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ドイツW杯観戦日誌・目次
 
マルタとの強化試合に意義はあった(6/5)
開幕は静かに迫っている(6/6)
入場券は本当にないのか?(6/7)
ストライカーの決め手は判断力(6/8)
ワールドカップ開幕(6/9)
日本の敗因を考える(6/12)
フランスは復活するか(6/13)
「東欧の速攻」は滅びたのか?(6/14)
監督の用兵が勝負を決める(6/15)
米国が見せた9人での戦い方(6/17)
「決定力不足」を考える(6/18)
ドイツのサッカーの底力(6/20)
日本の敗退を考える(6/22)
ドイツは燃え上がる (6/24)
イングランドの放り込み(6/25)
カメラマンの戦い (6/26)
アフリカのサッカーを考える (6/27)
準決勝・ドルトムント (7/4)
準決勝・ミュンヘン (7/5)
決勝・ベルリン (7/9)
 

※このコンテンツは、ドイツ・ワールドカップ期間中に、同名のブログに掲載していた記事に加筆、転載したものです。

 

 


 牛木素吉郎のドイツ・ワールドカップ観戦日誌
 1970年メキシコ大会から10大会連続現地取材をしている
 スポーツジャーナリスト・牛木素吉郎のリポートです。(協力:ビバ!サッカー研究会)

7月9日(日) 
決勝(ベルリン)
イタリア 1−1(延長) フランス
    PK5−3

◆ベルリンへ行ってテレビで見る
 決勝戦の入場券は手に入れてなかった。またベルリンのホテルもとってなかった。フランクフルトでパブリック・ビューイングを見るつもりだった。
 しかし、3位決定戦に地元ドイツが出ることになったので、3位決定戦をパブリック・ビューイングで見ることにした。一般のドイツ人に混じって見る体験をしたかったからである。
 たまたま、前日になって決勝戦の夜のベルリンのホテルがとれたので、ともかくベルリンに行ってみることにした。入場券はダフ屋から買う。買えなければ、ホテルでテレビを見ようという算段である。
 当日の朝の列車でフランクフルトを出て、ベルリンに着いたのが午後3時。新しい中央駅にダフ屋はいることはいるのだが、目立たない。ベルリンでは取締りがあるらしい。
 きいたら「3000ユーロ」ということだった。決勝戦はあまり好試合にならないのが、これまでの例である。日本円で約45万円を払う価値はありそうもない。
 1時間前にスタジアムに行ったら1300ユーロ、約20万5千円だった。原価が600ユーロ、約9万円だから2倍強である。 実は2倍くらいだったら折り合おうと思って現金を用意していたのだが、1試合に20万円はばからしいと、急に冷静になって、ホテルに戻ることにした。
 
◆PK戦で決着はものたりない
 ホテル近くのベルリン東駅に着いたとき、もう試合がはじまっていたので、駅のレストランのテレビで決勝戦を見た。
 駅周辺にいたおまわりさんが、どやどやと入ってきてビールを注文し、テレビを見はじめた。ダフ屋に支払うつもりの大金を持っていたので不安を感じていたのだが、おまわりさんに囲まれていれば、安心である。
 決勝戦は思っていたよりは、いい試合だった。
 立ち上がりは先制点を狙って攻撃的な展開だった。前半7分のフランスの得点はペナルティキックだった。アンリからのパスを受けたマルダが、イタリアのディフェンダーの間に割り込んで倒れた。主審はすぐに笛を吹いてペナルティマークをさし、ジダンが決めた。このまま、フランスが守りに入って優勝したらつまらないな、と思っていたら19分にイタリアが同点にした。コーナーキックからマテラッツィのヘディングである。
 1対1。これで攻め合いが続いて、どちらかが決勝点をあげれば、好試合だったと言えるだろう。
 しかし、その後は、お互いに守りに重きをおいて延長のすえPK戦。フランスは2人目のトレゼゲがバーに当て、先攻のイタリアは5人が全部決めて、5対3で勝った。
 ワールドカップの行方が、PK戦で決まったのでは、やっぱり、もの足りない。

◆ジダンの頭突きは残念
 ベルリン東駅構内のレストランで、お巡りさんたちといっしょにビールを飲みながら決勝戦のテレビを見ていたのだが、延長戦に入ると上官らしい警官が現れて、お巡りさんたちを元の配置に戻らせた。ぼくはホテルへ戻って、延長戦は途中からホテルのバーのテレビで見た。
 延長後半5分、「ジダンの頭突き」が起きた。この場面はボールから離れたところで起きたので、テレビの画面では、すぐには分からなかったのだが、頭突きを食らったマテラッツィが倒れているところで、ビデオで映った。いっしょにバーで見ていた人たちが、いっせいに「ウェー!」と嘆声をあげた。
 そのときの、ぼくの感想は「ああ、ジダンはワールドカップの歴史に残るスーパースターになりそこなった」というものである。
 これまでのワールドカップの2大スターは、ペレとベッケンバウアーだと思っている。ジダンは、その技術からみても、1998年大会優勝のときの貢献度からみても、この大会で2度目の優勝を飾ることができれば、ペレとベッケンバウアーに並ぶ地位をワールドカップ史上に占めることになるだろうと思っていた。
 しかし、明らかな報復行為で退場になっては、ペレとベッケンバウアーに並ぶのは無理である。
 2006年ドイツ大会が「ジダンの頭突き」によって記憶されることになるのであれば残念だ。

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