スリランカ
■将来への第1歩
スリランカ代表チームは、首都コロンボ市内の政府スポーツ委員会のグラウンドで合宿していた。大屋根つきのスタンドの前に、だだっ広いフィールドがある。「もともとは競馬場だな」とすぐ見当がついた。
スリランカは第2次世界大戦が終わるまでは英国の植民地だった。競馬場は英国人たちが作ったに違いない。スリランカ民主社会主義共和国になって、競馬場跡が、そのままスポーツセンターになっている。
サッカー協会も、元競馬場の大スタンドの下の部屋にある。
まず、マニラル・フェルナンド会長の話を聞いた。
「ワールドカップ予選参加は、スリランカのサッカーにとって非常に大きな経験になる。正直言って1つ勝つのも難しいが、われわれは、日本での試合を将来のための第1歩にしたいと思っている」
これは本当に率直な発言だった。
スリランカが、ワールドカップ予選に参加するのは、今回が初めてである。
1人当たりの国民総生産が年間470ドル(約5万5千円)と貧しいうえ、国内で民族抗争が続いていたので、これまでは参加する余裕がなかったからである。
「日本での試合をスタートに、12月にバングラデシュのダッカで開かれる南アジア競技大会(SAF)では、いい成績をあげたい。ワールドカップは2002年に日本へ行くことをめざしましょう」
■選手は悪くないが
グラウンドへは、夕方から代表チームが出てきた。ナイター設備はないので、日没前のやや涼しい時間を利用してのトレーニングである。
選手たちのシャツもまちまち、シューズもまちまちで、見ばえはしない。
「選手の月収が50ドル(約6千円)くらいなのに、ボールは25ドル、シューズは50ドル。これが強化の悩みですよ」という話が実感として伝わってきた。
しかし、プレーぶりの方は、それほど悪くはない。ボール扱いの巧みな選手も、ドリブルの鋭い選手も、シュートのいい選手もいる。
体格はやや細い。おそらく体力的にも他の国に劣るだろう。用具、栄養、トレーニング施設など、これから改善しなければならないことが、たくさんありそうである。
コーチはブラジル人のジョージ・フェレイラである。肩書きは特別顧問となっているが、実際には現場で指揮をとるヘッドコーチだ。
フェレイラ・コーチが来たのは、1月23日。スリランカ協会には外人コーチを招くお金はないが、コカコーラに地元の企業や銀行も加わってスポンサーになり「ブラジル・コカコーラ・サッカー援助計画」が作られた。月額約2千ドル(約24万円)の1年契約だという。
フェレイラ・コーチは45歳。若いときはサントスでペレと一緒にプレーしていたこともある。
リオにあるサッカー・アカデミーからの派遣。スリランカのサッカー再建へ強力な援軍になりそうだ。
■フェレイラ・コーチ
「ここへ来たとき、代表チームの候補選手が60人集められていた。私は少し練習を見て、すぐ15人をはずし、さらに1週間後に15人をはずして、2月1日からの合宿は30人で始めたんだ」
夕方のトレーニングの後で、フェレイラ・コーチにインタビューしたのだが、その口振りは、自分の能力に対する自信にあふれていた。
「選手たちの素質は非常にいいんだ。あと2年、時間をくれれば日本やUAEに勝つチームを作れるんだが……」
環境に恵まれないので才能を伸ばせないでいるが、ブラジルのプロで通用する素質の選手も3〜4人はいるという。
その選手たちにもインタビューした。その一人のウバル・プレマラルは29歳。この国のスター・ストライカーで、バングラデシュでプロとしてプレーしたこともある。「すばらしいコーチが来たから、ぐんぐん伸びるだろう」と受け答えも、しっかりしていた。
フェレイラ・コーチは綿密な強化計画を作っていた。
それによると、2月と3月のトレーニングの間に国内で練習試合を12試合して4月3日に日本へ向かう。
そのあと12月の南アジア競技大会までの予定が決まっていた。
ちょっと問題なのは、南アジア競技大会に照準を合わせているので、ワールドカップ予選では大敗する試合がでてくる恐れがあることだ。それが、得失点差に影響することになったら困るな、と考えた。
(取材協力 ASOKA GOONETILLEKE)
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