タイ
■タワチャイ監督
「タイ代表チームのヘッドコーチにインタビューしたいのでアレンジしておいてくれ」
出掛ける前、バンコクの有力な英字新聞の運動部長である友人に、あらかじめ国際電話で頼んだとき、頭の中にあったのは、昨年の広島アジアカップに来たドイツ人のペーター・シュトゥッベだった。
ところが、着いた翌日に引き合わせてくれたのはタワチャイ・サジャクン氏だった。名刺にはPCIという会社の重役の肩書きが書いてある。
「会社をいくつも経営している新進の実業家だ」と紹介されたので、そのときはまだ、強化担当の協会理事だろうと思っていた。
話を聞いているうちに、このタワチャイ氏が、チームを指揮する「監督」だと分かった。英語では「チーム・マネジャー」である。 「シュトゥッベは、2月中旬にキングスカップが終わった後、解任されてアドバイザー(顧問)という名目だけになったんだ。ワールドカップ予選に出るチームの実権は、タワチャイが握ったんだ」 タワチャイ氏は背広を着て指揮をとり、現場のトレーニングを担当する「コーチ」には、かつての名選手のチャチャイが、シュトゥッベに代わって起用されたという。
翌日たまたま市内の練習グラウンドで、またタワチャイ氏に会った。コーチたちを集めて指示を与えていたがシュトゥッベの姿はなかった。
■パトロンの野心
シュトゥッベ・コーチの事実上の解任は、広島アジアカップの不成績が直接の原因ではない。アジアカップのあと再契約をし、2月のキングスカップで指揮をとったのだから、これは明らかである。
バンコクで開かれたキングスカップ国際大会に、地元のタイは、ワールドカップ・チームとオリンピック・チームの両方を出した。オリンピック・チームは、タワチャイ監督−チャチャイ・コーチのコンビで、大会後に、このコンビがワールドカップ・チームを、いわば乗っ取った形である。
これは、タワチャイ氏が自分の野心を着々と実現しつつあることを意味しているのではないか、という感じがする。というのは、タワチャイ氏は、サッカー界に登場すると、まずユース代表を引き受け、ついでオリンピック・チームの監督にと、つぎつぎに階段を昇ってきたうえで、キングスカップの最中に新聞紙上で公然とシュトゥッベ批判をしているからである。
タワチャイ氏は大金持ちである。オリンピック・チームの監督になると、自分の家の別棟を合宿所にして衣食住のすべてを提供し、さらに選手には1日に500バーツ(約2千5百円)、コーチ陣には600バーツ(約3千円)の手当てを出した。
タイでは、クラブ・チームでも、こういうふうにパトロンが、選手を丸抱えにして面倒を見ることがあるらしい。タワチャイ氏は、それをナショナル・チームで実行して、現場でも指揮しているわけである。
■ピヤポン復帰の意味
現地語の新聞のサッカー記者に話を聞いていたときに「ピヤポンは少年たちに人気があるんだろ?」と聞いたら、通訳をしてくれていた若い女性のウサさんが「女性にだって人気があるわよ」と口をとがらせた。ピヤポンは、老若男女を問わず人気絶大なタイの国民的英雄である。
そのピヤポンを、昨年のアジアカップで、シュトゥッベ・コーチは代表に選ばなかった。しかしキングスカップから復帰している。
「ピヤポンはタイのサッカーを代表するストライカーだ。31歳になるけどトップフォームなんだから、代表に選ばないのは間違っている」
この言葉はタワチャイ監督の考えを端的に表している。
タイの指導者により、タイのプレーヤーの特徴を生かし、タイの民族性に合ったサッカーで勝ちたい――これが新監督の理念だ。ピヤポン復帰は、その象徴だといっていい。
広島のときのシュトゥッベのチームは、ドイツ式のパス・アンド・ゴーで、タイの柔軟なサッカーの良さを殺しているところがあったから、これはうなずける考えである。
新しいチームは、攻めのピヤポンと守りのナティのベテラン2人が中心になるだろう。
そのほかは、オリンピック・チームから若い選手が思い切って、たくさん登用された。これもタワチャイ監督の考えで、ワールドカップ予選よりも、さらに将来を考えている。
今年の目標も「シンガポールの東南アジア競技大会の優勝に焦点を合わせている」ということだった。
(取材協力 PRASERT SRISUEB)
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