第11部 ゆらぐクラブ世界大会
5.インターコンチネンタル・カップ初の開催中止
(1)第20回ヨーロッパ・チャンピオンズ・カップ(1974‐75シーズン)
◆クラマーの下でバイエルン・ミュンヘンがヨーロッパ2連覇
1974年12月にウド・ラテック監督がブンデスリーガでの成績不振により辞任したため、デットマール・クラマー(1974年6月までFIFA巡回コーチを務めた後、米国に渡っていた)が新しく監督に就任(1975年1月・当時50歳)し、チームは連覇に向けて発進しました。
(クラマーのバイエルン監督就任の背景とその後の展開については、『デットマール・クラマー 日本サッカー改革論』中条一雄著・ベースボール・マガジン社刊に詳述されています。ご参照をお薦めします)
1回戦 (左側が勝者)
ウィペシュティ・ドージャ(ハンガリー)対レフスキ・ソフィア(ブルガリア)
アララト・エレバン(ソ連)対バイキング・スタバンゲル(ノルウェー)
ルフ・ホジュフ(ポーランド)対フビドブレ(デンマーク)
オリンピアコス(ギリシャ)対グラスゴー・セルティック(スコットランド)
リーズ・ユナイテッド(イングランド)対FCチューリヒ(スイス)
アンデルレヒト(ベルギー)対スロバン・ブラチスラバ(チェコスロバキア)
フェネルパフチェ(トルコ)対ジュネス・デシュ(ルクセンブルク)
サンテチエンヌ(フランス)対スポルティング・リスボン(ポルトガル)
フェイエノールト(オランダ)対コークライン(北アイルランド)
バルセロナ(スペイン)対フェスト・リンツ(オーストリア)
HJKヘルシンキ(フィンランド)対FCバレッタ(マルタ)
アトビダベリ(スウェーデン)対ウニベルシタテア・クラヨバ(ルーマニア)
ハイデュク・スプリト(ユーゴスラビア)対IBケルファビク(アイスランド)
コーク・セルティック(アイルランド)対オモニア・ニコシア(キプロス)(棄権)
2回戦
1回戦を勝ち抜いた14チームに、FCマグデブルクと前回覇者のバイエルン・ミュンヘン(国名表示)を加えた16チームで行われ、8チームが準々決勝へ進みました。
バルセロナ対フェイエノールト 0−0、3−0
アンデルレヒト対オリンピアコス 5−1、0−3
ルフ・ホジュフ対フェネルパフチェ 2−1、2−0
バイエルン・ミュンヘン(西ドイツ)対FCマグデブルク(東ドイツ) 3−2、2−1
リーズ・ユナイテッド対ウィペシュティ・ドージャ 2−1、3−0
アトビダベリ対HJKヘルシンキ 3−0、1−0
サンテチエンヌ対ハイデュク・スプリト 1−4、5−1
アララト・エレバン対コーク・セルティック 2−1、5−0
準々決勝
バルセロナ対アトビダベリ 2−0、3−0
リーズ・ユナイテッド対アンデルレヒト 3−0、1−0
サンテチエンヌ対ルフ・ホジュフ 2−3、2−0
バイエルン・ミュンヘン対アララト・エレバン 2−0、0−1
準決勝
バイエルン・ミュンヘン対サンテチエンヌ 0−0、2−0
リーズ・ユナイテッド対バルセロナ 2−1、1−1
◆リーズ・U対バルセロナ
ヨーロッパのクラブ一のタイトルに手が届かなかった両クラブの対決でした。
バルセロナはクライフを迎え入れ、14年ぶりにスペインリーグ優勝の成果を出し(1973-74シーズン、クライフはリーグ8試合目にデビューし、26試合出場し16得点を記録)、さらに1974-75シーズンには、アヤックスとオランダ代表でクライフの同僚だったヨハン・ニースケンスの獲得にも成功。監督はワールドカップでオランダを率いたリヌス・ミケルス。決勝の相手がバイエルンなら最高!クライフがベッケンバウアーに勝るシーンを見たい、と19年間ヨーロッパ一の栄冠を待ち続けたカタルーニャの人々の夢は膨らむばかりでした。
1975年4月9日、リーズの本拠地エランド・ロードでバルサは1対2と敗れましたが、4月23日の第2戦カンプ・ノウで仕返しが出来ると夢を見続けました。しかし現実は厳しく、前半に先制点を与え、後半に同点に持ち込むのがやっとでした。特にクライフがリーズのブレムナー(スコットランド人)に完璧に抑えられるシーンが目立ちました。
決勝
バイエルン・ミュンヘン対リーズ・ユナイテッド 2−0
1975年5月28日 パルク・デ・プランス(パリ・フランス)観客 48,000人
得点 バイエルン:ロート(71分)、G.ミューラー(81分)
監督 バイエルン:デットマール・クラマー
リーズ:アームフィールド
大会最多得点:ゲルト・ミューラー(バイエルン・ミュンヘン)、
マルコフ(アララト・エレバン) 各5点
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バイエルン・ミュンヘン優勝記念カバー(対戦スコア入り)
(1975年5月28日付・パリ)
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ウリ・ヘーネス<西ドイツ大会記念絵ハガキ>
(大会記念切手2種中の1種貼り。
原写真は1973年10月13日の親善試合
西ドイツ対フランスの一シ―ン。
撮影:Sven Simon(Presse-Foto KG)
(切手:1974年5月15日発行・西ドイツ) |
(2)第16回リベルタド―レス・カップ(1975年)
◆インデペンディエンテが4連覇達成
1回戦
20チームを5グループに分け、リーグ戦を行い各グループ1位チームが準決勝へ進む方式で行われました。
グループ1: |
1位 |
ロサリオ・セントラル(アルゼンチン) |
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2位 |
ニューウェルス・オールドボーイズ(アルゼンチン) |
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3位 |
オリンピア(パラグアイ) |
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4位 |
セロ・ポルテーニョ(パラグアイ) |
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プレイオフ:ロサリオ・セントラル対
ニューウェルス・オールドボーイズ 4−0 |
グループ2: |
1位 |
ウニオン・エスパニョーラ(チリ) |
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2位 |
ウアチパト(チリ) |
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3位 |
ザ・ストロンゲスト(ボリビア) |
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4位 |
ホルへ・ウィルステルマン(ボリビア) |
グループ3: |
1位 |
クルゼイロ(ブラジル) |
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2位 |
デポルティボ・カリ(コロンビア) |
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3位 |
ナシオナル・メデジン(コロンビア) |
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4位 |
バスコ・ダ・ガマ(ブラジル) |
グループ4: |
1位 |
LDUキト(エクアドル) |
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2位 |
ポルトゲーサ(ベネズエラ) |
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3位 |
デポルティボ・ガリシア(ベネズエラ) |
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4位 |
ナシオナル・キト(エクアドル) |
グループ5: |
1位 |
ウニベルシタリオ(ペルー) |
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2位 |
ペニャロール(ウルグアイ) |
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3位 |
モンテビデオ・ワンダラース(ウルグアイ) |
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4位 |
ウニオン・ウアラル(ペルー) |
準決勝
1回戦1位の5チームに前大会優勝のインデペンディエンテ(アルゼンチン)を加えた6チームによりおこなわれました。
グループ1: |
1位 |
インデペンディエンテ |
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2位 |
ロサリオ・セントラル |
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3位 |
クルゼイロ |
グループ2: |
1位 |
ウニオン・エスパニョーラ |
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2位 |
ウニベルシタリオ |
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3位 |
LDUキト |
決勝
第1戦 ウニオン・エスパニョーラ対インデペンディエンテ 1−0
1975年6月18日 エスタディオ・ナシオナル(サンチャゴ・チリ)
観客 43,000人
得点 エスパニョーラ:アウマーダ(87分)
第2戦 インデペンディエンテ対ウニオン・エスパニョーラ 3−1
1975年6月25日コルデロ(アベジャネダ・アルゼンチン) 観客 52,000人
得点 インデペンディエンテ:ロハス(1分)、パボーニ(58分)、ベルトーニ(83分)
ウニオン・エスパニョーラ:ラス・ヘラス(得点時刻不明)
第3戦 プレイオフ
インデペンディエンテ対ウニオン・エスパニョーラ 2−0
1975年6月29日 ディフェンソール・デル・チャコ(アスンシオン・パラグアイ)
観客 45,000人
得点 インデペンディエンテ:ルイス・モレノ(29分)、ベルトーニ(65分)
第16回最多得点: モレーナ F.(ペニャロール)、
ラミネス・C.(ウニベルシタリオ) 各8点
(3)第16回 インターコンチネンタル・カップ (1975年)
日程調整がつかず初の開催中止となりました。
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