第14部 ワールドカップ・ロシア大会(2018年)へ向けて
11.ロシアサッカー、伝説の人々(その3)
◆アレンティン・イバノフ
FW。1934生まれ、2011年(76歳)没。 「トルペド・モスクワ」に1954−58年、1965−70年所属。 1955−65年ソ連代表チームメンバー。 ワールドカップ3大会(1958、62、66年)参加。ワールドカップ・チリ大会(1962年)得点王の一人(5得点)。1956年メルボルン・オリンピック、1960年第1回ヨーロッパ選手権大会優勝メンバー。
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マキシマムカード
(2015年12月9日付特別記念入り)
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切手のタブ部分 |
◆エドゥアルド・ストレリツォフ
FW。1937年生まれ、1990年(63歳)没。「トルベド・モスクワ」所属(1953−58年、1965−70年)。1950、60年代を代表するFWとして、「ロシアのペレ」と称された。1955年ソ連代表入りし、1956年メルボルン・オリンピック優勝に貢献。
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マキシマムカード
(2015年12月9日付特別記念入り)
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切手のタブ部分 |
開催都市巡り
(9)サンクトペテルブルク
モスクワに次ぐ、ロシア第二の世界都市。モスクワとは直線で600km(東京〜函館間)の距離。運河などの利用により、白海、ドニエプル川、ヴォルガ川と結ばれているため、カスピ海やウラルへもつながっている。運河が縦横に巡る港湾都市として、「北のヴェネツィア」と呼ばれ、ユネスコの世界遺産に登録され、多くの観光名所が存在する。
サンクトペテルブルクの名前は、ロシア帝国を築いたピョートル大帝が自分と同名の聖人ペトロにちなんでつけたもの。
1924年、レーニンにちなむ「レニングラード」と名を改め、半世紀続いたが、ソ連邦崩壊後の1991年に再びロシア帝国時代の「サンクトペテルブルク」に戻った。
< 本篇14-7◆モスクワの歴史(Part2参照)>
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大会開催都市ポスター絵ハガキ
(9)サンクトペテルブルク
(2015年9月18日発行) |
開催スタジアムの切手は2017年に発行の予定です。 |
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