バングラデシュ
■サッカー王国
バングラデシュは、スリランカよりもさらに貧しい国である。1人当たりの国民総生産は年間200ドル(約2万4千円)。極端にいえば日本で2〜3日のアルバイトで稼ぐお金が1年の収入ということになる。
しかし、サッカーに関しては王国だ。インド大陸を中心とする南アジアではクリケットがいちばん主要なスポーツだが、この国はサッカーが断然である。首都ダッカのリーグは事実上プロで、人気もレベルも抜群に高い。アジアでもっとも貧しい国に、ロシアやスリランカからサッカー選手が流れ込んでいる。
サッカー協会のシディク・ラーマン会長は、このサッカー王国建設に大きな功績のあった人だ。若いころからスポーツ団体の役員を務め、政府でいろいろな省の次官(副大臣)を歴任した。1980年にスポーツ省の次官だったときに創設した大統領ゴールドカップは、いまでは、この国最大の国際大会である。
ダッカ市の下町にある古いスタジアムの中の協会の部屋で、お話を伺うことが出来た。
「日本へ行って勝つのは難しいとは思うが、いいサッカーをお見せして、いい結果を出したい。なにしろ国民はサッカーには、いつも大きな期待を寄せるんでね。今年の最大の目標は12月に地元で開かれる南アジア競技大会の金メダルだが、ワールドカップ予選も重要だと思っています」
■サラフディン・コーチ
ダッカを訪ねたとき、あいにくバングラデシュ代表チームは休養の時期だったが、サラフディン・コーチに会うことは出来た。彼が1月下旬に代表チームのヘッドコーチに指名されたのは、日本のスポーツにたとえると長島茂雄監督の復帰のようなものだったらしい。つまりバングラデシュの国民的英雄なのである。
選手のころは、ダッカ・リーグの巨人軍といえるアバハニ・クラブで攻撃的な中盤プレーヤーとして活躍した。1984年に現役を退くまでにリーグで通算200ゴール以上をあげたほか、1試合最多得点、1シーズン最多得点などの記録を作っている。その間1975年に香港のキャロライン・ヒルでもプレーした。
その後、代表チームのコーチになって、国際大会で好成績を残しながら、事情があって一時はサッカー界から完全に引退していた。
昨年、古巣のアバハニの監督になってリーグとカップの2冠をとり、国民の期待を担って代表のヘッドコーチに指名されたわけである。
穏やかな口調だが、話しぶりは明快だった。
「攻撃的な美しい試合が好きですが、ワールドカップ予選では、勝ち抜くことを考えねばなりません。相手によって、やり方は変えることになるでしょう」
バングラデシュは、サッカーの盛んな国だから選手は勝負強いに違いない。そこへ頭の切れる人気コーチが加わったのだから、うっかりしていると足をすくわれるぞ、という気がした。
■ムンナのトラブル
「注目すべき選手は誰ですか」という質問にサラフディン・コーチは20歳の中盤のシャビールと、17歳の左のウイングバックのマスド・ラナをあげた。若手の成長に期待しているらしい。
「一つ問題があるんです。もっとも強力なストッパーのムンナが、所属のアバハニ・クラブから資格停止になっていて、今のところ代表チームに入れられないんです。これが解除されないと……」
ムンナは、この国の最優秀選手でもっとも高給をとっている。昨年、クラブの海外遠征の時に手当てに不満があって参加しなかった。それが原因で昨年のシーズン終了後、クラブとの間のもめごとになったのだという。
クラブが処分すると自動的に協会も資格停止にするので、代表チームの合宿にも加えられなかった。
ワールドカップ予選の出場選手22人の登録は、規則上は大会の24時間前までなので、それまでにクラブとの話し合いがつけばいいのだが、現実には日本に連れて行けないだろうということだった。
ダッカに滞在していたとき、ちょうど国の記念日だった。町中のにぎやかな通りは、日本のお祭りのように屋台の店が並んで賑わっていた。
その一角に出版物のお店のコーナーがあり、その中の一つがとくに混雑していた。
店のなかに座って、自分の本を買ってくれたお客さんにサインをしていたのが、ムンナだった。数日前に結婚したばかりだという、とびきりすてきな奥さんが一緒だった。
(取材協力 AZAM MAHMOOD)
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