開催都市巡り
(5)モスクワ <1>
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大会開催都市ポスター絵ハガキ
(5)モスクワ
(2015年9月18日発行) |
ソ連邦(1922〜1991年)そしてロシア連邦(1991年〜)の首都。およそ1150万人の人口はヨーロッパ最多であり、世界有数のメガシティです。
今大会の開催都市のなかで、唯一2つのスタジアムをもち、開幕戦、準決勝、決勝戦などが行われる予定です。
また交通の要として、モスクワには、市内および市郊外に4空港と、鉄道の9つのターミナル駅が方面別にあり、駅名は行き先の地名を表しています。
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ルジニキ・スタジアム
(収容人数:89,313人)
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1956年に作られ、ソ連邦時代はレーニン・スタジアムと呼ばれた。1980年モスクワ・オリンピックのメインスタジアムとなった。1991年ソ連邦崩壊により、ルジニキ・スタジアムに改称。
2014年より大規模な改修中。正面や屋根などの外観は変えず、陸上トラックの撤去や内部の改装により収容者数の増大(89,313人)を図る。完成予定は2017年4月。
(2015年11月17日発行、特別記念消印入り) |
◆モスクワの歴史(Part1)
◇モンゴルへの服属とモスクワ・クレムリンの再建
モスクワ最古の記録は1147年までさかのぼり、1156年には木造のクレムリン(城塞)も築かれましたが、1237年から翌年にかけてチンギス・カンの命をうけたジョチ・ウルスのパドゥにより壊滅させられました。
キプチャク・ハン国の下で、モンゴルに服属し貢納を続けながら1971年、「モスクワ公国」となり、14世紀には「モスクワ大公国」へと伸長。1328年、都もウラジ―ミルからモスクワへ遷され、1366年には、第4代モスクワ大公ドミトリィ・ドンスコイにより、石造りのクレムリン(城塞)が建てられました。
◇モンゴルからの独立
1480年、モスクワ大公イヴァン3世(在位1462〜1505年)はモンゴルへの貢納を停止、キプチャク・ハン国の攻撃を受けますが、1502年、クリミア・ハン国の協力を得てこれを滅ぼし、独立を果たし東北ロシアの統一も実現しました。
イヴァン3世の治世下、モスクワ・クレムリンはイタリア人建築家により、ルネサンス風に大改築され、1479年にはウスペンスキー大聖堂、1493年には「赤の広場」も設置され、一帯の整備が行われています。
◇動乱の時代
1547年にイヴァン4世が「ツァーリ」の称号を帯び、ロシアの絶対主義体制を強化しますが、1584年に死去。その後、新旧貴族の抗争、大飢饉、農奴制反対を唱える農民の反乱、さらにはコサックの独立運動による混乱し、一時モスクワもポーランドに占領される事態を招きました。
1613年、新貴族はコサックの協力によりモスクワをポーランドの占領から解放し、古くからの名門貴族ロマノフ家のミハイル・ロマノフをツァーリ(皇帝)につけ、ロマノフ朝が成立しました。
しかし、アレクセイ・ミハイロビィッチ在世中の1670年に、再び下層コサックと農奴制に苦しむ農民が、ステンカ・ラージンを指導者として反乱を起こしました。1671年、捕らえられたステンカ・ラージンが「赤の広場」で処刑され、反乱はやっと鎮圧されました。
(Part2に続く)
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