第14部 ワールドカップ・ロシア大会(2018年)へ向けて
10.ロシアサッカー、伝説の人々(その2)
◆バレンティン・ブブキン
FW。1933年生まれ、2008年(75歳)没。「CSKA MOSCOW」クラブで選手生活の大半を過ごす。ワールドカップ2大会(1958、1962年)出場。1960年第1回ヨーロッパ選手権優勝メンバー。
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マキシマムカード
(2015年12月9日付特別記念入り)
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切手のタブ部分 |
◆ユーリ・ボイノフ
MF。 1931年生まれ、2013年(71歳)没。 「FCゼニト」「ディナモキエフ」所属。
1954−60年のソ連代表メンバー。1958年ワールドカップ・スウェーデン大会出場。
1960年第1回ヨーロッパ選手権優勝メンバー。
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マキシマムカード
(2015年12月9日付特別記念入り)
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切手のタブ部分 |
開催都市巡り
(8)サマーラ
モスクワの南東860kmに位置し、ロシア連邦6番目の115万人(2002年当時)の都市(今大会の11都市の中では5番目)。
1935年から1990年までは、「クイビシェフ」と呼ばれ、ヴォルガ川とサマーラ川の合流地点にある、交易と物流の街です。
タタール人に対抗するため、1935年にクレムリン(城塞)が築かれ、防衛基地の役割を果たすとともに、ロシアと中央アジア、中東をつなぐ外交と貿易の中心地として発展しました。
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大会開催都市ポスター絵ハガキ
(8)サマーラ
(2015年9月18日発行) |
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サマーラ・スタジアム(新設)
収容人数:44,918人
(2016年7月29日発行)
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