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ドイツW杯観戦日誌・目次
 
マルタとの強化試合に意義はあった(6/5)
開幕は静かに迫っている(6/6)
入場券は本当にないのか?(6/7)
ストライカーの決め手は判断力(6/8)
ワールドカップ開幕(6/9)
日本の敗因を考える(6/12)
フランスは復活するか(6/13)
「東欧の速攻」は滅びたのか?(6/14)
監督の用兵が勝負を決める(6/15)
米国が見せた9人での戦い方(6/17)
「決定力不足」を考える(6/18)
ドイツのサッカーの底力(6/20)
日本の敗退を考える(6/22)
ドイツは燃え上がる (6/24)
イングランドの放り込み(6/25)
カメラマンの戦い (6/26)
アフリカのサッカーを考える (6/27)
準決勝・ドルトムント (7/4)
準決勝・ミュンヘン (7/5)
決勝・ベルリン (7/9)
 

※このコンテンツは、ドイツ・ワールドカップ期間中に、同名のブログに掲載していた記事に加筆、転載したものです。

 

 


 牛木素吉郎のドイツ・ワールドカップ観戦日誌
  1970年メキシコ大会から10大会連続現地取材をしている
  スポーツジャーナリスト・牛木素吉郎のリポートです。(協力:ビバ!サッカー研究会)

6月14日(水)
「東欧の速攻」は滅びたのか?

ドイツ 1対0 ポーランド (ドルトムント)

★ポーランドのサッカーに注目
 開催国ドイツの人びとは、ドイツがいち早く、ベスト16進出を決めることを期待して盛り上がっていた。しかし、ぼくは相手のポーランドのほうに注目した。ポーランドは初戦でエクアドルに2対0で完敗している。テレビで見た限りでは、いいところがなかった。 過去にポーランドは、ワールドカップで2度、3位になっている
 1974年の西ドイツ大会では独特の逆襲速攻サッカーで進出した。このときは、出場16チームを4組に分けて1次リーグを行い、各組上位2チームにより2組の2次リーグをする方式だった。ポーランドは2次リーグの最終戦で西ドイツとあたるまで5戦全勝。守備ラインの激しい守りでボールを奪うと、すばやく最前線にボールを送り、ラトー、ガドハ、シャルマッハらが走り出た。1本ヤリを繰り出して突き刺すような速攻だった。それを当時、ぼくが「東欧の速攻」と名づけた、あの戦法は、もう通用しなくなったのだろうか。

★激しい守り、反則が命取り
 1974年の西ドイツ大会で、ポーランドは2次リーグB組の最終戦で地元ドイツに1対0で敗れた。豪雨でグラウンドが水浸しになって、ポーランドに不利な条件だった。そのあと西ドイツが優勝し、ポーランドは三位決定戦でブラジルに勝ったのだから、当時の「東欧の速攻」には世界一を争う実力が十分にあったわけである。
 今回のポーランドにも当時の「東欧の速攻」の面影は残っていた。激しい守りでボールを奪い、最前線のスモラレクを走らせる。それがドイツをおびやかした。
 しかし、32年前とは変わった部分も多い。守りのきびしさは段違いだった。ボールを持ったドイツの選手を数人がかりで囲い込み、一人が体当たりのように激しく当たる。そのために反則も多かった。後半30分ごろ、ソボレフスキーが2つ目のイエローカードで退場になった。これがポーランドの命取りとなった。

★ドイツはよくなりつつある
 ポーランドは第1戦に敗れているため、どうしても勝ちに出なくてはならない。守って引き分けは狙えない。だから、退場で10人になったのは痛かった。
 ドイツはロスタイムに入ってやっと決勝点をあげた。後半に交代出場した選手による得点だった。右のサイドバックに入った黒人のオドンコールが右サイドから通したボールに、33歳のノイビルが走りこんだ。相手が疲れた後半に、この2人を出してスピードで勝負する。それがクリンスマン監督の狙いのようだ。
 ドイツは苦戦したが、内容は悪くない。
 第1戦は欠場した中盤のバラックが復帰して、パスが通るようになった。守備は、第1戦でコスタリカに2点を取られて不安だったが、これも安定しつつあるように見えた。スピードと技術のバランスがいい。スピードを生かしながらも、攻め方に緩急がある。ドイツのサッカーのそういう特徴が勝ち進むにつれて整ってくるのではないか。

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