反ブラッター派を代表して会長選に立候補を表明しました。
4月11日ブラッター会長は、3月7日のFIFA臨時理事会で決まった、FIFAの財務状況を調査する「特別内部監査委員会」の活動停止を独断で決定し、反ブラッター派の理事や副会長が猛反発しました。
5月3日のFIFA緊急理事会に、FIFA事務総長ゼンルフィネンが、会長の不公正な会計操作などを告発する21ページの報告書を提出。同10日にはFIFA理事24人(ブラッター会長を含む)中11人(7人の副会長のうち5人の副会長を含む)が、資金流用の疑いでブラッター会長をチューリヒの検察庁に告発するなど、内紛は頂点に達していました。
投票結果から見ると、会長は加盟各国協会が参加する総会での投票で選ばれるという原点に戻った気がします。FIFA理事、副会長という上層幹部間の権力闘争と加盟各国協会との間に、大きな認識(思惑)の差を感じます。
会長選後、ブラッター会長は、「加盟協会の信頼に感謝します。これからはFIFAに結束、信頼を取り戻したい。さぁ、アジア初のワールドカップに向かいましょう」と呼びかけました。
◆ 本大会
本大会は、2002年5月31日から同6月30日までの31日間、日本と韓国各10会場で64試合が行われました。なお、大会方式は前フランス大会同様1次リーグを8 組(A〜H)に各組上位2チームが「ラウンド16(決勝トーナメント)」に進みました。
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開催記念切手初日カバー
左:<大会公式ポスター>
右:<W杯優勝トロフィー>
大会開催記念切手2種貼・
東京中央局印
(2002年5月24日発行・日本) |
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<全国版>フルシート |
<会場版・札幌>のマージン部 |
記念切手2種類を5枚ずつ収めたフルシート版は全国版の他、各会場版10種類
が発行された。会場版には各会場の空撮写真とその会場での1次リーグ対戦国、
試合日程などが記されている。
(2002年5月24日発行・日本) |
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ヨーロッパ版 |
南米版 |
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北中米・カリブ版 |
アフリカ版 |
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小型シート5種。
切手は観客席を各種プレイで
切り抜いた構成、シート地に
地域連盟ごとの本大会出場国
名を表示
(2002年5月31日発行・韓国) |
アジア版 |
<参考文献>
連載第7部−6および7のISL破産とFIFA会長選挙については、「読売・日経・朝日」の掲載記事を参考にしました。
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