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牛木素吉郎のドイツ・ワールドカップ観戦日誌
1970年メキシコ大会から10大会連続現地取材をしている
スポーツジャーナリスト・牛木素吉郎のリポートです。(協力:ビバ!サッカー研究会)
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6月18日(日)
「決定力不足」を考える
日本 0対0 クロアチア (ニュルンベルク)
★柳沢の逸機への批判
日本はクロアチアと引き分けた。日本が優勢だったのに無得点に終わったので、また日本のマスコミは「決定力不足」を批判するのだろうな、とドイツにいて想像した。
後半のはじめに柳沢が絶好のチャンスにシュートをはずした。柳沢に対する批判が、サポーターのブログや書き込みにあふれるのではないかと、これも想像した。
この場面は、高原が中盤に下がって受けたボールを、右から攻めあがった加地に出し、加地がゴール前に通したのに柳沢が走りこんだが、シュートが右にはずれたものである。
ボールをつないだ速攻がいい形を作ったので、見ていて「これを決めてくれなければ」という気持ちになるのは無理もない。
しかし、こういう場面でのシュートは、なかなか決まらないものである。高速でくるボールに点で合わせるのは、見た目以上に難しい。相手を付けないでやるシュート練習でも、なかなか決まらない。そういう経験をした人は多いと思う。
★選手は全力で戦った
むかしの草サッカーのような練習とワールドカップの試合を、同じレベルで話すな、と言われるかもしれない。だが、ワールドカップのレベルでは、相手の守りも高度だし、ボールのスピードもはやい。難しいのは草サッカー以上である。
ニュルンベルクのスタジアムで、ぼくの後ろの席にいた日本のサポーターが叫び続けで応援していた。その熱意はいいのだが、叫ぶ言葉が選手への非難である。「バカ! なんで走らないんだ!」「バカ! ちゃんとシュートしろ!」という調子だ。聞いていて、だんだん不愉快になってきた。「他人をバカ呼ばわりするなら、自分で蹴ってみな」と言いたくなる。
ぼくだって、柳沢に決めて欲しかった。
しかし、選手たちは2試合連続の暑さのなかで、全力を尽くして戦っている。そのすざまじい頑張りは、スタンドで見ていると、ひしひしと伝わってくる。選手を批判する気にはとてもなれない。そういう選手たちの気持ちを直接感じられないようなら、ドイツまで応援に来る必要はないと思った。
★他の国の選手はどうか
「でも、ほかの国の選手は、ちゃんと決めているからなあ」という嘆きも聞こえてくる。
確かに、ワールドカップには、すばらしいシュートがたくさんある。それは、くり返しくり返しテレビに映し出される。だから、ますますワールドカップには、みごとなシュートがあふれている印象になる。
でも、他の国のチームにも、シュートの失敗はたくさんある。ゴールキーパーと1対1になりながらもたついたり、ゴール正面からのフリーキックが大きくバーを越す場面も少なくない。ただ、他の国のチームの、そういう場面が、くり返し映し出されることは、まずない。だから視聴者の印象には残らない。
「決定力不足は仕方がない」というつもりはない。コーチや選手が、シュートの決まらない原因を検討し、批判しあうことは必要である。ファンが意見を言うのも、また自由である。しかし感情的な非難ではなく、今後につながる建設的なものであってほしい。
決定力のあるストライカーは、どうすれば見出せるか。このテーマは、別の機会に改めて取り上げてみたい。
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