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■ 手のひらの上のサッカー史
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第14部
W杯ロシア大会へ向けて

1.大会最初の郵趣品

2.大会前1000日記念

3.W杯の回想(その1)
4.W杯の回想(その2)
5.W杯の回想(その3)
6.W杯の回想(その4)
7.W杯の回想(その5)
8.W杯の回想(その6)
9.伝説の人々(その1)
10.伝説の人々(その2)
11.伝説の人々(その3)
12.伝説の人々(その4)
13.伝説の人々(その5)

 


小堀 俊一 (こほり・しゅんいち)
1941年生まれ。 
フットボール・フィラテリスト、ビバ!サッカー研究会会員。
40年あまり前から、サッカー郵趣品(切手・はがき・封筒・記念消印などの郵便物資料)を収集し、楽しみながら世界のサッカーを学び続けています。
著書:「サッカー百科展」(1992年・大修館書店)、「サッカースタンプスタジアム」 (2002年・ 日本郵趣出版)


第14部 ワールドカップ・ロシア大会(2018年)へ向けて

11.ロシアサッカー、伝説の人々(その3) 

 
アレンティン・イバノフ
  FW。1934生まれ、2011年(76歳)没。 「トルペド・モスクワ」に1954−58年、1965−70年所属。 1955−65年ソ連代表チームメンバー。 ワールドカップ3大会(1958、62、66年)参加。ワールドカップ・チリ大会(1962年)得点王の一人(5得点)。1956年メルボルン・オリンピック、1960年第1回ヨーロッパ選手権大会優勝メンバー。

マキシマムカード
(2015年12月9日付特別記念入り)

切手のタブ部分

 
エドゥアルド・ストレリツォフ
 FW。1937年生まれ、1990年(63歳)没。「トルベド・モスクワ」所属(1953−58年、1965−70年)。1950、60年代を代表するFWとして、「ロシアのペレ」と称された。1955年ソ連代表入りし、1956年メルボルン・オリンピック優勝に貢献。

マキシマムカード
(2015年12月9日付特別記念入り)

切手のタブ部分

 

開催都市巡り
  (9)サンクトペテルブルク  

 モスクワに次ぐ、ロシア第二の世界都市。モスクワとは直線で600km(東京〜函館間)の距離。運河などの利用により、白海、ドニエプル川、ヴォルガ川と結ばれているため、カスピ海やウラルへもつながっている。運河が縦横に巡る港湾都市として、「北のヴェネツィア」と呼ばれ、ユネスコの世界遺産に登録され、多くの観光名所が存在する。
サンクトペテルブルクの名前は、ロシア帝国を築いたピョートル大帝が自分と同名の聖人ペトロにちなんでつけたもの。
1924年、レーニンにちなむ「レニングラード」と名を改め、半世紀続いたが、ソ連邦崩壊後の1991年に再びロシア帝国時代の「サンクトペテルブルク」に戻った。
 < 本篇14-7◆モスクワの歴史(Part2参照)>

大会開催都市ポスター絵ハガキ
(9)サンクトペテルブルク
(2015年9月18日発行)


開催スタジアムの切手は2017年に発行の予定です。


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