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■ 手のひらの上のサッカー史
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第8部
女子サッカー、戦後再出発から女子世界大会まで

1.女子サッカーの再出発と隆盛

2.第1回FIFA女子サッカー
         選手権・中国大会

3.第2回FIFA女子サッカー
     選手権・スウェーデン大会

4.アトランタ五輪・女子サッカー

5.第3回FIFA女子サッカー
        選手権・USA大会

6.シドニー五輪・女子サッカー

7.第4回FIFA女子W杯・USA大会

8.アテネ五輪・女子サッカー

9.第5回FIFA女子W杯・中国大会

10.北京五輪・女子サッカー

11.第6回FIFA女子W杯・
              ドイツ大会@

12.第6回FIFA女子W杯・
              ドイツ大会A

13.ロンドン五輪・女子サッカー

14.第8部のまとめ(追加)

 

小堀 俊一 (こほり・しゅんいち)
1941年生まれ。 
フットボール・フィラテリスト、ビバ!サッカー研究会会員。
40年あまり前から、サッカー郵趣品(切手・はがき・封筒・記念消印などの郵便物資料)を収集し、楽しみながら世界のサッカーを学び続けています。
著書:「サッカー百科展」(1992年・大修館書店)、「サッカースタンプスタジアム」 (2002年・ 日本郵趣出版)


第8部 女子サッカー、戦後再出発から女子世界大会まで
5.第3回FIFA女子サッカー選手権・USA大会 (1999)

◆地域予選
 第3回大会から出場チーム数が16に増えました。従来どおり、各地域の女子選手権の下記上位チームが、この大会の出場を果たしました。
注)国名の後の数字は、( )内が「FIFA女子サッカー選手権」出場回数、+の後がオリンピック・女子サッカー競技出場回数を示します。

ヨーロッパ(6)

スウェーデン(3)+1、 イタリア(2)、 
ノルウェー(3)+1、 ドイツ(3)+1、 
デンマーク(3)+1、 ロシア(1)

南米(1) 

ブラジル(3) +1

北中米・カリブ海(3)

USA(開催国)(3)+1、カナダ(2)、メキシコ(1)

アジア(3)

中国(3)+1、北朝鮮(1)、 日本(3)+1

アフリカ(2)

ナイジェリア(3)、 ガーナ(1)

オセアニア(1) オーストラリア(2)

本大会 (1999年6月19日〜7月10日)
 「サッカー人口の実に40%が女子プレイヤーである」(「がんばれ!女子サッカー」前掲書)と述べられているように、USAの底辺は広大でした。1996年アトランタ・オリンピック大会で同国が優勝したことによって、USA女子サッカーチームは一段と脚光を浴びる存在になっていました。そのUSAチームの中心選手が、1991年第1回・中国大会でデビュー(当時19歳)し、今や絶大な支持と人気を誇るまでになったミア・ハム(Mia Hamm=Mariel Margaret Hamm)でした。
 第3回大会はこのような状況下、ボストン、シカゴ、ロサンゼルス、ニューヨーク、ポートランド、サンフランシスコ、サンノゼ、ワシントンDCの8都市で開催され、女子サッカー史上空前の活況を呈しました。

◇1次リーグ グループ分けと順位
 出場16カ国を4グループに分け、各グループ上位2カ国が決勝トーナメントに進出しました。そして、この8チームには前回同様、翌2000年のオリンピック・シドニー大会への出場権が与えられました。

 
1位
2位
3位
4位
A
USA ナイジェリア 北朝鮮 デンマーク
B
ブラジル ドイツ イタリア メキシコ
C
ノルウェー ロシア  カナダ 日本
D
中国 スウェーデン オーストラリア

ガーナ

※太字が決勝トーナメント進出

 Aグループでは、3大会連続出場のナイジェリアが2勝1敗、2位となり、アフリカ勢初の決勝トーナメントに進出しました。
Cグループの日本は、初戦のカナダ戦を1対1で引き分けましたが、初出場のロシアに0対5、第3戦のノルウェーにも0対4で敗れグループ最下位の4位でした。
 これにより、2000年のシドニー・オリンピックの出場権も手にすることが出来ずに終わりました。

大会参加記念切手帳(表紙) (1999年6月8日発行・北朝鮮)


大会参加記念初日カバー
(小型シート貼り、
切手4種は、記念切手帳収納の切手4種の無目打) 
(1999年6月8日付特別記念消印付・北朝鮮)

◇ 準決勝 
USA対ブラジル 2対0 (7月4日・サンフランシスコ)
中国対ノルウェー 5対0(7月4日・ボストン)

◇ 3位決定戦
ブラジル対ノルウェー 延長0対0 PK5対4
(7月10日・ロサンゼルス)

◇ 決勝 
USA対中国 延長0対0 PK5対4
(7月10日・ロサンゼルス)

 1996年のアトランタ・オリンピック決勝と同じチームによる対戦となり、会場のパサデナ、ローズボールには90,185人もの観客が押し掛けました。
 準決勝までの得失点は、USA18得点・3失点、中国19得点・2失点で、攻撃力と守備力を兼ね備えているチームの対決でした。試合は、共に相手の攻撃を警戒し、守りあう展開でした。結局延長戦でも0対0と決着はつかず、3位決定戦同様PK戦に入りました。
 PK戦では、USAの5人の選手が全て成功したのに対し、中国の3番手リュウインのキックをUSAのGKブライアナ・スカリーが阻止し、5対4でUSAが2回目の優勝を果たしました。(1996年オリンピックを入れると3度目の世界一)
 アトランタ・オリンピックに続いて、準優勝に終わった中国でしたが、ソンウェン選手は7得点をあげる活躍で、ブラジルのシシーと共に大会得点王に、さらに大会最優秀選手にも選ばれています。

USA優勝記念ハガキ <優勝の瞬間の選手達の写真入り>
(画像提供:久野さん)

 決勝戦の18シーンを9種ずつの切手にしてくれたのが、キルギスタン(1999年発行)とリベリア(2000年発行)です。
 写真版なので、背番号により、ミア・ハム(9)、ミシェル・エイカーズ(10)、3人娘のママさんジョイ・フォーセット(14)、そしてPKを止められたリュウイン(13)と、阻止したブライアナ・スカリーなどの姿を確認出来ます。

第3回大会決勝記念9種組合せシート
(1999年発行・キルギスタン)


第3回大会決勝記念大型シート
  (2000年発行・リベリア)

 ◆画像をクリックすると、拡大画像をご覧いただけます。
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