第11部 ゆらぐクラブ世界大会
7.クラブ世界一はボカ・ジュニアーズ
(1)第22回ヨーロッパ・チャンピオンズ・カップ(1976‐77シーズン)
◆イングランド勢6連覇スタート、リバプールが口火
1回戦 (左側が勝者)
リバプール(イングランド)対クルセイダース(北アイルランド)
バロセウラ・トゥルク(フィンランド)対スリエマ・ワンダラーズ(マルタ)
バイエルン・ミュンヘン(西ドイツ)対ケーゲBK(デンマーク)
フェレンツ・バローシュ(ハンガリー)対ジュネス・デシュ(ルクセンブルク)
サンテチエンヌ(フランス)対CSKAソフィア(ブルガリア)
PSVアイントホーフェン(オランダ)対ダンドーク(アイルランド)
ボルシア・メンヘングラッドバッハ(西ドイツ)対FKオーストリア(オーストリア)
レアル・マドリード(スペイン)対シュタル・ミエレチ(ポーランド)
ディナモ・ドレスデン(東ドイツ)対ベンフィカ(ポルトガル)
ディナモ・キエフ(ソ連)対パルチザン・ベオグラード(ユーゴスラビア)
FCチューリヒ(スイス)対グラスゴー・レンジャーズ(スコットランド)
PAOKサロニカ(ギリシャ)対オモニア・ニコシア(キプロス)
トリノ(イタリア)対マルメ(スウェーデン)
トラブゾンスポール(トルコ)対IAアクラネス(アイスランド)
バニク・オストラバ(チェコスロバキア)対バイキング・スタバンゲル(ノルウェー)
クラブ・ブルージュ(ベルギー)対ステアウア・ブカレスト(ルーマニア)
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1回戦「リバプール対クルセイダ―ス」対戦記念カバー
(1976年9月28日カウンティ・ダウン局消印入り)
注)カバー上に記されている「STRICT SECURITY IN BELFAST」は
当時の北アイルランド紛争によるものと推察されます。 |
2回戦
1回戦を勝ち抜いた16チームで行われ、8チームが準々決勝へ進みました。
クラブ・ブルージュ対レアル・マドリード 0−0、2−0
リバプール対トラブゾンスポール 0−1、3−0
サンテチエンヌ対PSVアイントホーフェン 1−0、0−0
ディナモ・ドレスデン対フェレンツ・バローシュ 0−1、4−0
バイエルン・ミュンヘン対バニク・オストラバ 1−2、5−0
ボルシア・メンヘングラッドバッハ対トリノ 2−1、0−0
ディナモ・キエフ対PAOKサロニカ 4−0、2−0
FCチューリヒ対バロセウラ・トゥルク 2−0、1−0
準々決勝
ディナモ・キエフ対バイエルン・ミュンヘン 0−1、2−0
ボルシア・メンヘングラッドバッハ対クラブ・ブルージュ 2−2、1−0
リバプール対サンテチエンヌ 0−1、3−1
FCチューリヒ対ディナモ・ドレスデン 2−1、2−3
◆バイエルン・ミュンヘン4連覇の夢断たれる
1976年のバロンドール賞(2度目)を得たベッケンバウアーを中心に、クラマー監督に育てられた若き逸材カール・ハインツ・ルムメニゲ(当時22歳)の台頭により攻撃力を増したバイエルンMは、1、2回戦を苦も無く突破し(4試合、13得点、3失点)勢いに乗っていました。
しかし、準々決勝の対戦相手ディナモ・キエフには苦い思い出がありました。1975年のヨーロッパスーパー・カップ決勝で0対1、0対2と連敗、3得点はディナモの俊足オレグ・ブロヒンに奪われたものでした。(ブロヒンは、1975年のヨーロッパ最優秀選手賞を受賞)
雪辱の思いを抱いていたバイエルンに衝撃が走ります、1977年2月、ミューラーが手術のためチームを離脱、ディナモ・キエフ戦を欠場せざるを得ない事態に陥入りました。
第1戦は、3月2日ホームで行われ1対0で先勝しましたが、3月16日の第2戦の終盤84分(PK)と86分にたて続けに失点し、夢は砕かれてしまいました。
この試合から間もなく経った、同年5月ベッケンバウアーはニューヨーク・コスモスへ旅立ち、クラマー監督も同年12月に退任、バイエルンは冬の時を迎えます。
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カール・ハインツ・ルムメニゲ
<1982年ワールドカップ決勝対イタリア戦・
当時主将>を
描いた小型シート
(1990年ワールドカップ・イタリア大会記念)
(1989年1月25日発行・ボリビア) |
準決勝
ボルシア・メンヘングラッドバッハ対ディナモ・キエフ 0−1、2−0
リバプール対FCチューリヒ 3−1、3−0
決勝
リバプール対ボルシア・メンヘングラッドバッハ 3−1
1977年5月25日 オリンピコ (ローマ・イタリア) 観客 56,000人
得点 リバプール:マグダーモット(28分)、スミス(65分)、ニール(84分・PK)
ボルシアMG:シモンセン(51分)
監督 リバプール:ボブ・ベイズリー
ボルシアMG:ウド・ラテック
大会最多得点:G.ミューラー(バイエルン)、
クチノッタ(FCチューリヒ) 各5点
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ケビン・キーガン
(決勝でもベルティ・フォクツ
との対決を制した)
FA150周年記念切手帳所収
(2013年5月9日発行・イギリス) |
(2)第18回リベルタド―レス・カップ(1977年)
◆ボカ・ジュニアーズ、南米初制覇
1回戦
20チームを5グループに分け、リーグ戦を行い各グループ1位チームが準決勝へ進む方式で行われました。
グループ1: |
1位 |
ボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン) |
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2位 |
リバー・プレート(アルゼンチン) |
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3位 |
ディフェンソール(ウルグアイ) |
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4位 |
ペニャロール(ウルグアイ) |
グループ2: |
1位 |
デポルティボ・カリ(コロンビア) |
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2位 |
ボリバール(ボリビア) |
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3位 |
オリエンテ・ペトロレーロ(ボリビア) |
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4位 |
ナシオナル・メデジン(コロンビア) |
グループ3: |
1位 |
インテルナシオナルPA(ブラジル) |
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2位 |
ナシオナル・キト(エクアドル) |
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3位 |
コリンチャンス(ブラジル) |
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4位 |
デポルティボ・クエンカ(エクアドル) |
グループ4: |
1位 |
リベルタード(パラグアイ) |
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2位 |
ウニベルシダ・デ・チリ(チリ) |
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3位 |
エバートン(チリ) |
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4位 |
オリンピア(パラグアイ) |
グループ5: |
1位 |
ポルトゲーサ(ベネズエラ) |
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2位 |
ウニオン・ウアラル(ペルー) |
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3位 |
エスツディアンテス・メリダ(ベネズエラ) |
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4位 |
スポルト・ボーイズ(ペルー) |
準決勝
1回戦1位の5チームに前大会優勝のクルゼイロ(ブラジル)を加えた6チームによりおこなわれました。
グループ1: |
1位 |
ボカ・ジュニアーズ |
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2位 |
デポルティボ・カリ |
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3位 |
リベルタード |
グループ2: |
1位 |
クルゼイロ |
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2位 |
インテルナシオナルPA |
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3位 |
ポルトゲーサ |
決勝
第1戦 ボカ・ジュニアーズ対クルゼイロ 1−0
1977年9月6日 ボンボネーラ(ブエノスアイレス・アルゼンチン)
観客 50,000人
得点 ボカ・ジュニアーズ:ベグリオ(3分)
第2戦 クルゼイロ対ボカ・ジュニアーズ 1−0
1977年9月11日 マガリャセイス・ピント=ミネイロン(ベロオリゾンテ・ブラジル)
観客 55,000人
得点 クルゼイロ:ネリーニョ(76分)
第3戦 プレイオフ
ボカ・ジュニアーズ対クルゼイロ 0−0 (PK5−4)
1977年9月14日 センテナリオ(モンテビデオ・ウルグアイ) 観客45,000人
第18回最多得点: スコッタ(デポルティボ・カリ)、
シルバ(ポルトゲーサ)
各5点
優勝監督: ファン・カルロス・ロレンソ
(3)第18回 インターコンチネンタル・カップ (1977年)
◆ボカ・ジュニアーズ初挑戦で世界一に
ヨーロッパ王者のリバプールが出場を辞退したため、準優勝のボルシア・メンヘングラッドバッハが出場し、ボカ・ジュニアーズと対戦しました。
第1戦
ボカ・ジュニアーズ対ボルシア・メンヘングラッドバッハ 2−2
1978年3月22日 ボンボネーラ(ブエノスアイレス・アルゼンチン)
観客:50,000人
得点 ボカ・ジュニアーズ:マストアンジェロ(16分)、リボルツィ(51分)
ボルシアMG:ヘーネス(24分)、ボンホフ(29分)
第2戦
ボルシア・メンヘングラッドバッハ対ボカ・ジュニアーズ 0−3
1978年7月20日 ヴィルパーク・シュタディオン(カールスルーエ・西ドイツ)
観客:21,000人
得点 ボカ・ジュニアーズ:サナブリア(2分)、マストアンジェロ(33分)、 サリナス(35分)
監督 ボカ・ジュニアーズ:ファン・カルロス・ロレンソ
ボルシアMG:ウド・ラテック
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